7匹目のニャンコ②

ニャンコを保護してから1か月以上になった。

その間にある事件というか、面倒なことが起こってしまい、鬱状態がひどくなってしまった。

気持ちはふさぐが、猫は可愛い。だが、やっぱり気に掛かる。

何が気に掛かるかというか、市役所の環境関連の課の職員さんが、おそらくは善意なのだろうが、ものすごく余計なことをしたために、関係ない人が入り込んできて、事態が厄介になってしまったのだ。

具体的に言えば、飼い主でない人が、市役所に私が近隣にポストしたチラシを見た、と連絡をしてきたのに対し、私に何も断りなく、市役所員が勝手に里親になって貰おうとしたのだ。

ある日、市役所から電話が来た。「チラシに出ている猫は野良猫だという情報があった」とのこと。詳しく聞くと、

1 情報を寄せてきた人は、市内在住の人ではく、東京都内に在住。こちらの市内に空き家を所有していて、時々様子を見に来る。

2 東京からこの市内へ、時々空き家の様子を見に来た時に、さらに時々見かける猫がいたので餌をやっていた。

3 情報をくれた人の話では、その猫は周辺の人の話では前からいる野良猫である。

4 その猫は何度か出産したことがあり、近隣の人が里親になったりすることもあった(らしい)。

5 ずっと出産するようでも困るので、いつか保護して不妊手術を受けさせた方が良いかと思っていた。

6 情報をくれた人が、その猫の様子を知りたいので写真を撮って欲しいと言っている。

ということであった。

それを聞いて「きっと、ごくたまにであっても餌を与えていたことから、今保護されてちゃんと世話してもらっているかどうか気になるのだろうな。」と私は思った。

それで、市役所の人が2人、私の家に来た。

その猫はケージに入れておいたが、自分の飼っている6匹の猫が、いつもと違う慌ただしい様子に「何かある、まずいことかも」と感じたらしく、皆、ソファの下や段ボールで作っただダンジョンに隠れてしまった。

だが、役所の人がくる時刻になってしまい、仕方なく、リビングと玄関のドアをしっかり閉める(リビングのドアを開ける時には、玄関ドアをしっかり閉め、玄関ドアを開ける時にはリビングドアを閉める、とにかく猫に注意)ようにした。

市役所の人たちは、件の猫の写真をケージ越しに撮ったのだが、ケージの柵が邪魔になるというので、仕方なく、ケージのドアを開けた。だが、室内なので薄暗く、カメラのシャッタースピードが合わない。何回も何回もシャッターが切られるが、写真のディスプレイはぼやけていた。

それでもやっと「これなら判別できる」という写真が撮れて、市役所の人たちは帰って行った。

これで済めばよかったのだが、この後、事態はややこしくなってしまった。

よく考えれば、飼い主でもない人のために、わざわざ保護猫を保護した人間の個人たくまで来て写真を撮っていく、というのも、かなり変ではあったのだが。

どうして、市役所が、一市民の生活を脅かすようなことをするのか、という事態になっているのだ。今、本当に参っている。

鬱々として楽しまず

春先に仕事に復帰したものの、結局また心身の状態が思わしくなく、休養することになって1ヶ月半。

仕事自体はやりがいもあったし、薬で眠って、朝はなんとか頑張って起きて、1時間かけて出勤し、以前のようなサービス残業もしないように、と気を付けて、なんとかやっていた。

ただ、どうしても理解不能な状況に陥ってしまい、不条理に悩んで、食事が取れなくなり、服薬してもなかなか眠れない状態になってしまった。苦しくて苦しくて、気持ちが悪かった。

一つは、意味不明のやり直し。

ある書類を作って、グループチーフに提出してチェックを受けるのだが、このチーフが、書類の文を全て書き直して返してくる。「これこれの文をこのように直すように」と文章を添削してくるので、添削された通りに全く同じに書き直して提出し直すと、チーフは、ご本人自身が一度書き直した文の通りであるのにも関わらず、再び、「これこれの文をこのように直すように」と文を全て横線で消して、書き直してくる。なので、また、全ての文をチーフ自身の書き直した通りにタイプし直して提出する。するとまた、「これこれの文をこのように直すように」という繰り返し。

いやいや、それ全部あなた自身が書いた文ですよ、と心の中でツッコミを入れてしまう。私が最初に作った文書なんて、一文字も残っていませんよ、自分自身が作った書類を自分自身で何度も何度も添削して他人である私にタイプさせる理由が全く理解できない。

最終的には、「やっぱりこれは自分が書き直す」と、チーフが出してきたのは、私が最初に書いた書類と同じものだった。

この人は、いったい何をしたいのだろうか? 書類作成とタイピングに私がかけた時間は何だったのか?

