自立支援(精神科)のための医療費助成制度

昨日,自立支援受給証の更新手続きに行った。正式名称は「自立支援 医療費自己負担額上限管理票」という。

これがあるおかげで月に2〜3回の心療内科への通院や,必要に応じた検査を受けることができている。なかったら,生活への負担が大き過ぎてとてもではないが通院できない。もし自立支援がなかったら,診察料や処方料や投薬料で1回につき6〜7千円かかってしまう。特に検査費用は高額なので,検査まで行ったら1度に1万円は軽く超えてしまうのでとても助かる。

30年以上頑張って働いて,独身時代が長かったし結婚しても子どもを亡くしてしまったので,税金も年金も健康保険も普通の人達より倍ぐらい払ってきたことを言い訳にして(扶養家族がいないと税金や年金や健康保険は扶養家族がいる人の2倍かそれ以上ぐらいになる)「ごめんなさい」と思いつつ社会福祉のお世話になることにした。

この支援制度を使うと,医療費負担が一般的な3割ではなく1割になる。その1割負担で支払っていって1ヶ月の合計が1万円までが支援対象になる(今年度から改訂。以前は2万円だった)。1万円を超えると3割負担になる。支援の上限は収入や職業の有無などによって変わってくるらしい(関係ないことは詳しくは聞けない)。私は職場に籍だけは残っている,休職という形である。

私の場合の支援受給対象の疾患は「うつ病」「適応障害」になっている。食事ができない,動けない,外に出られない,眠れない,などなどの症状がある。症状は人さまざまだろうが,心の病気や発達障害は外から見てもわからないので,なかなか苦しさがわかってもらえない面はある。

外に出られないという症状ならばわかるだろうが,眠れないとか食べられないとか家の中では這いずって移動しているとかは,家族でないとわからない。仕事をしていた時は職場でだけ(昼だけ)他の人と同じものを食べていたが,昼休みに嘔吐して食べ物にされた動物や植物に申し訳なくなることもあった。

「自立支援医療費自己負担額上限管理(自立支援と略したい長いから)」の対象となるのは市町村によって基準が変わることもあるが,ほとんどのところで「うつ病」「てんかん」「統合失調症」「双極性障害(躁鬱病と呼ばれている)」は認められている。それ以外も「などなど」のくくりで認められることがある。

私がこの自立支援制度を使い始めたのは2年前で,本来は1年ごとに更新手続きが必要なのだが,昨年はコロナウィルス感染拡大予防のために公的機関でも間引き業務(というのか?)が行われていて,自動的に更新されることになったのだ。なので今年が初めての更新になる。来年からどうなるかは,まだコロナが蔓延しているのでわからない。

自立支援の申請に必要だったのは,まず市の書式の診断書を医師に書いてもらってから,市の書式の申請書と(課税納税状況を調べていいですかという)同意書,自分の印鑑と健康保険証とマイナンバーのわかるもの(申請書にマイナンバーを書くところがあるから)。

クリニックに通い始めた頃はまだ仕事をしていたので気にならなかったが,収入がなくなれば通院はできないのだ,ということにかなり後になってから気がついた。通院始めの頃は,夫が大怪我をして手術入院したり母が末期癌で入院したりで支出も多かったので自分のことは後回しにしていた。当時は支出に関係なかったが,姉に自傷の傾向があり何度も救急搬送されていたので精神的にいっぱいいっぱいだった。そして極め付けは台風が実家を洪水で流して壊した。

頭も体もいっぱいいっぱいの時,医師から「仕事を続けていると自分の命がもっともっと削れますよ」と言われ,クリニックの受付の方から自立支援制度の案内プリントをもらって「休んでいいのかな。」と思いはじめた。それでもその後もしばらくは仕事を続けていたのだが,ついに自分がどこで何をしているのかわからなくなった。

私にはADHDがあるので,物事の順番づけが難しい。まず社会的な仕事は最初にやらなくちゃとは思う。次に何をどんな順番でするかがわからない。仕事,親の病気,姉の心の病気,夫の怪我,全員が入院していること,台風で被災して壊れた実家をどうにかしないと・・・と考えていたら頭が動くのを拒否した。

自分が壊れる前に自分が自分を助けてやらなくてはいけないと,今なら思う。家族が皆倒れて家も倒れて,それでも私は誰にも「疲れた」ということができなかった。仕事ではいつも笑顔で元気いっぱいなふりをしていた。

自分が助けないといけない,誰も自分を助けられないのだ,と思う。だから,自立支援制度を使ってでもなんでも自分に必要なケアをしなければいけない時があるとも思う。そうでなければ,たとえば,車を運転していていきなり手を離して遠くを見てしまうかもしれない,電車が入ってくる時にホームから足を踏み出してしまうかもしれない。誰にでも他人に察してもらうことを待つより,自分が動けるうちに自分を助けて欲しいと思うのだ。

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