99歳の女性モデルデビュー かっこいい 

https://www.cosmopolitan.com/jp/trends/trend-news/a37253725/99-year-old-great-grandma-models-for-makeup-brand/

コスモポリタン誌に出ていた記事。「挑戦に年齢は関係ない!99歳のおばあちゃんがモデルデビュー」

写真を見て感じるのは「笑顔が素晴らしい」「自然なしわ」「年相応だからきれい」などなど。

アメリカの俳優(男女問わず)には整形している人がたくさんいて,映画やドラマを見ていて「以前は顎が張っていたのに今はエラがない」「鼻が細くなっている」「リフトアップし過ぎて顔全体が引き攣っている」「口角をあげようとして妖怪のような口になってしまった」「頬に詰め物入れすぎ」「唇の膨れ具合が怖い」など悲しくなってくるようだ。本人は綺麗になったと思っているのだとしたら,まあそれはそれでいいのかもしれないけれど,一般人と違って仕事として人々に顔を見せる人がこれ(見ていて悲しくなる怖くなる)では,残念な気持ちになる。

そういうこともあって,最近はアメリカのドラマや映画はあまり見ない。ヨーロッパの作品は見る。怖くないから。中東の作品も割と見る。アジアだったらドキュメンタリーとかを見る。

それはさておき・・・・

「99歳=おばあちゃん」なんて呼ばないでほしい。こんなにかっこいいのだから。この人は曽孫さんがメイクアップグッズ会社の創業者だったことでモデルを依頼されたのだそうだ。でも曾孫でなくても,もし街中でこういう可愛い妙齢のご婦人に会ったら「あ,いいなあ。歳を重ねてああなりたいな」と思わせてくれる気がする。

以前別の記事で読んだニューヨークの大学教授で70歳近くなってからモデルにスカウトされた女性や,ニューヨークの街角で出会った素敵なご婦人(大体80歳〜90歳)の写真集の話など,素敵な人は素敵だと思う。

日本だって女優の岸惠子さんは90歳ぐらいだけど,きれいだしかっこいいし「おばあちゃん」とは言われないと思う(娘さんがいたはずだから孫がいたとしてもおかしくはないが)。

本人が「おばあちゃん」と呼ばれることに抵抗がなかったとしても,他人は名前を呼ぶべきではないかと思う。

それでも,ついつい他人なのに「おばあちゃん」と言いた区なることはあるけれど。

この方へレナさんはフューシャピンクのプルオーバーや白いシャツをアクセサリーを上手に使って着こなしていて,服の組み合わせが全くできない何を着ればいいのか全くわからない(裸で外に出ないだけマシみたいな)私にとっては「すごく憧れる」タイプの女性。ゆったりしたフォルムの服がだらしなくならないのが良い。ピンと尖った襟の白いシャツも窮屈そうではない。無理に着ている感じがない。いいなあ。

人間,子ども時代や若い時代はあっという間で,中年以降がとてもとても長い。

私は結婚して数年経ってからは,随分若作りしていた時期があったと思う。夫が大分年下だったので。結婚したばかりの頃は「お似合い」と言われたのに,だんだん私が年相応に白髪も出てくると,一緒にショッピングセンターに行って「通訳の方ですか?」「ガイドの方ですか?」などと言われるようになって,意地になって髪を染めたりしたことがあった。

でも夫は「え〜,白髪ってかっこいいでしょ〜。染めないでよ。」と言ってくれたし,適応障害と鬱状態がひどくなる前だったが私自身も意地を張るのに疲れてしまい,アレルギーも酷かったので,白髪染めはやめてしまった。

今は5分の1か6分の1ぐらいが白髪。本当はヘレナさんのように真っ白になるといいなと思っているが体質的に「グレイヘア」どまりのようだ。やはり黒髪ベースの日本人なので。

まず体を大事にして,いい感じに自然に年を重ねたい。

コロナ予防ワクチン接種3日目

ワクチン接種をした日は何ともなく,2日目の昨日は全身がだるく注射した側の腕が四十肩か筋肉痛のように痛かった。夜になってからは少し熱っぽくなったので,冷房をいつもより強めにしてずっと横になっていた。