そんなことが毎日のように続いた。

まるで、底の抜けたバケツで水を汲む拷問でも受けているようだった。

それでもチーフ以外のグループの人はまともだったので、なんとかやっていられた。

だが、チーフによる理解不能な行動は書類仕事だけではなくて、ダブルスタンダードや、非論理的なことも続いた。

ダブルスタンダードは、例えば、一つのルールが決まっているのに、チーフは守らない、しかし、私が「あれ?チーフがルール通りにしないの? あれ?ルールが変わったの(例えば私が病欠した日とかに連絡があったの)?」と考えて、チーフと同じ行動をとると、即座に「それはルール違反」と甲高い声で言われる。

いやいや、今まさにあなたが「ルール違反」していたよね。あなたが「自分がやる通りに」と普段から言っているのだから、その通りにやっただけなんですよ、と心で呟く。

非論理的なのは、その時の状況に合わせて行動しないで、ただひたすら自分が信じることしか認めない、という態度とか、まあ、そういったこと。

そんなこんなで、ある日、私は心がパンクしてしまった。

PC操作に関しては、チーフよりも私の方が確実に上だった。一つの決まった作業を終わらせるのも、私ははやかった。だが、チーフはPCが嫌いだった。というか、あまり上手でなかったようだった。なので、PCで作業したものは、チーフが対応できるように全て手作業でやり直し。

私が作業計画を作って、グループでその通りに作業を進めていても、途中で突然チーフが「計画を変えたので」と自分で作ったものに差し替える。そんなことは日々当たり前のように繰り返された。

ある作業で聞き取り結果をまとめた時は、「こんなことは聞き取りの中になかった」と、いつも通りに全てが書き換えられた。もう勝手にしてください、と思ったので、勝手にしてもらった。後日、私のまとめた結果の方が正確に記録されていたことが判ったが、もう、どうでもよかった。

チーフになるというのは、視野が狭くて知識や理解力がなくても大丈夫なんだなあ。朝は始業前30分とか1時間とかに出勤して、病欠なんかなくて、早退もなくて、いつも忙しなく動き回っていると、それでいいんだなあ、と改めて(実は、もう何十年も前からわかってはいたのだが)感じた。

社会って、そういうものなのかな。脳みその代わりに筋肉が入っているような人が適応できるのかな、と思ったのであった。

復帰準備

長いこと書き込んでいなかった。4ヶ月ぐらい。その間何をしていたかというと,たいしたことはしていないけれど,それなりに仕事に復帰するため何かしらしていたつもり。

11月に夫と大喧嘩した。

夫が仕事でうまくいっていなかったこともあって,イライラをぶつけてくるようになった。些細なことだが,言葉のやりとりはあるのだが「そんなの忘れてくれ」「別に」「やりたいようにすれば?」など,投げやりな感じがあった。

夫は基本的に善人。気も優しい。だが感情を抑え込む癖があり,マイナスの感情が溜まると,本人は意識していないが,言葉や態度に「マイナス感情」が漏れてくる。全て後ろ向きになる。相手と向かい合わなくなる。全身から「全部自分以外の何かが悪い」と言っているようなオーラが立ち上る。

それで私が突然爆発してしまった。本当に堪忍袋というのがあって,その巾着袋の紐がブツンと音を立てて切れるような勢いだった。

夫に対して,「馬鹿野郎自分だけが苦しいような顔をするな。」などとは言わなかったが,そう言いたい気持ちが口から溢れてくるようで喉に詰まったようだった。

だから声にならない声をあげて泣き叫んだ。声は出しているのに出なかった。引きつったような音にならない音で「ああああああ」と叫んでいた。それから「ふざけるな,ふざけるなぁ」「いい加減にしろ」と言葉が出た。夫に聞こえたかどうかはわからない。

夫は「泣いたら話にならない」「勝手にして」と家の外に出ようとした。裸足で追いかけて,自分も外に飛び出して,「ふざけるな,ふざけるな」と繰り返しているうちに涙が出てきた。

涙が出るなんて,何年ぶり? というくらい感情が表に出ることもなくずっと泣くこともなかった。母親が死んだ時にも泣かなかったし,実家が天災で壊れても泣かなかったのに。

涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになって,髪を振り乱し,足裏には枯れた草の根っこが当たっていたが構わずにうずくまって地面をどんどん叩いた。夫が戻ってきて「恥ずかしいからやめなさい」と引きずって私を家に運び込んだ。

その後は,夫はただダンマリでタバコを吸って,私は涙と鼻水をティッシュで拭きながら一箱使い切ってしまう勢いで,つかえながら夫に話した。

「黙ったままで怒られても困る」「そちらが一人で我慢しているつもりでも,ダダ漏れになっているからこちらも辛い」「察して欲しいという素振りはASDのある自分には困る」「具体的に何をして欲しいのかはっきり言ってもらわないと自分にはわからない」「あなたは何がどんな風に辛いのか伝えてもらいたい」

夫は何も言わなかった。その日は何も話さないで終わりになった。私だけが話していた。

だが,次の日から,何やら夫の顔は妙にスッキリしていた。

私自身もなんだかスッキリしてしまった。

こんな形でこんな原因で泣くというのは想定外だったが,大泣きするという行為は,何かしらカタルシスがあルのだろう。

その日以後,「ひょっとしたら仕事に戻れるかもしれない」と思うようになった。

心配なのは猫と犬のこと。ワンコもニャンコももう老齢にさしかかっているので,それだけが気がかり。留守のうちに体調を崩したらとそれだけが心配。

だから,仕事に戻るのにしても,よくよく覚悟を決めなければいけない。無駄なサービス残業や退勤時に「あ,ちょっといいですか?」と声をかけられて余計な仕事を引き受けるのを,もう2度としない,という覚悟だ。必要がない仕事を延々とさせられることは,私には苦痛だし,それ以上に家庭を崩壊させる原因にもなるのだから。

本当に必要がない仕事だから苦しいのだ。必要だったらあんなに苦しくはなかったのだ。私の頭の上にはいつも『?』の文字が浮かんでいた

「この人達は,これが仕事だと思っているのか?」

あれは彼らの自己満足に過ぎなかった。堂々巡りで延々と「でもでもだって」を繰り返す決して結論の出ない(出さない前提なのか?)会議。際限なくプリントアウトしてはシュレッダーにかけていく書類。この書類は提出はしない,ただシュレッダーにかけるためのプリントアウト作業をするだけ。

