カサンドラ症候群にならないように,と思うのだが。

カサンドラ症候群になってはいけない,頑張らない,と思いつつの姉との攻防。

姉は善人なのである。嘘もつけない人だ。ただ空気は全く読めない。

姉からは時々LINEや電話がくる。くるときは休みなくひっきりなしにくる。

姉が現在療養生活をしている実家付近は,春の終わりから夏にかけては雷がよく発生するのだが,周辺に落雷があって停電したためテレビを見られない,何をしていいのかわからないからもう寝る(夕方6時ぐらいに)等々のLINEが何度も入る。

それって,私に言ってどうするというかどうにかなることなのか? 私には雷を止める超能力なんかない。それと夕方6時に寝てしまったら夜中に目が覚めてしまうだろう。「眠れない」と深夜に電話をかけてこられるのは私の心身には負担である。「今寝るなら夜中に電話して来ないで」とは伝えるようにしているが。

「雷で停電だから寝る」と言ったその2日後に,姉は泣きじゃくりながら電話してきた。

内容は支離滅裂。でも所々理解できたので「〇〇ということか?」「〇〇と言いたいのか?」と確認しながらまとめてみた。

姉:職場に復帰してからも,以前通っていた病院ではなく最近通い始めた心療内科に紹介してもらって別の心療内科に行こうと思う。 

私:いやいや何回も同じ話をしているよね。今までもセカンドオピニオンをもらいに言った病院や緊急搬送された病院で「必要ない薬が大量に処方されている」と指摘されてきたよね。私や叔父さんとも話し合って「もうあの病院(職場近くで通っていた所)には行かないって約束したよね。なのにいつだって療養期間が明けて職場に戻るとあの病院に行っちゃう。意思表明じゃなくて本気でやってください。

姉:でも,やっぱり,あの病院は大学時代にかかっていた病院の信頼していたお医者さんの紹介だから,あそこ以外に行くのって抵抗がある。

私:今さっき新しく心療内科を紹介してもらって行くと言ったばかりなのに,いったい何を言っている? 大体,そんな何十年も前の医者のどこが良くてそんなに信頼している?

姉:学生時代や助手時代に通っていた病院の先生は「お薬ください」と言えば,何がどのくらい欲しいか聞いてたくさんくれた。だから好き。その先生の紹介だったから職場近くにある病院にもすぐに馴染めた。信頼している先生に紹介してもらった所以外に行くのはすごく抵抗がある。行ったことがない所や慣れない所は嫌い。

私:なんだって初めての時ってあるんだよ。初めて行く病院はその前に行ったことがないに決まってるじゃない。薬を患者に言われるまま患者の欲しいままどんどん出してくる医者なんかヤブじゃないの。

姉:だって違う病院に行くと薬(睡眠薬,精神安定剤,抗鬱剤,その他数種類の向精神薬等)が多過ぎると言われたり,手足が痙攣すると言っても何ともないと言われたりする。こちらの言う通りにしてくれない。

私:何でもハイハイと患者の言う通りにするのはもう医者じゃない。

姉:(泣き出す)大学生の時はまだ友達がいた(今は「友人がいない」といつも言う)大学で友達と会ったり話したりした時には両親から離れて自由になったと思った。仕事で外国に行っていた時も親が遠くにいて自由だった。

私:どうして今は友達がいないのかな?

ここからは姉は泣きじゃくってまともに話せない状態になった。「どうして友達がいないのか」という問いは彼女にはきつかったと思う。

その後,姉は私がすすめて通い始めていた心療内科の予約を何度かキャンセルした。電話をかけてきては,呂律が回らないのに盛んに体調が悪くてかわいそうな自分の話をしていた。私自身が体調も精神状態も悪くて動けないでいることが理解できていなかったのかもしれない。

さらに数日後の朝まだ早いうちに,実家のある町の病院から電話がきた。姉が救急車で搬送されたとのことだった。自分で119番に電話したということだった。電話してきたのは病院の看護師で,

「点滴をしています。もうすぐ終わります。本人はまだ体も頭もグラグラするからもう少し病院にいさせて欲しい,できれば入院させて欲しいと話しているのですが,ちょっと脱水気味でしたがどこも悪くないですし,いざ本当に入院が必要な方のためにベッドは確保しておかなければいけないのでお迎えをお願いできますか?」とのこと。

