アダルトチャイルド(チルドレン)と心療内科

ACというのは某広告の広告ではなく「アダルトチャイルド(チルドレン)」の略称で,カウンセリングや心療内科にお世話になると聞くことがあるかもしれない。興味がある人なら知っている単語。

アダルトチャイルドと言うと勘違いされやすいが,大人になっても子どもみたいな人のことではなくて「子ども時代に大人のように振る舞わなければいけなかったために,人間の成長過程の土台が構築できなかった人」のことである。

人間の心や感情を建物に例えて考えると,どんな建物でも土台(土の中の杭とかコンクリートとか)が必要で,土台の上に順々に材料を組み立てていくわけだが,ACの場合は土台がない所に無理やり建材を載せているので,グラグラしたり,床から腐ってきたりした状態になる。

家で言ったら住みにくいし,人間だったら生きづらいし,いずれにしてもいつ崩れるかわからない。

ACという単語は元々は「アルコール依存症の親(保護者)がいる家庭で育ったこども」が主な対象だったが,アルコール依存症の他にも親が親として機能していない家庭で育った子ども対象となった。

アルコールを摂取すると人間の脳は本人が自覚していなくても機能不全に陥る。体幹維持もままならなくなり記憶や理性の欠落が生じる。

記憶がないので約束も破ることが頻繁に起こり(覚えていないから破った自覚はない),理性が働かないので暴力をふるうこともある。

そのような状態の親のもとで育つ子どもは,常に親の状態を気にかけていなければならない。

時には子どもが動けなくなった親を介抱したり,親の代わりに家事もしたりしなければならない。アルコールで記憶が欠落している親にはそんな子どもの苦労は全く認識されない。子どもが親の親代わりにならなければいけなくなる。

本当は子ども時代の人間としての精神を育むべき時期に,子どもらしい体験もしないまま大人として振る舞わなければならない。土台のない建物になる。

このような状態を「機能不全家族」と呼ぶ。

機能不全家族が生じ得るのは,親がアルコール依存症の場合だけではない。薬物やギャンブルなど,他の依存症の場合はもちろん,親が親として子どもを保護し成長に必要なケアを与えることができないのであれば,親がADHDやASDの場合等親が何らかの障害を有している場合,親自身がACである場合など「子どもが子どもであることが許されない」状況は機能不全家族になることが多いと言われる。また,経済的貧困や戦争なども機能不全家族が生まれる原因となりやすい。

私はADHDやASDの診断を受けるよりもずっと以前,10年一昔と言うならば二昔以上前にACであると診断された。私の家は,外から見るとむしろ「恵まれた家庭」だった。だが両親は子どもと向き合って話すこともなく,子どもの健康状態にも興味がなく,子どもが何をしているのかにも興味がなく,興味がないのに子どもが友達を作ることは好まず,子どもが子どもらしい遊びや子ども自身にとって楽しいと思えることをするのを好まず,子育ては私にとっての父方の祖母に任せ,その父方の祖母を両親そろって毎日罵倒し時には手をあげていた。その様子は私には両親が祖母を虐待しているようにしか見えなかった。祖母を庇おうとすると私も手を挙げられ罵られた。

両親にとって,学校の成績は良くて当たり前,テストは100点が当たり前。私も姉もそう言うものだと思っており,いつも100点だったが特に褒められたこともない。

私には生まれつき消化器系の疾患があり,頻繁に腸閉塞になっていたが,七転八倒して苦しむ私に両親は「気のせいだ」と言うだけだった。具合が悪くなるといつも,父方の祖母が嘔吐して泣き叫ぶ私を背負ってバス停や駅まで走り,病院へ連れて行ってくれた。祖母がいなければ私は幼児期に命を落としていたと思う。そして私は子どもの頃から注射や点滴なんて慣れっこだった。大昔のこと田舎のことでもあって,病院の職員の人達も顔見知りで祖母も一緒だったので,保険証などの提示も特にしないまま処置を受けていた。

小学生になってからは,自分一人で病院へ行った。祖母には祖母でしなければならない仕事がたくさんあったから,自分で行こうと思ったのだ。

流石にその頃になると世の中でも保険証を受診時に提示する流れになっていたので,具合が悪いと自分で判断し,父親に頼んで保険証を貸してもらい(当時の保険証は被扶養家族は扶養者の保険証に名前が書かれていた紙だった),母に頼んで受診料と交通費その他諸々に必要なお金をもらって,一人で列車に乗って一駅の病院へ行った。その間腹はずっと痛いし吐きそうだったが我慢した。

