大人のADHDというのではなく

ADHDとASD,これは最近検査の結果医師からも告げられたこと。おそらくHSPもあるのだろうけれど,それは検査ができない(少なくとも自分が通院している所では)らしい。

小学校に入学した翌日から,「うわぁ,自分には学校ってだめだ。」という恐怖感のようなものがあった。周りにいる同級生や通学班の上級生達にどんな顔をして何を話せばいいのかわからない,というか,自分と彼らの間に見えない大きな壁があって全く乗り越えられない感覚があって,とにかく怖い。その場所にいたくない。行きたくない。

突然しゃべり出すことや歩き出すことを他人は変に思っているのがわかるのに,止めることができない。

それでも勉強だけはできたので,誰も「私は今ものすごく苦しいんです。」と心で叫んでも誰に気づかれることもなく,むしろ「学校を舐めている」「ふざけている」と言って露骨に怒りを見せてくる教員が大勢いた。小学校の1〜2年持ち上がりだった担任の先生だけは,我慢して受け止めてくれたけれど,小学校3年以上になってから中学を卒業するまで,学校は地獄というか生きた心地のしない場所だった。高校は当時の県内では偏差値の高かった(今はどう?)進学校だったので,よくも悪くも先生は生徒に無関心だったから虐められることもなかったが,小中,特に小学校は酷かった。

だから,最近よく聞く「大人のADHD」という言葉には非常に違和感を覚える。

「大人の」ではなくて,「子どもの頃からずっとあったのに誰も気づかなかったADHD」なのだ。大人になったから急に出てきたのではない。大人になると,仕事をしたり,近所との関わりができたりと,多くの人の間に入らなければいけなくなるから,そこで苦しさが爆発してしまうのだ。

何度でも書いてしまうけれど「大人のADHD」ではない。

抱えている苦しさに潰される前に,誰か周りの大人に気づいてもらえたらちょっとは助かるだろう子どもがいるのだ。