「姉は携帯を持っていますか?」と尋ねると「持っているそうです」との返事だったので,一度切って姉にかけてみると呂律は回らないが話はできる。一人でいるのが寂しいから病院なら構ってくれるはず,というほど極端ではないが構って欲しいから構ってもらっているだけ,と言う様子。

体は大丈夫と判断し「タクシーをお願いして自分で帰ってきなさい。」と姉に伝えた。再度病院に電話をかけて「申し訳ありません。私はそちらから車で何時間もかかる場所に住んでいまして,今自分が体調が悪くて休養しています。姉は自分でタクシーを呼んで帰れる状態なので帰るように言ってください。」と看護師に頼んだ。

実家に着いたと思われる時間に姉に電話して様子を聞いた。「ちょっと待って,何を言っているのかわからない。」と何度も言う。わからないと言うよりは,聞いていない。

姉も私も朝早くから人とのやりとりをしていたので「今は寝なさい」と姉に言って電話を切った。夕方電話しなおしたら姉はちゃんと眠れたそうだった。

でも私は眠れなかったのだ。早くから起こされて看護師や姉の話を聞いて,困っている看護師に姉をどう説得するかコツを伝えて,救急車が来たことでびっくりしたであろう実家の隣近所にお詫びの電話をしていたのだ。

私も「だめだこれでは振り回されてしまう」と思うのだが,姉に振り回されるご近所や(本当に心配して私にも「お姉さん大丈夫だった?」と電話してくれた)病床が不足している田舎の病院の看護師さんに申し訳なくて,せめてそちらへのお詫びはしておかなければいけない,とか,とりあえず自分が眠るのは後にしよう,とか考えてしまったのだ。

姉は性格は普通に善人で頭は非常に良い人なので,私が彼女のことで苦労するなんて,多分誰にも想像はできないだろう。

コロナ予防ワクチン接種をして

昨日,1回目のCOVID-19感染予防ワクチンを接種した。

大会場と言われるような場所だったから,人が多かった。「密」を避けるためということで立ち位置や待合のいすの位置などはテープで印がついていた。が,「やっぱり人が多いな。」というのが正直な気持ちだった。

会場の外にテントが張られていて,その中に置かれたパイプいすに座って会場に入れてもらう順番を待つ。しばらく待つと5〜6人ずつ会場に入る。入ってすぐの所にもパイプいすの列があって再び座って待つ。またしばらく待ってから書類確認のコーナーに行くように促される。確認書類は,市町村等から届いた接種券と予診票(問診票ともいう),それから何か身分証明になるもの。運転免許証を出している人が多かった。「書類OK」となると次はやっと受付コーナーに並ぶことができて,受付を終えたらすぐに医師の座る接種コーナーに案内されてパパッと接種完了。その後会場内の指定された場所に15分間座って経過観察をし,何もなければ帰って良し。

接種後に15分待つのが面倒だった。面倒でも予防接種で具合が悪くなった人がいるという報告もあるので,念には念を入れてくるのだろう。

私の名前は少し読みにくい漢字なのでいつも間違えられるのだが,書類確認コーナーでも受付コーナーでも,予診票の名前を正しく読んでもらえた。しかし最後の一番間違えてはいけないであろう接種コーナーのお医者さんが間違えて呼んで返事も待たずに「腕は利き手じゃない方で」と言いながら注射の準備をしていた。いやいや漢字だけなら読めなくても仕方がないし間違えられるのにも慣れているけれど,カタカナで読み仮名がついているのに何故間違えるのだろう? 医者も疲れて頭が麻痺してきているのではないだろうか,と気の毒になった。と同時に「もし違う人だったらどうするんだ?」と怖くなった。

