センチメンタル・シティ・ロマンスというバンド

今日のニュースに,「中野督夫さん死去 日本最古のロックバンド「センチメンタル・シティ・ロマンス」」という見出しがあった。また寂しいことに日本でロックを広めるために頑張っていた人が亡くなった。

正直を言えば「日本最古のロックバンドはドリフターズだよね。」という気持ちがあるが。

多くの人にとってはお笑い芸人さんだったかもしれないけれど「8時だよ!全員集合」などのバラエティドラマが始まる前は,ザ・ドリフターズはロックバンドだった。1966年にビートルズが来日した際の武道館コンサートでは,ドリフターズはビートルズの前座で,英語の歌を歌っていた。

ドリフターズでなくても,サディスティック・ミカ・バンドやバウワウがいた。バンドではないがロックというかライムで聞かせていた中山ラビもいた(亡くなった人が多数含まれる)。彼らは1960年代から1970年代にちゃんと活躍したバンドやアーティストである。

センチメンタル・シティ・ロマンスが有名になったのは,1979年に公開された「金田一耕助の冒険」というコメディ映画のサウンド・トラックからである(それ以前から活動はしていたが)。レコードのジャケットは,当時すでに有名イラストレーターだった今では故人の和田誠氏(平野レミの旦那さんだった人)。

「金田一耕助の冒険」というのは,横溝正史の作品で知られる名探偵金田一耕助が,それまでに解決してきた事件や解決法を全てパロディにして爆笑に変えた映画であった。当時存命だった作者の横溝正史まで出演し「悪魔が来たりて笛を吹く」のセルフパロディをしていた。横溝作品を「人形佐七」以外は全て読んだ私にとっては,腹を抱えて大笑いできる小ネタ満載であった。

1970年代から1980年代初頭(横溝正史が亡くなった頃まで)は,角川書店の横溝正史作品が実に充実していた時期だった。当時映画化された「犬神家の一族」の「佐清(スケキヨ)」などは今でもガチャのカプセルトイになるくらい絶大なインパクトを残していた。

ネタバレになるから書けないけれど,映画の合間やエンディングに,センチメンタル・シティ・ロマンスの「センチメンタルな部分」が非常に重要な味を出していてストーリーに絡んでくる。このセンチメンタルさがこのバンドの良さなのかな?と当時高校生だった自分は感じた(はっきり言ってしまえば高1。同時上映は「蘇る金狼」の松田優作主演版)

エンディング・テーマの「旅立てロンリーボーイ」(アルバムの真ん中あたりに入っている)という曲を聞いた時,「あれ? ボストンじゃない?」と思った。ボストンの「Don’t Look Back」というアルバムの後ろから2番目の曲「Used To Bad News」にそっくりだった。だから,ボストンが大好きだった私はセンチメンタル・シティ・ロマンスも気に入った。でも「旅立てロンリーボーイ」はロックなのかな? ちなみにボストンのアルバムの方が1年早くリリースされている。

※YouTubeから「Used To Bad News」を貼り付けようとしたところ,どれをとっても「再生できません」になるので貼り付けを諦めた。

ボストンというのは1976年に 「More Than A Feeling (邦題「宇宙の彼方へ」)」で大ヒットし,アルバム1枚しか出していないのに武道館で来日公演をした時にはアンコールをされてもアルバム1枚分しか曲がないためずっと同じ曲をアンコールで演奏したというバンドである。

ボストンのアルバムは,バンドというかリーダー(ということになっている)トム・ショルツ(マサチューセッツ工科大学出身の機械オタクっぽい人)が,全て自分で演奏して自分で多重録音して作ったアルバムなのでライヴのために急いでメンバーを集めたというユニット。数年に1枚しかアルバムを出さないため,ファンもいればヒットもしたのに忘れられていると思う。

60年代〜80年代の日本は,ロックというものがまだ定着していなくて,ロック=外国の音楽,という意識が強かったと思う。そんな中で草分け的に活動してきてくれた人たちが亡くなっていくのがとても寂しい。

中野さんお疲れ様でした。

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