無意味でもなんでも動いていれば仕事をしている気分になれる人は幸せだ。

昔聞いたことがある拷問の話を思い出す。

底の抜けたバケツで水を汲む作業。

1つのバケツからもう1つのバケツに水を移し替え戻すだけの作業。

つまり彼らがしていることは拷問なのだ。笑顔で楽しそうに拷問してくるのだ。

自分がいた職場はそういう所だった。

戻ることが正解なのかどうかわからない。だが,正直なところ生活というのはうんざりするほどお金がかかるのだ。

私はワンコとニャンコとカメを守らなければならない。彼らの生活を守らないといけない。そのために先のことを考えている。

お薬のこと 

数日前に定期通院してから薬が変わった。

抑鬱状態というか,感情が動かなくなって離人現象が起きている状態がずっと続くので,ジェイゾロフトは3錠使っていたのだが(4錠だと嘔吐してしまう),これ以上増薬できる薬ではないと,主治医の先生が判断した。

それで,ジェイゾロフトを減薬して1錠にし,代わりにレクサプロ錠と言う薬を2分の1錠夜に飲むことになった。ジェイゾロフトもレクサプロもどちらもSSRI(セロトニン再取り込み阻害薬)なのだが,強さが違うらしい。

5日間続けてみて,レクサプロは眠気が強く出ることがわかった。吐き気はあるがジェイゾロフトを増薬した時のような,下を向くと胃液が逆流してくるのとは違う,右側を下にして横になっていると収まってくる。私の胃は瀑状胃という変形している胃なので,右を下にしないと中身が溢れるようになるから右下が良い。

今まで,抗うつ剤のジェイゾロフトを1日3錠,精神安定剤のデパスを2錠,睡眠薬を2錠,それから吐き気留めと胃の薬を飲んでいたが,ジェイゾロフトが鬱にあまり効果が見られず,寧ろ感情が異様にたかぶる(怒りの感情や緊張感など)ので,寧ろ控えた方が良いとのこと。

ジェイゾロフトがデパスに勝ってしまうと,身体中が緊張して,1日中(眠っていても)拳を握って歯を食いしばっていることになるので,体にもよろしくないらしい。

10年以上前になるが,初めてジェイゾロフト(当時は1日1錠)を飲んだ時には,効果があったし,毎日泣いている状態が収まったのだが,現在の状態があの頃より更にひどいらしい。

2年半ぐらい前に,母の介護や姉や夫の入院,仕事の行き詰まり感,実家の被災で涙が止まらなかった時も,ジェイゾロフトを増量することでなんとかしのげた。少なくとも,動くことはできるようになった。

けれど,被災した実家を片付けるにしても,母の遠距離介護に通うのにしも,夫や姉の症状を病院と相談するにしても,窓口が私だけと言うのが,本当に辛かった。仕事は朝8時半から夜8時ぐらいまであった。持ち帰ってする仕事もあった。眠る時間はほとんどなかった。

そのうちにジェイゾロフトが効かなくなってきたのか,自分がますます鬱状態になったのか,感情が動かなくなり表情がなくなった。自分の体がどこで何をしているのか,それさえもわからないくらいに自分が自分から離れてしまった。「乖離してますね。離人症状です。」医師に言わせれば一言だが,この状態を説明しても,なったことがない相手に理解してもらうのはまず無理なのではないかと思う。

今回の,ジェイゾロフトからレクサプロへの薬の変更で,主治医からは「まず1週間様子を見て。1週間後にまた来てください。薬の変更は慎重にしなければいけないから。」とのことだった。なので今週また状態を報告しに通院する。

レクサプロで眠気がひどいので,今日も昨日も一昨日も,ずっと1日中眠ってしまった。一昨日はなんとかナナの散歩に行けたけれど,昨日も今日も「ごめんね。ごめんね。」と,ナナに謝って「お庭ドッグラン(周りを高めの柵で囲った庭)」で走ってもらった。

眠いので,昨夜寝る前のデパスを1錠減らしてみた。特に緊張が強くなることもなく,眠ることもできた。主治医からはデパスは依存性が強いのでできるだけ減らしていこう,と言われてもいたので,レクサプロで眠れるならデパスを減らすことができるかも,と言うのは良いことだろう。デパスを1日3錠使った時には,緊張はほぐれたが1日中ぼんやりして何かに集中することもできなかった。2錠に減らして,それでもまだぼんやりしていたが,緊張が酷いのでそれ以上減らせなかったのだ。

デパスを減らせたら,少し頭が動くだろうか。緊張が出ないようならこのままレクサプロで続けることになるかもしれない。

BTSは良いですねと改めて思ったという話

Global Citizen Liveのチャンネルをチェックしていたら,ColdplayだけでなくBTSの動画もアップされていた。

改めて「良いなあ」と思った。ただし,私には背景のソウル市内の映像がグリーンスクリーンに見えてしまう,という問題があるのだが。それは私がASDを持っているからかもしれない。ドラマや映画を見ていても「ここから先はグリーンスクリーンだ。」と思いながら見ている。それはいつものことだ。だから私はマーベルの映画を見られない。見ても変な感じがする。全面にグリーンスクリーンが張り巡らされているように見えるから。