注射自体はあっさり終わった。「ちくっとしますよ。痛かったら言ってください。」と声をかけられたけれどチクリともしなかった。どこに注射したのかもわからないくらい。

家に帰って鏡を見たが,針の痕も見当たらないし痛くもないし,「へぇ,こんなもんか。」と思った。

そして翌日である今日,腕が痛い。筋肉痛みたいな痛み。インフルエンザの予防接種のように痒くなることはなかった。だが痛い。四十肩みたい。後ろに回せないし高く上がらない。でも赤くもないし腫れてもいない。こういう反応をすることがある,と一人一人に配ってくれたリーフレットに書かれていたが,やっぱり痛かった。甘く見ていた。明日は少しマシになると良いのだけど。

友達があまりいなくても幸せかもしれない

「1年生になったら」という有名な童謡があって,歌詞の中に「友達100人できるかな」というのがある。

100人も友達がいる人って信用できるかなあ?

今日は「友達100人できるかなの呪縛を解こう。友達は量より質が大切」という記事を読んだ。

https://suits-woman.jp/column/himote/220031/

昔の同僚に「恩師」と「親友」が何十人もいるような人がいた。「親友の結婚」「〇〇先生は私の恩師なんです」という話を何十回も聞いた。

その人に対する私の感想は「正気か?」「上っ面だけの付き合いが好きなのかな?」だった。

私には心置き無く話せる友人が数人いる。結婚披露宴を兼ねた食事会にもその数人に来てもらった。丸いテーブル一席で足りる人数。親友というか,隠し事なく何でも話せて共感できる友人が一人いる。その友人は外国人で外国に住んでいるので披露宴には来ていない。やはり外国人だが結婚の証人になってくれた友人が一人。

「恩師」は3人かな?  

一人は小学校の1〜2年生の持ち上がり担任の先生。授業中に一人で喋り出したり立ち上がったり,そうかと思えば発表で指名されると真っ赤になって遠くを見ていたり,他の子達と全然会話が噛み合わなかったり一緒に遊べなかったりした私を根気よく見てくれた。「指導」はちょっと無理な状態だったので「見守り」だったと思う。小学校3年生以降中学卒業までは学校の先生に邪魔者扱いされてきたのから,あの先生は「恩師」だと思う。

高校は県内では割と知られた進学校だったので,先生達は生徒のことにはあまり構わず休んでも気づかないくらいだった。

大学で出会った「恩師」が2人。一人は芸術科目の教授で,もう一人はアメリカ人の教授だった。芸術の教授には「お前さんはそのままでいいよ。それが個性だよ。」と言ってもらった。アメリカ人の教授には英語で聖書を読む講義を受けた。その教授も「あなたはいろいろなことができるんですよ。素晴らしい個性があるんです。」と言ってくれた。大学生になって生まれて初めて先生に褒められた感じがした。

友人達に出会ったのも高校や大学や社会人になってから。

確かに小学校や中学校の同級生も「ともだち」なのかもしれないけれど,どうしても間に見えない壁があって近づけない。彼らのせいではなくて,それは私が発達障害を持っていたからなのだ。それはよくわかっている。

でも,発達障害がなくても友達があまりいない人はいるし,「友達100人できないと人間としてダメなのか?」なんて思わなければいけないとしたらあんまりだ。

自分が小中学生の頃,本を読みたくて図書室に行きたいのに「休み時間には友達と外で遊びなさい。」と強制的に校庭に出そうとする教員がいた。自分が教員になってからも同じような教員方に会ってきた。「休み時間に一人でいる子は問題児だ」と言う人たち。でもその一人ぼっちでいた子が,例えば「作文」「絵画」「読書感想文」等々の一人で仕上げなければいけないもので賞を取ったりしたら,態度を変える。

そういうのが苦手だった。

自分にとっては,これからも友達は「量より質」というか「量より性質」で,一緒にいても苦しくない人なんだと思う。

それに動物がいる。動物,それから植物や空気や空や川やなんだかんだ自然に話しかけている時はとてもリラックスできるのだ。

ブリトニー・スピアーズが初めてiPadを手に !?