3日目の今日は,特に痛みもなく熱も引いた。

私が一番怖いのは,私がコロナに感染したら猫にも感染するおそれがあること。人間から猫への感染の症例があるから。

猫の健康で無事な毎日のためにもワクチン接種を受けた。

みんな一緒に体が元気であるように(そして心も元気だともっといい)。

コロナ予防ワクチン接種をして

昨日,1回目のCOVID-19感染予防ワクチンを接種した。

大会場と言われるような場所だったから,人が多かった。「密」を避けるためということで立ち位置や待合のいすの位置などはテープで印がついていた。が,「やっぱり人が多いな。」というのが正直な気持ちだった。

会場の外にテントが張られていて,その中に置かれたパイプいすに座って会場に入れてもらう順番を待つ。しばらく待つと5〜6人ずつ会場に入る。入ってすぐの所にもパイプいすの列があって再び座って待つ。またしばらく待ってから書類確認のコーナーに行くように促される。確認書類は,市町村等から届いた接種券と予診票(問診票ともいう),それから何か身分証明になるもの。運転免許証を出している人が多かった。「書類OK」となると次はやっと受付コーナーに並ぶことができて,受付を終えたらすぐに医師の座る接種コーナーに案内されてパパッと接種完了。その後会場内の指定された場所に15分間座って経過観察をし,何もなければ帰って良し。

接種後に15分待つのが面倒だった。面倒でも予防接種で具合が悪くなった人がいるという報告もあるので,念には念を入れてくるのだろう。

私の名前は少し読みにくい漢字なのでいつも間違えられるのだが,書類確認コーナーでも受付コーナーでも,予診票の名前を正しく読んでもらえた。しかし最後の一番間違えてはいけないであろう接種コーナーのお医者さんが間違えて呼んで返事も待たずに「腕は利き手じゃない方で」と言いながら注射の準備をしていた。いやいや漢字だけなら読めなくても仕方がないし間違えられるのにも慣れているけれど,カタカナで読み仮名がついているのに何故間違えるのだろう? 医者も疲れて頭が麻痺してきているのではないだろうか,と気の毒になった。と同時に「もし違う人だったらどうするんだ?」と怖くなった。

注射自体はあっさり終わった。「ちくっとしますよ。痛かったら言ってください。」と声をかけられたけれどチクリともしなかった。どこに注射したのかもわからないくらい。

家に帰って鏡を見たが,針の痕も見当たらないし痛くもないし,「へぇ,こんなもんか。」と思った。

そして翌日である今日,腕が痛い。筋肉痛みたいな痛み。インフルエンザの予防接種のように痒くなることはなかった。だが痛い。四十肩みたい。後ろに回せないし高く上がらない。でも赤くもないし腫れてもいない。こういう反応をすることがある,と一人一人に配ってくれたリーフレットに書かれていたが,やっぱり痛かった。甘く見ていた。明日は少しマシになると良いのだけど。

BBCがガンダムをトランスフォーマーと間違う

昨日あたりあちこちのニュースに出ていた。

イギリスのBBC(NHKみたいなところ)が,オリンピック競技の背景に映り込んだお台場のいわゆる等身大のガンダムを「トランスフォーマー」と紹介したので,世界中のガンダム・ファンやトランスフォーマー・ファンを怒らせたみたいだよ,という記事。

https://twitter.com/BBCSport/status/1423218128134279171

トランスフォーマーだって,元はアメリカのおもちゃが日本に渡って日本で改良されてアメリカに逆輸入されたものだから,日本と関わりがあるといえばある。でもガンダムではない。

どこの国にどんな観光地があるか名所があるか,などはその国に興味があって調べている人ならわかるかもしれないが,BBCの人も普通の人で,つまり何も知らなかったのだろう。

トランスフォーマーに関しては,映画はあまり好きではなかったがリンキンパークの音楽は好きだった。YouTubeから貼り付けようと思ったが「再生できません」なので諦める。タイトルは New Divide と What I’ve done 特にWhat I’ve done は人間が地球でどんなことをしてきてどんな問題や悲劇が起こっているかを表現している。リンキンパークにはそういった人間の脆さや危うさを表した曲が多くてビデオも面白い。リード・ヴォーカルのチェスター・ベニントンが亡くなってしまったことが何とも切ない。きっとこの世で生き続けるには繊細すぎた人だったのだろう。

ガンダムは最近「閃光のハサウェイ」という映画も公開されて,ファースト・ガンダムで頭の中が止まっている私には「え? ブライトさんて一回ミライさんに振られてるよね。いつ結婚したの?」という驚きが先に来た。