それは置いておく。

私は小学校に入学する前はクラシックばかり聞いていて,特にバロック音楽が好きでバッハやヴィヴァルディがお気に入りだった。モーツァルトやベートーヴェンも聞いたが,実はベートーヴェンはあまり好きではなかった。ヘンデルは好きだったかもしれない。両親がクラシック音楽が好きで家にレコードがあったから。

幼児期にクラシック以外で聞いていたのは,モンキーズをほぼ毎日(テレビ番組があったから),ビートルズを時々(父のラジオから流れてきたのでビートルズ以外もあった)。小学校に上がってすぐに,シカゴの「長い夜」を聞いてすごく気に入った(母の末弟がバンドが好きだった)。

毎日毎日洋楽とクラシックばかり聞いている私を心配したのか,当時父の弟がまだ大学生で教員養成課程にいたのだが,ある日童謡のレコードを買ってきた。ありがたく頂戴したし,ほのぼの聞いたり眺めたりもしていたのだが,やはり洋楽とクラシックが好きだった(滝廉太郎も好きだった)。

小学生になってからはパートリッジ・ファミリー,ジャクソン5(マイケル・ジャクソンがいた)や日本のフィンガー5(ジャクソン5やモンキーズ,パートリッジファミリー等のカバーをしていた),ニール・ヤング,フォーカス(オランダのプログレッシヴロックバンド),ジェフ・ベック,ディープパープル,レッドツェッペリン,ザ・フー,パティ・スミス,クイーン,ジェスロ・タル(マニア向けのブリティッシュロックの大御所)などを聞いていた。特にプログレは大好きだった。

当然だが,学校で話が合う子どもは全くいなかった。一人でいるのに慣れていたので,同じ趣味の子が周りにいなくても,特に困りはしなかった。

そのまま大きくなって,クラシックと洋楽だけでなく各国の民族音楽も聴くようになり,馬頭琴(モンゴルの伝統楽器)やダブキ(アラブの太鼓)など,気に入ればなんでも聞くようになった。

「何でも」の中には日本の歌も入ってきた。というか,大人になるまで日本の歌はあまり(フィンガー5以外)聞かなかった。仕事柄若い子らと話す機会が多かったので,ヴィジュアル系やジャニーズ系も聞くようになったのだ。

また仕事柄外国人と話す機会も多かったのだが,私の雑多な音楽の趣味は,外国人の同僚からは絶賛された。ジェスロ・タルやウォーターボーイズを知っている日本人がほとんどいなかったから(ジェスロ・タルは欧米では大人気なのだが)。

その私が,最近K POPにはまっているのが,本当に不思議だ。

ここ数年,抑鬱状態が続き動くことも思うようにいかなかった私が,K POPを聞いてニコニコしているのだ。自分でびっくりした。特に好きなのがBTSなわけだが,初めてDynamite をMTVのUSチャートで見た時に思い出したのが,中学生の時に流行っていたジョン・トラヴォルタ主演の「サタディナイトフィーヴァー」だった。あれは社会現象のようになっていた(その後スターウォーズが現れてしまってかすんでしまったが)。実際BTSのMVには,ジョン・トラヴォルタの決めポーズへのオマージュのようなシーンがある。

Permission to Dance が国連でも撮影されたりビデオチャレンジが世界を駆け巡ったりしているのだが,個人的にはDynamaite と Butter , Run が好きだ(Run は「花様年華」というテーマで制作されたアルバムとその世界観に沿って作られたストーリーの重要な曲で,ル・グィンの世界観に影響されたところとかあって,楽しいダンスには向かないと思う)。

落ち込み,叫びたいのに叫ぶ声も出ない,泣きたいのに涙も出ない,感動のなかった私がちょっと笑顔になれる。それだけでもBTSに感謝したい。

通院日

このところ調子が悪く,今週初めに予約を入れていたのに,クリニックに行けなかった。体に力が入らず,目が回っていたので,とてもではないが車の運転などできないと判断した。電話でキャンセルの連絡をすると,今週はまだ空いている時間があったそうで,そこに入れてもらうことができた。体調をよく見てからにしたかったので,少し遅めの時間にした。

今通っているクリニックは,現代人,特に大人の心の病や障害へのケアのためであろうけれど,午前中はあまり早くない時間に診療が始まって,夜割と遅くまで受診が可能である。医師の方々は1日に数人いて,週に数日出て交代というようで,先生によっては土日に診療が入っているので,仕事の休みに受診する人も多いようだ。

子どもの場合は心療内科ではなく,小児科で診てもらうか,小児科に紹介された総合病院に行くケースがほとんどだろうから,心療内科クリニックといえば,受診するのは大抵大人,あるいは高校生以上ぐらいである。

大人だけといっても,それでも受診する人は多い。私は夕方の午後診療が始まって2番目ぐらいの時間帯に予約しているのだが,私と同じぐらいの人やちょっと若いぐらいの人,学生さんかな?と思われる人,いかにも仕事をしていそうな人,等々が待合室にいる。今はコロナ感染予防のためにソーシャルディスタンスが求められているので,待合室のベンチでは皆さん一人おきに座っているが,私にはそれがとても難しい。

まず,他人が触ったものに触ることが難しい。洗ったり消毒したりすれば平気。死ぬほど我慢できないものではないが,どうにも難しい。だから子どもの頃から母に消毒用アルコールを浸ませた脱脂綿をもらっていたし,大人になってからは自分で消毒用アルコールを持ち歩くようになった。

だから公共の乗り物がものすごく苦手だ。元々普通の人以上に乗り物酔いしやすいためあまり公共の乗り物に乗らず(吐いたりしたら他の人に迷惑だし)自家用車を使っているが,どうしても乗る時には吊革に掴まれない。立ってバランスを取っている。