https://news.yahoo.co.jp/articles/0767326de6bcbb9bdd7e7c3d3786cf2d25d414c0

ブリトニー・スピアーズが生まれて初めてiPadを入手して,それはそれはハッピーな気持ちになったというニュースを読んだ。

ブリトニー・スピアーズはデビュー当時ビデオが賛否両論大変話題になって,スターになったと思ったら奇行が目立ち始めてパパラッチに追い回され,メディアに否定されまくり,いきなり結婚,出産,離婚,それからの劇的復活。ずっとリアルタイムでそういう記事を見てきた。デビュー当時はそんなに好きではなくて,一時期人気が落ちてからスターとしてカムバックしてからの彼女の方が好きだった。

そしてずっと考えていた。彼女の親は最低だな,と。

私が先に「毒親」と思ったのは母親だった。

母親は仕事を辞めて,自分がいかに良い母親で素晴らしい子育てをしたかを本にして売り,娘の初体験の相手が誰だったかなどということまでメディアに露出していた。これのどこが良い母親なのか。

最近では,ブリトニーの奇行が目立っていた時期からずっと父親が彼女の後見人としてお金を自由にしていたことや,早くに結婚や離婚を経験した彼女が誰とも交際できないように見張っていたことなどが,ブリトニー本人によって明言され,更には後見人を停止して欲しいと彼女が裁判に持ち込んだ。

父親も「毒親」だった。

子どもの頃からずっと働いて働いて親や妹(今は一応芸能人)を養って,生活上の自由もなく,感情を押さえ込まれながら,ストレスからのアルコールや薬の疑惑や万引き現行犯逮捕などを経て,ブリトニー・スピアーズというアーティストとして人間として立ち上がろうとしている彼女には,今度こそ人としての尊厳を勝ち取ってもらいたい。

今ではかなり多くの家庭で普及しているiPadやタブレット,それをブリトニー・スピアーズほどのスターが手にしたことがなかった(自分の子ども達には与えたが自分自身の物,自分自身が使えるものがなかった)という。ごくごく普通のワクワク感を持つことも許されなかったのかと思う。

子どもらしい子ども時代なんてなかったのだろうと思う。

自分で手に入れた自分のためのiPad, 存分に楽しんで使い倒して欲しいと,音楽ファンとして思う。

BBCがガンダムをトランスフォーマーと間違う

昨日あたりあちこちのニュースに出ていた。

イギリスのBBC(NHKみたいなところ)が,オリンピック競技の背景に映り込んだお台場のいわゆる等身大のガンダムを「トランスフォーマー」と紹介したので,世界中のガンダム・ファンやトランスフォーマー・ファンを怒らせたみたいだよ,という記事。

https://twitter.com/BBCSport/status/1423218128134279171

トランスフォーマーだって,元はアメリカのおもちゃが日本に渡って日本で改良されてアメリカに逆輸入されたものだから,日本と関わりがあるといえばある。でもガンダムではない。

どこの国にどんな観光地があるか名所があるか,などはその国に興味があって調べている人ならわかるかもしれないが,BBCの人も普通の人で,つまり何も知らなかったのだろう。

トランスフォーマーに関しては,映画はあまり好きではなかったがリンキンパークの音楽は好きだった。YouTubeから貼り付けようと思ったが「再生できません」なので諦める。タイトルは New Divide と What I’ve done 特にWhat I’ve done は人間が地球でどんなことをしてきてどんな問題や悲劇が起こっているかを表現している。リンキンパークにはそういった人間の脆さや危うさを表した曲が多くてビデオも面白い。リード・ヴォーカルのチェスター・ベニントンが亡くなってしまったことが何とも切ない。きっとこの世で生き続けるには繊細すぎた人だったのだろう。

ガンダムは最近「閃光のハサウェイ」という映画も公開されて,ファースト・ガンダムで頭の中が止まっている私には「え? ブライトさんて一回ミライさんに振られてるよね。いつ結婚したの?」という驚きが先に来た。

ブライトさんというと,アムロを引っ叩いて「父さんにも殴られたことないのに」というやりとりがあったなぁ,なんて思い出す。

これを頻繁に思い出すのには理由がある。

私と夫が結婚して間もない頃に,ADHDあるあるの「怒り出したら自分で止められないし,なぜ怒っているのか本人もわからなくなる」状態になった私が夫を怒鳴りつけてしまった時に「怒った。お母さんにも怒られたことないのに。」と返されて「キミはアムロ・レイかぁ。」と言って笑い出して元に戻ったという経験があったから。