ブライトさんというと,アムロを引っ叩いて「父さんにも殴られたことないのに」というやりとりがあったなぁ,なんて思い出す。

これを頻繁に思い出すのには理由がある。

私と夫が結婚して間もない頃に,ADHDあるあるの「怒り出したら自分で止められないし,なぜ怒っているのか本人もわからなくなる」状態になった私が夫を怒鳴りつけてしまった時に「怒った。お母さんにも怒られたことないのに。」と返されて「キミはアムロ・レイかぁ。」と言って笑い出して元に戻ったという経験があったから。

それ以来,夫に対して何かムカッとなっても「彼はアムロだから」「坊やだからさ」と心の中で呟くとエヘヘと笑いそうになるのである。よくよく深刻な場合は,私の顔が「深刻だ」という顔になって誰のことも見なくなるので夫にはわかる。そうすると「怒る?」「怒ってる?」と機嫌を伺ってくれるのだが,その様子は『ぼのぼの』に出てくるシマリスくんお「いぢめる?」みたいである。

それはさておき,BBCやっちゃったなぁ,というか反響がすごかったらしい。また,同じガンダム・ファンの中でも「あれはユニコーン(ガンダムの型)だ」とか「ユニコーンならライトはこの色でなければ」とかとても盛り上がっている。間違ったことに対して怒る人があまりいなくて,寧ろ助け舟を出しているようなコメントがたくさんあって面白い。

私は諸事情あってTwitterは見るだけで自分ではやらない。例えば,自分の中では,ある一つの単語を思い浮かべると,次々と連想して言って全く違う方向に行ってしまうことがしばしばあるから。それはBBCのガンダムの話を書いているのに夫のシマリスくんぶりになってしまうのとほぼ同じ。

実はこれのせいで学生時代は授業中に板書をノートに書けなかった。それは,後で書こう。また長くなるから。

その子との会話

うちは長屋風のアパートで中に入るとメゾネットになっている。建物の表側に庭があり,建物に囲まれるようにして中庭もある。それぞれの庭は鉄製の柵で囲まれているので長屋というより一戸建てのような雰囲気になる。

その一風変わった建物のせいか,入居者は外国人の家族が多い。考えてみれば私の夫も外国人である。

中庭で遊び子ども達の声や庭先でペットと戯れる大人の声が,家の中まで聞こえる。ラテン系やアジア系の外国の言葉が飛び交うのが心地よい。ラテン系の言語はアラビア語に似たところもあるので,夫などは懐かしい気分になるようだ。私にとってもアラビア語や地中海岸を思い出させてくれる響きだ。

今日は柴犬ナナの散歩に出る時,そのうちの一軒のお宅から女の子が出ていて縄跳びをしていた。以前は日本語が苦手だからと恥ずかしがっていたが,今日は彼女から話しかけてきてくれた。ずいぶん日本語が上手になっている。まだ就学前のようなので大人と違って新しい言語を吸収するスピードが速いのだろう。

「この子(ナナのこと)は男の子?女の子?」「女の子だよ。」

「名前は何?」「ナナだよ。」

「茶色と白ね,かわいいね。」「そうかわいいよ。」

「猫もいるね。」「猫もいるよ。」「中にいるの?」「中にいるよ。一緒だよ。」

日本人が初めて習う外国語のような会話だったけれど,恥ずかしがって大人の影に隠れることが多かった子が,こんなに積極的に(でもはにかんだような表情も少し見せつつ)話しかけてきてくれたことが嬉しかった。

今日も暑い日だったので,予定では散歩はもう少し遅い時間帯のはずだったのだけれど,ナナが「散歩に行こう」とグイグイきたので早めに外に出た。だからあの女の子に会えたので,ナナは彼女が庭に出てきたのがわかったから会いたかったのかなと思う。

彼女はこれからどんな言葉を覚えていくのだろう。どんな人に出会って話をしていくのだろう。

私が住む地域は割と外国人が多いので,場所によってはいくつもの言語が入り混じって聞こえるようなことは度々ある。全部の言語を覚えていくのは無理だと思う。でも誰かと話をしてみようという気持ちになれたら,それはすごいことだ。

セミの声

7月初旬はしきりに雨が降り,7月半ばぐらいから晴れて暑くなったが,それに合わせてセミの声が大きく聞こえるようになった。東京で開催中のオリンピックでも,コロナウィルス感染予防のための無観客開催のため,人のいない競技場にセミの声が響くとニュースにもなっていた。