電車やバス,病院の待合室ではイスを除菌ティッシュでさっと拭くが,それでも怖い時は座らずに立っている。そもそも,新幹線のように窓が開かない列車や観光バスは怖くて息苦しくなってしまうので乗れない。どうしても乗らねばならない場合,たとえば夫の実家に行くときの飛行機や仕事で仕方なく公共の乗り物を使う際は,安定剤を1錠多くするなどして対応してきた。

心療内科に行っても,待合室のイスを消毒する。それができない時には立っている。

今週の通院日は,予約日と時間を変更したためなのか,たまたまその時だけだったのか,待合室がいっぱいだった。いくら一人おきにベンチに座っていても,ドアを開けて入った瞬間,マスク越しにもわかるひといきれで「うっ」と唸ってしまった。そのまま待合室の一つ隣にある受付のある部屋に戻り「ここにいてもいいですか。待合室がいっぱいなんです。」とお願いして許しをもらって待つことにした。

今回の診察で医師から「体調も精神状態もあまりよろしくないようだが,ジェイゾロフトは量を変えたばかりなので,もう少し今の薬で様子を見て,改善が見られなければ薬を変える。」という話があった。

1ヶ月前に抗うつ薬のジェイゾロフトを増やして,副反応の吐き気は体が薬に馴染むにつれて落ち着いて来たから,まだしばらく様子を見るということ。

ジェイゾロフトを増やして1ヶ月続けてみて,初めの頃は下を向いただけで吐きそうになっていたのが,ここ1週間ほどはゲップとしゃっくり程度になって来た。

ただそれは,食べていないというのも関係するかもしれない。あまりに吐き気が酷かったので,食べる気になれなかったのだ。(夫には勝手に食べてもらっている。)お茶とポカリスウェットと野菜ジュース,それから何か甘い物(だいたいは小豆の煮たの)を茶碗半分ぐらい。体重が少し減ったが激減というのではない。ちょっと服の腹回りや指輪が緩くなったぐらい。

ジェイゾロフトはSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)の中では比較的効果が緩やかだそうだ。だから少量ずつ試していく初期の処方に使われることが多いという。私がこの薬を使い始めたのはもう随分前で,今通っている心療内科クリニックではない総合病院の総合診療科で処方されたのが始まり。

はじめのうちは1日1錠でなんとか調子が良くなって,だんだん2日に1錠になったのだが,職場が変わったことや(今は仕事はしていないので大分楽なのだが)母の癌手術と入院の遠距離介護,姉の自傷とミュンヒハウゼン症候群のような状態による救急搬送の繰り返し,夫の怪我と手術入院やリハビリ,実家の自然災害被災と家の消失などなど続いているうちに,1日2錠になり,更にそれでも無理ということで1日3錠になった。しかし副反応が私の感覚過敏のせいか異常に激しかったために減薬しては増やし,嘔吐を繰り返し,また減薬し,人格乖離状態になり,増薬し,嘔吐しの繰り返しになってしまった。

この次薬を変えるとしたら何になるのかわからないが,抗うつ剤の中でパキシルは既に体に合わないことがわかっているので,そこは医師と相談しなければならない。

薬の管理というのは,特に副反応や揺り戻し(精神的落ち込みがどっとくる)などの危険がある抗うつ剤では,医師と納得がいくまで話し合う必要がある。医師が受診者の言うままに大量に薬を出してくるところは,行ってはいけないと思っている。それは患者の体や生死について無責任だということではないかと考えるから。かといって絶対に正しく診断して治療してくれる医療機関というのは,少なくとも心療内科では存在しないような気もしている。

それでもなんとか生きている。

カサンドラ症候群にならないために めげそうだ

ASDがあることはわかっているのだが,本人が頑として認めない,そして周り特に身内を振り回す私の姉。両親もなくなった今,彼女の身内といえば私である。

数日前,夫がアラブ料理の定番の一つファラフェル(ひよこ豆のコロッケ)を作ってくれた。しかし,今の私は2日に一度レトルトのカレーを温めもせずに袋から食べているか,プレーンヨーグルト1パックを食べるか,丼山盛りの茹でたてスパゲッティにオリーブオイルをからめたものを食べるような状態で,食べたい気持ちはあるのだが,どうしても食べられなかった。

夫は「じゃあ,冷凍しておくね。後でフライしてあげるから食べようね。」とその日はそこまでだった。

その次の日「ついでだから週末にお姉さんの所へお見舞いに行こう。保冷バッグで冷凍したファラフェルを持っていくから,そこで揚げたてのファラフェルをみんなで食べよう。」とナイスアイディア!みたいな感じで夫は言ってきた。それもいいかもしれないね,と同意して「じゃあ週末行こう。」と私も応えた。

でも,天気が悪すぎた。今日家の周りも実家付近も大雨で強風である。こんな日に高速道路を運転していく気にはならない。よく使う高速道路の状態はよく知っているが,何箇所かは周りに山も何もなく,橋のようになっている吹きさらしの強風に煽られやすい道,夫に運転させるのも心配だった。

夫は朝早くから「さあ出かけるぞ」と身構えていたが,私は夫を説得して(天気と道路状況など色々説明して)今日は行かないことにした。

姉にその旨を電話すると「お前は来なくていいけど,ファラフェルは食べたかった。」と言われた。

お前は来なくていい。お前には会わなくていい。でもお前の旦那は来てもいいよ。料理がうまいし,話し方が優しいから。お前はきついからいや。姉の言い分はだいたいそんな内容。