それ以来,夫に対して何かムカッとなっても「彼はアムロだから」「坊やだからさ」と心の中で呟くとエヘヘと笑いそうになるのである。よくよく深刻な場合は,私の顔が「深刻だ」という顔になって誰のことも見なくなるので夫にはわかる。そうすると「怒る?」「怒ってる?」と機嫌を伺ってくれるのだが,その様子は『ぼのぼの』に出てくるシマリスくんお「いぢめる?」みたいである。

それはさておき,BBCやっちゃったなぁ,というか反響がすごかったらしい。また,同じガンダム・ファンの中でも「あれはユニコーン(ガンダムの型)だ」とか「ユニコーンならライトはこの色でなければ」とかとても盛り上がっている。間違ったことに対して怒る人があまりいなくて,寧ろ助け舟を出しているようなコメントがたくさんあって面白い。

私は諸事情あってTwitterは見るだけで自分ではやらない。例えば,自分の中では,ある一つの単語を思い浮かべると,次々と連想して言って全く違う方向に行ってしまうことがしばしばあるから。それはBBCのガンダムの話を書いているのに夫のシマリスくんぶりになってしまうのとほぼ同じ。

実はこれのせいで学生時代は授業中に板書をノートに書けなかった。それは,後で書こう。また長くなるから。

その子との会話

うちは長屋風のアパートで中に入るとメゾネットになっている。建物の表側に庭があり,建物に囲まれるようにして中庭もある。それぞれの庭は鉄製の柵で囲まれているので長屋というより一戸建てのような雰囲気になる。

その一風変わった建物のせいか,入居者は外国人の家族が多い。考えてみれば私の夫も外国人である。

中庭で遊び子ども達の声や庭先でペットと戯れる大人の声が,家の中まで聞こえる。ラテン系やアジア系の外国の言葉が飛び交うのが心地よい。ラテン系の言語はアラビア語に似たところもあるので,夫などは懐かしい気分になるようだ。私にとってもアラビア語や地中海岸を思い出させてくれる響きだ。

今日は柴犬ナナの散歩に出る時,そのうちの一軒のお宅から女の子が出ていて縄跳びをしていた。以前は日本語が苦手だからと恥ずかしがっていたが,今日は彼女から話しかけてきてくれた。ずいぶん日本語が上手になっている。まだ就学前のようなので大人と違って新しい言語を吸収するスピードが速いのだろう。

「この子(ナナのこと)は男の子?女の子?」「女の子だよ。」

「名前は何?」「ナナだよ。」

「茶色と白ね,かわいいね。」「そうかわいいよ。」

「猫もいるね。」「猫もいるよ。」「中にいるの?」「中にいるよ。一緒だよ。」

日本人が初めて習う外国語のような会話だったけれど,恥ずかしがって大人の影に隠れることが多かった子が,こんなに積極的に(でもはにかんだような表情も少し見せつつ)話しかけてきてくれたことが嬉しかった。

今日も暑い日だったので,予定では散歩はもう少し遅い時間帯のはずだったのだけれど,ナナが「散歩に行こう」とグイグイきたので早めに外に出た。だからあの女の子に会えたので,ナナは彼女が庭に出てきたのがわかったから会いたかったのかなと思う。

彼女はこれからどんな言葉を覚えていくのだろう。どんな人に出会って話をしていくのだろう。

私が住む地域は割と外国人が多いので,場所によってはいくつもの言語が入り混じって聞こえるようなことは度々ある。全部の言語を覚えていくのは無理だと思う。でも誰かと話をしてみようという気持ちになれたら,それはすごいことだ。

動けない日もある

大分調子が良くなってきたつもりだったが,動けない日は本当に動けない。夏だというのに毛布にくるまってソファの上でじっとしている。「あ,熱中症になるとまずいな。」と思って窓を閉めてエアコンをつける。

柴犬のナナを庭に出して運動させるためはき出し窓を開けておいたのだが,建物の向きの関係で風は入ってこない。室内は窓を閉めてカーテンを引いておけば外よりかなり涼しいのだが,窓を開けているとそうもいかない。でもナナが庭をタッタッタと走っているのを見るととても嬉しい。