8月になって,セミの声は「ここで一踏ん張り」とでも言うようにちからがこもっているような気がする。

犬の散歩をすると,通りにある並木のあちこちに張り付いたセミが鳴いている。ひょいと首を巡らせて木を見ると,セミの姿が目に入る。どの木にもとまっているようだ。

自宅(と言ってもアパートというかメゾネットの長屋)の庭には大きなクヌギの木があって,クヌギの木というのはセミやカブトムシが寄ってくるので,網戸の向こうから至近距離でセミの声が聞こえる。

この家に越してきて初めて「ひぐらしがこんなにやかましいとは初めて知った。」と思った。

実家の周りは山だったが,山というのは家からは若干離れているので(間に道路や田んぼや畑がある)ひぐらしというの「かなかなかなかな」と,昔から「カナカナ悲し」と呼ばれる通りの切ない声に聞こえていたものだ。

それが目の前で鳴いていると,大音響になるのだ。

ところが,今年はひぐらしが鳴かない。実家の周囲では既に7月から鳴いている。

子どもの頃から7月のひぐらしの鳴く頃に「夏休みの宿題を今年こそ毎日きちんとやろう」と決意しては全然実行できず,ひぐらし=夏休みの宿題ができない予感,となったものだった。

どうして今年は鳴かないのだろう? たとえやかましくても,セミの声は昼間のセミと夕方のセミがあって,夏の初めと夏の半ばのセミの声があって,初めて季節感が出るものなのに。

地球温暖化のせいだろうか。日本(とりあえず関東地方)から季節,四季がなくなるのは恐ろしい。

センチメンタル・シティ・ロマンスというバンド

今日のニュースに,「中野督夫さん死去 日本最古のロックバンド「センチメンタル・シティ・ロマンス」」という見出しがあった。また寂しいことに日本でロックを広めるために頑張っていた人が亡くなった。

正直を言えば「日本最古のロックバンドはドリフターズだよね。」という気持ちがあるが。

多くの人にとってはお笑い芸人さんだったかもしれないけれど「8時だよ!全員集合」などのバラエティドラマが始まる前は,ザ・ドリフターズはロックバンドだった。1966年にビートルズが来日した際の武道館コンサートでは,ドリフターズはビートルズの前座で,英語の歌を歌っていた。

ドリフターズでなくても,サディスティック・ミカ・バンドやバウワウがいた。バンドではないがロックというかライムで聞かせていた中山ラビもいた(亡くなった人が多数含まれる)。彼らは1960年代から1970年代にちゃんと活躍したバンドやアーティストである。

センチメンタル・シティ・ロマンスが有名になったのは,1979年に公開された「金田一耕助の冒険」というコメディ映画のサウンド・トラックからである(それ以前から活動はしていたが)。レコードのジャケットは,当時すでに有名イラストレーターだった今では故人の和田誠氏(平野レミの旦那さんだった人)。

「金田一耕助の冒険」というのは,横溝正史の作品で知られる名探偵金田一耕助が,それまでに解決してきた事件や解決法を全てパロディにして爆笑に変えた映画であった。当時存命だった作者の横溝正史まで出演し「悪魔が来たりて笛を吹く」のセルフパロディをしていた。横溝作品を「人形佐七」以外は全て読んだ私にとっては,腹を抱えて大笑いできる小ネタ満載であった。

1970年代から1980年代初頭(横溝正史が亡くなった頃まで)は,角川書店の横溝正史作品が実に充実していた時期だった。当時映画化された「犬神家の一族」の「佐清(スケキヨ)」などは今でもガチャのカプセルトイになるくらい絶大なインパクトを残していた。

ネタバレになるから書けないけれど,映画の合間やエンディングに,センチメンタル・シティ・ロマンスの「センチメンタルな部分」が非常に重要な味を出していてストーリーに絡んでくる。このセンチメンタルさがこのバンドの良さなのかな?と当時高校生だった自分は感じた(はっきり言ってしまえば高1。同時上映は「蘇る金狼」の松田優作主演版)

エンディング・テーマの「旅立てロンリーボーイ」(アルバムの真ん中あたりに入っている)という曲を聞いた時,「あれ? ボストンじゃない?」と思った。ボストンの「Don’t Look Back」というアルバムの後ろから2番目の曲「Used To Bad News」にそっくりだった。だから,ボストンが大好きだった私はセンチメンタル・シティ・ロマンスも気に入った。でも「旅立てロンリーボーイ」はロックなのかな? ちなみにボストンのアルバムの方が1年早くリリースされている。