それだけで電話は終わるはずだったのだが,その後姉はいかに私が彼女に対して優しくないかを延々と語り始めた。「ワタシはぁ,子どもの頃にちゃんと子どもとして接してもらっていないから,子どものように接してくれないとダメ。」などと最近仕入れた知識を振りかざしてくる。

「子ども時代がなかった」というのは,姉だけでなく私も同じだ。夫も同じだ。

姉と夫は自己肯定感がとても低い。夫にはなんとか場を明るくしようという私の意図を汲んでくれる面があるのだが,姉にはそれが全然ない。

姉とのコミュニケーションは難しい。というか成立しない。一方通行で姉からだけ情報が発せられる。そのくせ彼女は「ワタシはぁ弱いからぁ,お前は強いからぁ一方的にワタシをぉ傷つけるからぁ怖い。」と言う。「こんなに小さな子どもみたいな自分をいじめないで」とでも言うように。

誰にも言えることではない。姉は旧帝大で博士号を取った秀才だ。私が何を言っても信じてはもらえない「まさかねぇ」でおしまいだろう。

姉と話していると苦しくてしょうがない。一方的に「お前が悪い」「お前がいじめる」「お前が怖い」「お前ばかり周りに愛される(愛されているわけではないと思う)」と言われ続ける。それから姉の好きなジャニーズの話とか母のつまらない内容の蔵書の話とかを,延々と続けられる。

本当は相手をしてはいけないのだ。まともに相手をしたら私が姉に潰されてしまう。姉の必要なものが何なのか,何とか欲しいものや必要なものや状態を揃えてやろうと思っても,決してその私の行為が評価されることはない。何をしてもスルーだ。

まるで靴屋のシューフィッターさんのようだ。「お客様,こちらはいかがですか?」「お気に召しませんか?」「ではこちらはいかがですか? これもダメですか?」「では・・・・」そんなことの繰り返しだ。私が跪いている靴屋さんで姉がお客様だ。相手は遠くを見て勝手なことを言うばかり。

姉がASDなのは既に診断されていることだが,姉は私の前で怒って泣き喚いていた。今は少し落ち着いているがまだ認めてはいない。ACであることは本人も知っている。ACであるのは私も同じなのに,それは認めない。「可哀想なワタシ」「ワタシを傷つける存在のお前」そう決め付けている。ACである原因は親なのだ。それについては,長いので後に書こうと思う。

ただ今日は辛い。叫びたいくらいイライラしている。姉と話すたびにどんよりと曇った気持ちになる。ただの連絡で済むはずだった電話でこんなに苦しい思いをさせられるなんてあんまりだと思う。 

夫は私が姉のためにどれだけ苦しいか知らない。彼にとって姉というのは尊敬すべき存在なので(彼のお姉さんが良い人なので),気付かない。私の姉も善人ではある。だが本当に善人かな?と今日は感じてしまった。良い人ではある。でも善人かな?

低気圧時の体調不良 ADHD・ASDの私の対策 

今日は曇っていて湿度が高くジメジメしている。だが,いつもの低気圧の日のような体調不良はあまり出ていない。ゆっくり眠れたからかもしれない。いや低気圧がまだそんなにひどくないのかな?

ゆっくり眠ることは体調不良にはとても効果がある。それは誰でも知っていることだと思うけれど,なかなか眠れないのが現代社会の構造なのだろう。

家にずっといる生活になって,1年近くは眠ることができなかった。薬も飲んだけれど,落ち着いてベッドにいることができない性格なので,薬を飲んでから動き始めてしまうこともあり,動いている間にちょうど「眠りに入る」薬の効果が出ている時に興奮状態で眠れないまま朝,ということがたびたびあった。

ADHDがある場合「落ち着いて」「じっとして」というのは本当に大変。いつもワチャワチャ動き出してしまう。体全体が動かなくても目がキョロキョロしたり手が動いたり体を揺らしたり。

なので,睡眠薬だけでなく精神安定剤(私の場合はデパス)を使う必要がある。それに,子どもの頃から眠っている時に全身が緊張して朝になったら余計に強張っている,ということが続いているので,緊張をほぐすためにも安定剤が必要。

かかりつけのクリニックでは,デパスには依存性があるから減らすように,少なくとも増やさないように,と注意を受けている。睡眠薬を使うようになってから安定剤が増えることはないが,それ以前は「眠りを持続するため」という目的にまで安定剤を使っていたので量が増えてしまい,クリニックで「気をつけて行きましょう」と言われた。それで,眠る前に動き出さないようにするための精神安定剤,眠りを持続するための睡眠薬,という処方になった。

眠れたから今日はさほどではないと言っても,低気圧は体調を崩しやすい。

以前読んだ漢方の本や製薬会社のホームページなどには,低気圧で体に水が溜まる,という記述もあったけれど(製薬会社が漢方も出しているところだったせいか?),漢方はよく「水が溜まる」と言う。

水が溜まるかどうか知らないが,体内の圧力というのはいつもあるわけで,体の外の気圧がその体内圧より下がってしまったら,圧力が低い方に引っ張られるようにして体内の水分や血管のような柔らかい器官が膨れるだろうから,体がむくんだり,血管拡張から頭痛が起こったりする(片頭痛は血管拡張が原因と神経内科の医師に言われたことがある)と思う。体がむくむと力もなかなか入らないし気持ちが悪い。血管が拡張したら頭痛以外の問題も起こるだろう。