ナナも外気温35度などという状態では長くは外にいられない。が,幸いなことにうちの庭には大きなクヌギ,クワ,ニセアカシア,モミジの木があるので日陰になるので,ナナは10分ぐらいは走っている。いい加減にあつい(最近の夏は「暑い」というより「熱い」感じになる)となると,ナナは「中に入れてよ」とアミドン(壁ドンみたいに網戸に当たってくる)してくるので網戸に穴があく前に室内に入れないといけない。

今日は天気が良かったから,本当は夕方涼しくなってからナナの散歩に行きたかったのだ。

けれどここ数日また低空飛行になってきた。昨日は散歩に行けたが一昨日と先一昨日は行けなかった。なので庭で走ってもらう。

ペットがいるから,何とか動いて生きている気がする。「ペットの世話が大変でしょう」と言われることもあるけれど,彼らがいるから世話しなくちゃいけないから,彼らに心のお世話をしてもらっているから,どうにかこうにか立ち上がる。

動けない時には「ナナちゃんごめんね」と謝りながら,モフモフさせてもらう。猫をぼけ〜っとなで,カメに話しかける。

ASDのある場合,慣れないものを受け入れがたくて苦手なこともあるけれど,好きな場合はものすごく好きというのがあって,自分は動物が大好きだし,人間と関わると疲れ切ってエネルギーが枯渇するけれど動物からはエネルギーをもらえる。

動ける日も動けない日も動物達に感謝する。

しかし,今週はすごく疲れる。理由はわかっているんだが。やっぱり参った。

カサンドラ症候群にならないために でも頑張らない①

 姉との関係については,いつも悩むところである。姉も悩んでいるようである。お互いに「こいつは何で一方的に喋っているんだ?」と思っているかもしれない。

 ちょっと覚え書きとして姉との攻防を書いておく。

    ある日親戚(実母末弟の家族)に食事を一緒にどうかと誘われ,叔父の長男嫁が迎えに来てくれて、姉が外出したらしい。夜10時から11時頃にかけて何回もラインがきた。本人が吐き出したいことを吐き出しているようだった。何時間もかかりそうなので,付き合いきれないので寝るように伝えた。

 なかなか言うことを聞かずずっと喋っていた。内容は,叔父宅でついつい気持ちを吐き出してしまったこと,現在は休職中で収入はないこと。なのに理解してもらえないこと。

 以前から色々な人達に「学校の先生は休みが多くていいね」「休んでいてもお給料をもらえるからいいね」と言われることはあった。そのたびに「教員には夏休みも冬休みも春休みもない」「幼児児童生徒学生がいない時も教員は仕事をしている(事務仕事だったり教材作成だったり)「休職中は給料は出ない」「残業手当は出ない」「毎日数時間残業があり休日出勤もあるがサービス残業」と話しているのに全然理解してもらえない。その辛さは私にもわかる。自分もそうだったから。

 叔父達との会話の中で,私について彼女が勝手に解釈していることを喋った模様。「お前も仕事に絶望していると伝えた」という。 

 私は自分の仕事については「もう自分がやることはやり尽くしたから良いかなと思うんだ。病気や障害のこともあるし,今は心身を休ませて未来を考える時間にしたい。」と話したことはあったが「絶望した」などとは一言も言ったことはない。

  姉は自分が言いたいことだけ言って考えたいことだけ考えているので,自分の気持ちと混同している。私が「そんなことは言ってないよ。これこれこういう話はしたよ。」と訂正しても絶対に彼女には届かない。

 姉とのやりとりはすごく疲れる。

 姉に限らず誰と話しても私はすごく疲れてしまうのだが。姉との会話のこの不毛さはいったい何なのだろう。

 姉は最近自閉スペクトル(アスペルガー障害)と診断されたが,本人は絶対に違うと思っている。医師がどんなに説明しても聞いてはいない。かといって医師に対して何を話すわけでもない。

