https://www.lifehacker.jp/2021/09/are-you-living-with-undiagnosed-adult-adhd.html
「大人の『隠れADHD』とは? よくある症状やその特性」という記事が出ていたので読んだのだが,「どうしてこういう表現になるのかな?」と疑問に思うところがかなりあった。それなりにADHDの特性はおさえてはいるのかもしれないのだが。
(以下引用)
「ADHD(注意欠陥・多動性障害)を抱えた生活とは、いったいどのようなものなのでしょうか。ADHDについてはさまざまな誤解が存在しています。多くの人が思い浮かべるのは、じっと座っていられない男の子かもしれません。また、世間では一般的に、大きくなるにしたがって症状は自然に消えていくのだろうと考えられています。
「ところが実際には、ADHDはそんな単純な病気ではなく、大人になっても治らないケースが多々あります。その症状も、集中できない、じっとしていられないなど、実にさまざま。というわけで、子どものころからADHDの症状が出ていたにもかかわらず、正しい診断や治療を受けていない人が数多く存在しています。
「『ADHDという病名は、その実態とはかけ離れています。集中力のなさは、症状のひとつにすぎないからです。』ミネソタ大学医学部で心理学を研究するLidia Zylowska氏は、そう語っています。
「もしかすると、自分は大人のADHDかも」そのように感じている人は、なるべく早く診断を仰ぎましょう。治療を受けずにいると、公私にわたってさまざまな問題が起こるおそれがあるからです。
「また、診察を受けるときには、大人のADHDに関する専門医を選びましょう。ADHDをめぐる誤解の多くは、医療分野にも広がっているからです。
(以上引用)
引っかかったのはADHDを最後まで「病気」と表現しているところ。大人になっても治るものではない,という点をおさえているのだから,そこは「障害」という表現にしてほしかった。「病名」というのは翻訳の間違いかもしれないが。
ADHDがあると,ひらめきはあるのだが具体化するための計画を立てることが難しい。計画を立てることができたとしてもそれを実際に行うことが難しい。
時間の見積もりを立てることができず,たとえば,早く仕事に行くために早起きしても「時間に余裕ができた」と感じて何か別の作業を始めてしまい没頭してしまい,肝心の仕事に出かけることを忘れて遅刻する。1時間いつもより早く起きたら1時間余計なことをして,結局いつもと同じか遅れてしまう。そんな時に「もうちょっと早く起きろ」と言われても「早く起きているんだがなあ?」となってしまう。外出時に目的地まで十分すぎる時間的余裕を持って出たはずが,道に迷ったり横道に逸れたりして気づけば遅刻している,などということがよくある。道に迷うのは注意がそれてしまうから。
本文中の「ハイパーフォーカス」についての内容は良かったかなと思う。「ADHD=注意欠陥性多動障害」というと絶え間なく動いているように聞こえるが,上にも書いたけれど「朝早起きした→時間に余裕がある→何かできる→何か始める→夢中になって時間を忘れる→遅刻」そんなことがよくある。
変に余裕があるとその場で必要ないことを始めてそれに没頭してしまい,周りの状況や情報は一切入って来なくなってしまうのだ。
文中にもあるけれど,こういった傾向は子どもの頃からある。けれど「おっちょこちょい」「忘れっぽい」「怠け者」などレッテルを貼られてしまって適切に対応されていないことがほとんど。また勉強ができてしまうと「ふざけている」と教師や周囲の大人からの敵意の対象になってしまう。
私は数年前に検査した結果,軽度のギフテッド(先天的に、平均よりも、顕著に高い知性と共感的理解、倫理観、正義感、博愛精神を持っている人のこと。外部に対する世間的な成功を収める、収めないにかかわらず、内在的な学習の素質、生まれつきの高い学習能力や豊かな精神性を持っているということである。引用元:Wikipedia)だった。
中学時代にも同様の結果が出ていたので,放課後に生徒指導室に呼び出されてはお説教をされていた。「どうして真面目に授業を受けないのか(教科書もノートも開かないで窓の外や時計を見ている)」と毎日怒られていたのだ。
ADHDという概念がなかった時代でもあるし,あったとしても中学生の生活というのは大体部活が中心だしで,先生にはあまり期待していなかったが,テストの成績が良くても怒られるのだから,理不尽だとは思った。
だがADHDがあったためだろうが,黒板の板書をノートに書き写すことはできなかった。全て聞いて暗記するほかなかった。外を見て天井を見て時計を見て,教科書に落書きしていることで,なんとか席に着いている状態だった。そうでなければ歩き出して教室の外に出ていたと思う。さすがに「教室から出て行くのはまずい」という理性が働いていたから,自分を着席させていたのだ。
着席して授業時間内は教室にいることが,ADHDのある子どもにはとても難しい。
それでもなんとか周りの大人の顔を見て,なんとか期待されていることをしようとはする。
中学時代,私は部活動ができなかった。集団行動が苦痛でしかないから。中学では美術クラブにはいたが部活はしなかった。その代わり,放課後や昼休みはいつも図書室に行った。卒業までに図書室のほぼ全ての本を(斜め読みを含めて)読んだ。
高校では文芸部に入った。この部活は卒業まで続いた。なぜかというと集団行動ではなく個人でできることだから。原稿を書くことも校正することも一人でできるから。ちなみにこの高校の文芸部は,日本全国対象の文芸コンクールでは評価が高い。なのに部員全員が妙に自由だった。
集団で,皆が同じ時間と場所に縛られている状態が苦しかった。授業だけでも苦しいのだから放課後までそれは勘弁してほしいと思っていたから,文芸部の存在は新鮮だった。しかも本を読んで分析したことを文章にしても誰にも怒られないのだ。中学のように「そんな難しい言葉を使うな」と怒る先生もいないのだ。
私は,「ADHDがあると,そういうこともあるよね。」という幾つかのパターンを周りに知ってもらいたいとは思う。「それを知っているだけで,あなたはイライラしなくて済むんですよ。」とも言いたい時がある。ADHDのある人間と一緒に仕事したり生活したりする場合,きっとイライラすることがあるだろうから。周りの人がイライラしていると,きっとADHDの有無に関わらず誰でも萎縮して動けなくなってしまうから。お互いにあまり良い結果につながらないと思う。
私は通学のために列車に乗っているだけで,毎日疲れ切っていた。周りの情報が多すぎること,音声が周囲360度から入ってきてしまうこと,などなど。特に周りの人の会話が辛かった。ウォークマンがこの世に出た時にはとても嬉しかった。
決められた時間内に動くことに関しては,ちょっと声をかけてもらえればかなり対処できる。周りの音や声で注意が散漫になりそうな時は,ヘッドフォンをすると動きやすいのでそういう補助具を使うことを許してもらえるとありがたい。
ADHDがあってもなくても,自分以外の誰かのことを理解しようとすることとか,その人に必要な支援(背が低い人の代わりに背の高い人が荷物を棚に乗せるように)があると助かる。
そしてADHDは病気ではないので,一生治らない。でも,本人の理性と理解や周りの理解があればなんとかやっていけると思う。