故郷の紅玉りんごを守るため

実家は今住んでいる所から100キロ以上,おおよそ140キロほど離れている。実家自体は町の南の方なのだが,町の面積はやたらと広く北の端まで行けば200キロ近いのではないだろうか。関東以北と言うのは,中部地方や西日本に比べて一つの県がとても広いのだ(北海道なんて外国の一つの国以上の広さがある)。

実家周辺は夏は暑いが冬はめっぽう寒い。秋になると山々の紅葉が美しい。また,秋の味覚である栗,りんごも栽培されている。特にりんごは町の名物でもある。秋になると地元にたくさんある温泉には,湯にりんごを浮かべる所もある。

地元のりんごは青森リンゴのようにスーパーなどにはおろさない。観光りんご園として開かれるか,注文発送である。

こんな感じで地方発送OK

観光りんご園というのは,入場料を支払って入園し,自分で気にいったりんごをとってカゴに入れ,出口で会計したり,試食コーナーで色々食べたり(従業員さんがりんごの皮をむいてすすめてくれるとかアップルパイやりんごのお菓子をすすめてくれるとか)飲んだり(ジュースやお茶を出してくれる),りんご園や山々を眺めてピクニックをしたりできる。

いかにもりんごらしい赤い小ぶりのりんごといえば紅玉だ。

紅玉は酸味が強く他の品種に比べて日持ちがしない(ふじと言う品種は秋から冬を超えるくらい持つ)ので,アップルパイ,ケーキ,ジャムなどに加工されることが多い。だが見た目がとても愛らしい真っ赤なりんごなので,りんご園の入場客が紅玉をもいで食べようとすることが多いそうだ。しかし酸っぱいと言って途中で捨てられることも多いそうで,とても残念だ。だから今では紅玉の樹はどんどん切られてしまって,一般に好まれる甘い品種のりんごが接木(つぎき)されてしまう傾向にある。本当に本当に切ない。

私も姉や親戚も,今では夫も,紅玉が大好きなのだ。あの酸っぱさがたまらない。それに紅玉以外のりんごで作るアップルパイやアップルソースケーキは物足りない。

なので,まだ私が学生の頃,いつもりんごを買っていたりんご園で「売れないから紅玉の木を皆切る」と言う話を聞いた私の両親が,「家族も親戚も紅玉が一番好きなので,紅玉が実ったらうちで買うから木を残してくれないか。」と頼み込んだ。そして,毎年そのりんご園で紅玉が実ったら我が家が真っ先に買う,という状態が続いてきた。それは両親が死んでからは私が続けている。自分達夫婦の分だけでなく,親戚にも送っている。紅玉の木を切らないでもらいたいと思うから。一度切ってしまったら,二度とは元に戻らないのだから。

私が結婚したのは12月だったので,紅玉りんごはもうなかった。翌年の秋,父が初物のりんごを夫に食べさせたら(父の趣味の一つにリンゴの皮をどこまで長くむけるか試すと言うのがあった)夫が大喜びした。

「レバノンのりんごより美味しい。」とパクパク食べる夫。正直のところ,レバノンのりんごにはレバノンのりんごだけの良さがあるけれど,私も夫にはぜひ日本のりんごを食べて欲しかった。特に私の故郷のりんごを。

娘が結婚したことで不機嫌(娘はいい加減晩婚だったのに嫁に出すのが嫌だったらしい)だった父親は,それで気を良くして農業で使う(うちは農家ではなかったが)収穫用コンテナ10箱ぐらいのリンゴを買ってきた。

やや傷のついた物や形のいびつな物は商品にならないので,お願いすると地元の人間に安価で売ってくれるのだが,それにしても大量だった。100キロとまでは行かなかったが相当な量だった。父親は上機嫌で夫に「食べろ」と言ったので,夫は一所懸命食べた。アパートに持ち帰って,毎日毎日りんごを食べた。思えば,あれが頑固で意固地な父親と私の夫がまともに口を聞いた最初で最後かもしれない。

りんごに関しては子供の頃からの山ほどの思い出がある。その中でも紅玉りんごの酸っぱさが記憶を刺激する。甘いりんごにはない,特別な刺激なのだ。それを守りたいから,今年もたくさん紅玉を食べる。

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