大抵の人は「仕事だから」「学校があるから」「部活動だから」と何かしら「〜だから」を根性の土台にして,薬を飲んだり,清涼飲料水などでリフレッシュしたり,頑張っている自分を心で褒めて脳内ドーピングしたりして我慢している。

でも,障害があると頑張りたくても頑張れない理由がある。

一つはすでにたくさん薬を飲んでいること。鎮痛剤との相性が悪い場合は普段から飲んでいる薬を優先することになる。抗うつ剤,精神安定剤,てんかんの薬,等々グレープフルーツを筆頭に柑橘系と組み合わることが厳禁の薬もある。上でも述べたけれども,睡眠が普通にとれないケースもあり(1日中起きているような状態とか),体力的に持たないこともある。

一つは過敏。障害のない人より感覚に過敏がある場合,痛みでもだるさでも倍以上の重さでのしかかってくるようだ。

発達障害のある子どもさんと関わることが多かったが,低気圧が近づくと異様にハイになって走り出し飛び上がり最後に疲れて倒れ込む,泣き出す不機嫌になる,体温が安定しない,呼吸が乱れる,などなどのケースがあった。みんな頑張っているのだが,感覚や神経の過敏さは容赦なく体を中から責め立ててくる。

「頑張れ」「根性がない」と簡単に言うのは,無知のなせる暴力だと思う。同じ天気の下にいても,体や神経の作りが違うのだ。ガラスと鉛は同じ強度ではない。

私は「頑張れ」と言う言葉が子どもの頃から大嫌いだった。どう頑張ればいいのか具体的に言ってくれればまだ良いのだが,漠然としていて方向性も何もなく無責任な言葉だ。ASDの人間には具体的に何をどうするか伝えてくれた方が良い。ADHDの子は一般的な「頑張り」を見せることが難しい。それ以前の行動がコントロールできていないのだから。

なので,低気圧の日に具合が悪い人間に対して「頑張れ」とか「根性」とか,あまり言わないで欲しい。具体的に解決策を示して欲しい。だがそれはその場では無理かもしれないが。

解決策の例1:温かい風呂に入る。自律神経を調整してリラックス効果と体内外の圧の調整ができる。足湯や手湯も良い。

解決策の例2:温かいものを食べる。これも体を温めて自律神経を調整する。(片頭痛にはコーヒーか紅茶を飲みなさい,と神経内科の先生に言われた。それは血管の拡張を抑えるため)

解決策の例3:マッサージ  耳たぶマッサージが効くと知られているけれど,むくみは足や腕が辛いからリンパに沿ってマッサージするといい。

解決策の例4:少し横になる。足を少し高くすると体内の水分の流れが良くなる。

解決策の例5:エアコンで室内の気圧を調整する。

解決策の例6:昼寝。デスクについていてもいい。子どもだったら,床にウレタンマットでも敷いて休み時間にゴロゴロさせてみてはどうか。

時代が変われば全てが変わるもので,数年前までは「運動中に水分なんかとるな」と言われていたし猛暑の中でもランニングとかあったものだが,今ではそれは狂気の沙汰である。

だから時代がかわったのだから,せめて職場に長椅子のある休憩室とかあると良いと思う。それが無理なら絨毯やラグを敷いた部屋を作って休憩時間にゴロゴロできるようにすると良いのではないだろうか。あとデスクについていてもいいから昼寝。もう自分には関係ないんだろうけれど,しんどい中で「頑張って」心身を痛めつけている人達がいるんだろうと考えてしまうのだ。

そんなことをしみじみ考えた体調がまあまあマシな低気圧の日(今日の天気は低気圧自体がそんなにひどくないのだと思うけど)。

火にかけた鍋を今日も忘れた

この時間となっては昨日のことなのだが,いつものことというか,火にかけた鍋の存在が「去る者は日々に疎し」になってしまった。

鍋は10人分のトルココーヒーを淹れるためのもので1リットルぐらいの水が入る(色々な大きさのコーヒー鍋がある)。それが半分ほどまで蒸発してしまった。大変な失敗だった。ここしばらく同じ失敗をしていなかったから油断してしまった。

自分がADHDがあることは知っているし身に染みてもいるので,普段なら「ガス点火」「鍋位置よし」「5分後には確認(目の前にデジタル時計)」と指差し確認をするのに。

別に,トルココーヒーを淹れようとしたわけではない。お湯を沸かそうとしただけ。うちにはヤカンがないのだ。白湯を準備したりお茶やコーヒーを淹れる時は,いつもトルココーヒー鍋かミルク鍋で沸かす。

やはり火を使っている時には,ガス台の前にイスを持って行って座って待った方が良さそうだ。次からはそうしてみよう。お湯が沸くまでの間はニャンコか柴ワンコをもふもふしていよう。

そして,「指差し確認」は有効だな,と改めて感じた。

カサンドラ症候群にならないように,と思うのだが。

カサンドラ症候群になってはいけない,頑張らない,と思いつつの姉との攻防。

姉は善人なのである。嘘もつけない人だ。ただ空気は全く読めない。

姉からは時々LINEや電話がくる。くるときは休みなくひっきりなしにくる。

姉が現在療養生活をしている実家付近は,春の終わりから夏にかけては雷がよく発生するのだが,周辺に落雷があって停電したためテレビを見られない,何をしていいのかわからないからもう寝る(夕方6時ぐらいに)等々のLINEが何度も入る。