小学低学年からずっとそんな状態だった。

私は手術を受けたかったのだが,母が「絶対にだめ」と反対していたので,未成年のうちは手術を受けられなかった。成人し,自分で働いて得たお金で手術を受けた。

本当は,新生児の段階でわかって手術を受けるのが一般的な病気だった。ヒルシュスプルング病と言う。だが母も父もあまり私の健康状態に興味はなかったのだ。

ネグレクトに近い状況だった。

ACのことや家族のことを書いて行くと非常に長くなる。なので,一つの例として,こういう状態はACなのだ,ということだけ書いてみた。

ACの子どもが大人になってもACのままであれば,放っておくと親から子へ子からその子へと延々と続いてしまうものなので,どこかでこのループが断ち切られると良い。私は,ACの症状で数年心療内科に通い,自助グループワークに参加した。

その心療内科で「あなたにはADHDがあると思いますよ。」と告げられたのだ。そして20年以上経ってから引っ越した先の心療内科でADHDとASDの診断を受けた。

心の病気や障害は,一人で抱え込むより第三者の専門家に相談する方が良いと思う。自分だけどうしてこうなるの?自分がいけないの? と一人で悩むよりも客観的に原因がわかれば対処法も見えてくるから。

ただし,私の姉がかつて受診していた精神科では,患者が「これこれの薬をこれだけください」と言うとそのまま処方し,更に患者の症状に関係ない薬まで大量に処方していた。病院内薬局であったため薬剤師との相談もなかった。問題を感じる。

心療内科でもどんな病院でも,理性的に患者の状況を見て丁寧に解説してくれて不必要な薬は出さない(必要なら出す)所が良い。そしてこちらの話を遮らずに聞いてくれること。

心療内科の診察時間は大体一人20分程度。これ以上ダラダラ喋っていても愚痴の垂れ流しになってしまうから。この時間内に自分の状態を言語化して医師に伝え,医師からの説明や助言を受け,治療について話し合って決める。これは20年前に初めて心療内科で説明されたこと。今通院しているクリニックでも同じである。

感情が溢れてしまって肝心の症状を伝えられないといけないし,本人が自分を客観視して自分の症状を適切な言葉で表現すること,そのために最適な時間が20分なのだそうだ。時間の制限があることで,自分の言葉を吟味することもできる,と言う意味合いもあるそうだ。

自分の伝えたいことは,その都度一言メモなどしておくとまとめやすい。私はメモを失くすかもしれないので携帯のメモ機能を使っている。後で文書としてコピーペーストできる。

ACで辛い人はたくさんいるのだろう,と思いつつ経験談を書いてみた。

散歩の力

鬱病も適応障害も,家の外に出ることが難しいものだ。だが,この外に出ることは鬱病や適応障害のリハビリテーションのようなものなのだそうだ。

それに外との関わりが切れてしまったら生活が成り立たなくなってしまう。必要最低限だけ外と関わるところから,少しずつ範囲を広げていけると良いのかもしれない。

家の中にいると気持ちは少し落ち着いているが,ソファで毛布にくるまったまま,床にうずくまってダンゴムシのように丸くなっているままでは,体にも心にも良くないことはわかっている。わかっているのだが体は動かない。力が全く入らない。

階段の昇り降りができなくなって,2階にある寝室に行けなくなった。今は1階のリビングにあるソファで寝ている。階段を昇る時には手をついて四つ這い。降りる時には,四つ這いで後ろ向きに降りるか,両手で支えお尻をついてズルッズルッと滑るようにして降りる。

家の外に行けば段差もあるし坂もある。

人もいる。車もある。情報が頭の中に押し寄せてくる。

外に出るのは怖いし歩けるかどうか心配になる。

そんな恐怖に似た行為が,柴犬ナナの散歩のおかげで可能になる。

ナナが散歩に行きたそうな様子で寄ってくると,一緒に歩けないことが申し訳なくなる。ナナはもう12歳。あとどれだけ一緒に歩けるのかわからない。今しかないから,一緒に歩きたい。

夫がナナの散歩に行ってくれる時は,夫はナナの排泄の始末ができないから、私がナナを庭で走らせトイレに行きたい様子が見えたところでトイレに行かせて排泄させる。ナナが庭に出るだけでも,外に触れることになる。庭のクヌギの木に集まる鳥の声やセミの声を聞き,風の音を聞く。家の外を恐れていたはずなのに,いつの間にかリラックスしている。

ナナに引きずられるようにして歩いていると,人や車や多すぎる情報は恐ろしいけれど,それでも並木の葉ずれの音や木々や電線にとまる鳥の声が嬉しくなる。草の間から虫の声がすると季節のうつり変わりを感じる。動かなかった足がゆっくり前に出る。

動き出さなければ動かないままだ。

今はまだ一人で外を歩くのが恐ろしい。ナナがいるからなんとか動ける。ナナと一緒の時間を大切にしたい。ナナは忍耐強く私を支えてくれる。

障害のある人のメンタルを支えるセラピーアニマルという存在もある。動物と一緒にいることで周囲に対する恐怖が軽減する。ナナは私の家族でセラピストでもある。

人によって外に出るためのきっかけや力の源は違うのだろうけれど,私のパワーはナナに与えられている。