 姉はとても知識が豊富で非常にお勉強ができる人だった。だから社会的地位は普通にある。だが,彼女の知識は決して誰かと共有できない。

 子どもの頃の私にとっては,姉は自慢の姉だったのだ。それが大人になるにつれ「この人何言ってるんだ?」になってしまった。

 姉本人はいたって良い人である。とてもとても善人で,嘘がつけない。嘘がつけないから空気なんて全然読めない。他人と目を合わせることはないが別に嫌がらせをしているわけではない。

 姉が嫌いなわけではないが,今は私自身が精神的にも身体的にも参っているので,うっかり彼女に付き合ったら嫌いになる。いやなりつつある。彼女を嫌いになりたくないので,今は程よい距離の取り方を考えたい。

セミの声

7月初旬はしきりに雨が降り,7月半ばぐらいから晴れて暑くなったが,それに合わせてセミの声が大きく聞こえるようになった。東京で開催中のオリンピックでも,コロナウィルス感染予防のための無観客開催のため,人のいない競技場にセミの声が響くとニュースにもなっていた。

8月になって,セミの声は「ここで一踏ん張り」とでも言うようにちからがこもっているような気がする。

犬の散歩をすると,通りにある並木のあちこちに張り付いたセミが鳴いている。ひょいと首を巡らせて木を見ると,セミの姿が目に入る。どの木にもとまっているようだ。

自宅(と言ってもアパートというかメゾネットの長屋)の庭には大きなクヌギの木があって,クヌギの木というのはセミやカブトムシが寄ってくるので,網戸の向こうから至近距離でセミの声が聞こえる。

この家に越してきて初めて「ひぐらしがこんなにやかましいとは初めて知った。」と思った。

実家の周りは山だったが,山というのは家からは若干離れているので(間に道路や田んぼや畑がある)ひぐらしというの「かなかなかなかな」と,昔から「カナカナ悲し」と呼ばれる通りの切ない声に聞こえていたものだ。

それが目の前で鳴いていると,大音響になるのだ。

ところが,今年はひぐらしが鳴かない。実家の周囲では既に7月から鳴いている。

子どもの頃から7月のひぐらしの鳴く頃に「夏休みの宿題を今年こそ毎日きちんとやろう」と決意しては全然実行できず,ひぐらし=夏休みの宿題ができない予感,となったものだった。

どうして今年は鳴かないのだろう? たとえやかましくても,セミの声は昼間のセミと夕方のセミがあって,夏の初めと夏の半ばのセミの声があって,初めて季節感が出るものなのに。

地球温暖化のせいだろうか。日本(とりあえず関東地方)から季節,四季がなくなるのは恐ろしい。

カサンドラ症候群にならないために頑張る②

このタイトルが出てきたのは,姉から電話があったからである。

姉が言うには「外出から戻ったら家の鍵が開かない。どうすれば開くのか?」

普通は鍵で開けるものである。

「鍵をさして回す」と答えたら「それはやった。それでも開かない。もう10分もやっているのに開かない。」

それを私にどうしろと言うのか?   

何時間もかけて姉のいる所まで出向いてドアの鍵を開けろと言うのか。

「いいか,心を無にしろ。」と私は言った。「そして一度鍵を抜いて,ゆっくり挿してゆっくり回す。慌てるな。」

「そんな精神論を聞いているんじゃない。」と姉は半泣きであった。

「いや,精神論じゃなくて,慌てるなと言うことだ。慌ててガチャガチャ乱暴にしたら鍵穴の中が傷ついて本当に開かなくなるかもしれない。」と私。

「もう中が傷ついてるんだ。どうして傷つくの。もう開かなくなったんだ。」と姉。

「いやだから開かないとは言っていない。でもそれ以上傷つけたらダメでしょう。」と私。

「深呼吸して心を沈めて,絶対にガチャガチャしないでゆっくり鍵を回そう。じゃあ。」と言って返事を待たずにこちらから電話を切った。

30分ほどしてから「どうだ?」とLINEを送ったところ「開いた」と返信があった。

子どもの頃から,姉とのやりとりはこんな感じ。話が通じている気がしない。相手にすると自分が辛くなる。しかし子どもの頃から最強にお勉強ができた姉なので,いくら私が姉との関係で苦労すると言っても誰にも通じない。

適当なところで切り上げるしかないのかもしれない。