それって,私に言ってどうするというかどうにかなることなのか? 私には雷を止める超能力なんかない。それと夕方6時に寝てしまったら夜中に目が覚めてしまうだろう。「眠れない」と深夜に電話をかけてこられるのは私の心身には負担である。「今寝るなら夜中に電話して来ないで」とは伝えるようにしているが。

「雷で停電だから寝る」と言ったその2日後に,姉は泣きじゃくりながら電話してきた。

内容は支離滅裂。でも所々理解できたので「〇〇ということか?」「〇〇と言いたいのか?」と確認しながらまとめてみた。

姉:職場に復帰してからも,以前通っていた病院ではなく最近通い始めた心療内科に紹介してもらって別の心療内科に行こうと思う。 

私:いやいや何回も同じ話をしているよね。今までもセカンドオピニオンをもらいに言った病院や緊急搬送された病院で「必要ない薬が大量に処方されている」と指摘されてきたよね。私や叔父さんとも話し合って「もうあの病院(職場近くで通っていた所)には行かないって約束したよね。なのにいつだって療養期間が明けて職場に戻るとあの病院に行っちゃう。意思表明じゃなくて本気でやってください。

姉:でも,やっぱり,あの病院は大学時代にかかっていた病院の信頼していたお医者さんの紹介だから,あそこ以外に行くのって抵抗がある。

私:今さっき新しく心療内科を紹介してもらって行くと言ったばかりなのに,いったい何を言っている? 大体,そんな何十年も前の医者のどこが良くてそんなに信頼している?

姉:学生時代や助手時代に通っていた病院の先生は「お薬ください」と言えば,何がどのくらい欲しいか聞いてたくさんくれた。だから好き。その先生の紹介だったから職場近くにある病院にもすぐに馴染めた。信頼している先生に紹介してもらった所以外に行くのはすごく抵抗がある。行ったことがない所や慣れない所は嫌い。

私:なんだって初めての時ってあるんだよ。初めて行く病院はその前に行ったことがないに決まってるじゃない。薬を患者に言われるまま患者の欲しいままどんどん出してくる医者なんかヤブじゃないの。

姉:だって違う病院に行くと薬(睡眠薬,精神安定剤,抗鬱剤,その他数種類の向精神薬等)が多過ぎると言われたり,手足が痙攣すると言っても何ともないと言われたりする。こちらの言う通りにしてくれない。

私:何でもハイハイと患者の言う通りにするのはもう医者じゃない。

姉:(泣き出す)大学生の時はまだ友達がいた(今は「友人がいない」といつも言う)大学で友達と会ったり話したりした時には両親から離れて自由になったと思った。仕事で外国に行っていた時も親が遠くにいて自由だった。

私:どうして今は友達がいないのかな?

ここからは姉は泣きじゃくってまともに話せない状態になった。「どうして友達がいないのか」という問いは彼女にはきつかったと思う。

その後,姉は私がすすめて通い始めていた心療内科の予約を何度かキャンセルした。電話をかけてきては,呂律が回らないのに盛んに体調が悪くてかわいそうな自分の話をしていた。私自身が体調も精神状態も悪くて動けないでいることが理解できていなかったのかもしれない。

さらに数日後の朝まだ早いうちに,実家のある町の病院から電話がきた。姉が救急車で搬送されたとのことだった。自分で119番に電話したということだった。電話してきたのは病院の看護師で,

「点滴をしています。もうすぐ終わります。本人はまだ体も頭もグラグラするからもう少し病院にいさせて欲しい,できれば入院させて欲しいと話しているのですが,ちょっと脱水気味でしたがどこも悪くないですし,いざ本当に入院が必要な方のためにベッドは確保しておかなければいけないのでお迎えをお願いできますか?」とのこと。

「姉は携帯を持っていますか?」と尋ねると「持っているそうです」との返事だったので,一度切って姉にかけてみると呂律は回らないが話はできる。一人でいるのが寂しいから病院なら構ってくれるはず,というほど極端ではないが構って欲しいから構ってもらっているだけ,と言う様子。

体は大丈夫と判断し「タクシーをお願いして自分で帰ってきなさい。」と姉に伝えた。再度病院に電話をかけて「申し訳ありません。私はそちらから車で何時間もかかる場所に住んでいまして,今自分が体調が悪くて休養しています。姉は自分でタクシーを呼んで帰れる状態なので帰るように言ってください。」と看護師に頼んだ。

実家に着いたと思われる時間に姉に電話して様子を聞いた。「ちょっと待って,何を言っているのかわからない。」と何度も言う。わからないと言うよりは,聞いていない。

姉も私も朝早くから人とのやりとりをしていたので「今は寝なさい」と姉に言って電話を切った。夕方電話しなおしたら姉はちゃんと眠れたそうだった。

でも私は眠れなかったのだ。早くから起こされて看護師や姉の話を聞いて,困っている看護師に姉をどう説得するかコツを伝えて,救急車が来たことでびっくりしたであろう実家の隣近所にお詫びの電話をしていたのだ。

私も「だめだこれでは振り回されてしまう」と思うのだが,姉に振り回されるご近所や(本当に心配して私にも「お姉さん大丈夫だった?」と電話してくれた)病床が不足している田舎の病院の看護師さんに申し訳なくて,せめてそちらへのお詫びはしておかなければいけない,とか,とりあえず自分が眠るのは後にしよう,とか考えてしまったのだ。

姉は性格は普通に善人で頭は非常に良い人なので,私が彼女のことで苦労するなんて,多分誰にも想像はできないだろう。