※YouTubeから「Used To Bad News」を貼り付けようとしたところ,どれをとっても「再生できません」になるので貼り付けを諦めた。

ボストンというのは1976年に 「More Than A Feeling (邦題「宇宙の彼方へ」)」で大ヒットし,アルバム1枚しか出していないのに武道館で来日公演をした時にはアンコールをされてもアルバム1枚分しか曲がないためずっと同じ曲をアンコールで演奏したというバンドである。

ボストンのアルバムは,バンドというかリーダー(ということになっている)トム・ショルツ(マサチューセッツ工科大学出身の機械オタクっぽい人)が,全て自分で演奏して自分で多重録音して作ったアルバムなのでライヴのために急いでメンバーを集めたというユニット。数年に1枚しかアルバムを出さないため,ファンもいればヒットもしたのに忘れられていると思う。

60年代〜80年代の日本は,ロックというものがまだ定着していなくて,ロック=外国の音楽,という意識が強かったと思う。そんな中で草分け的に活動してきてくれた人たちが亡くなっていくのがとても寂しい。

中野さんお疲れ様でした。

実家にあったクジャクサボテン

私の実家は,数年前に自然災害に被災して1階部分が損壊し,住むことができなくなり解体すした。

親ももう亡くなってしまい,建物もないので,実家に帰る理由がなさそうだが,土地はまだ残っていて離れの建物があるので時々帰る。母屋の2階にあって無事だった物,たとえば本やレコードやCDなどは離れに避難させ,じわじわと片付けている。姉もいるのだが,普段は遠方で仕事をしているし私以上に片付けができない。

被災した時,家屋の外にあったものは全て流されてしまった。

私と母が可愛がっていたメダカの水蓮鉢もシクラメンやサボテンの植木鉢も,何もかも流されてしまった。

メダカは,とても可愛かったし,水蓮鉢の中に生態系を作ったところだったのと,何より生きて泳いでいた命が消えてしまったことがたまらなく辛かった。

サボテンは花のさく種類がたくさんあって,クジャクサボテンやシャコバサボテンの赤い花はとても綺麗で目を癒してくれた。

母がまだ入院している時にクジャクサボテンがとても見事な大きな花を咲かせたので,写真を撮って病室で見せた。母は「こんなに綺麗に咲いたんだ。」と少し笑ったようだった。

サボテンがなくなりがっかりしていたのだが,先日叔母(母の妹)が「綺麗な花が咲いたから見て」と写真をLINEで送ってくれた。「うちにもこれと同じ花があって綺麗だったんだけど」と返信すると,「これは姉(母のこと)がくれたの。入院するだいぶん前に会った時に株分けしてもらった花が今年やっとさいたの。」と言う。元は一つの花だったのだ。

「まさか,何もかも一瞬で無くなってしまうとは思わなかったから。また見られて嬉しい。」と返信した。

叔母は「いつかこの花を株分けして里帰りさせよう。」と言っていた。なんだか,普通の日常のようだった。天災や親の死や実家喪失やなんだかんだあったのに。

サボテンの色は大好きだ。

Word Press 初心者中の初心者

自分,ブログ初心者というかWordPress初心者中の初心者である。何がわからないのかよくわからない,という状態。

初めはインターネットに公開されているさまざまなブログやHow toライターさんの説明を読んでいたが,さっぱりわからない。さっぱりわからないまま数ヶ月すったもんだしてしまった。なので7月になってから意を決して教則本を購入。タイトルは「たった1日で基本が身に付く!WordPress(佐々木 恵 [著] 技術評論社 [発行])」(うまく技術評論社のページをペーストできただろうか?)

https://gihyo.jp/book/2018/978-4-7741-9372-4

職場のホームページは WordPressを利用したものだった。だが,時節ごとイベントごとの文章や写真は各部署のホームページ係に割り振られるものの(自分もその一人だった時がある),全体をまとめてアップロードするのはホームページ係ではなく,情報係という部門だった。というわけで,自分は勝手気ままに記事を書くのみだったから,サーバー契約やらインストールやら初期設定やらなんだかんだが「結構めんどくさい」ものだなどとは知らなかった。

こんな面倒なこと(設定とか)をコツコツやって,文章の長さや写真の大きさが指定通りでない場合に「すみません,ここはですね・・・・」などと丁寧に説明してくれた情報係の皆さんには感謝もしたが,今はそれ以上に感動してしまう。どうしてあんなに嬉々としてPCとおしゃべりができるのだろうか!? と。