親をサバイバル①

亡くなった両親と紅玉りんごと夫のことを考えていたら,まるで自分と両親が良い家族関係だったかのような錯覚をしてしまう。

私の両親は,外面は非常に良かったが実は毒親だった。私はなんとか逃げ出したが,姉は両親のために心を蝕まれてしまった。そのおかげで,今姉との関係を適切に保つのが難しい。

父親も母親も,今でいうところのモラハラ人間で,子どもというのは自分がかつて望んでも得られなかった賞賛や見栄を満足させるための道具あり,親の手駒であると無意識にであっただろうが信じ込んでいた。子どもが自分達の思い通りにならないと,罵声での人格否定から張り手やゲンコツがとんできた。母親には包丁を持って「(自分の思い通りにならないなら)死んでしまえ」と追いかけられた。また父親は自分の実の母親である私の祖母を,私の母親とともに虐待していた。

夕食の場面は毎日戦場だった。父親が祖母を面罵し時にはこづいたり殴ったり,母親はそれを見ながらもしれっとしていた。姉は怒鳴り合いの食卓がいづらくなると部屋に閉じこもってしまい,私が一人で両親に対して祖母を庇って,それが気に食わない父親に怒声を浴びせられて場合によっては殴られた。祖母を庇うということが,私の父親にとっては自分に逆らうこと,自分を否定し侮辱することと受け止められたのかもしれない。

父親は母親の手前「妻を第一にする夫」を演じたかったのだろうか?それもあるだろうが,おそらく「家族の中に一人犠牲を作ること」が父親にとっての家族支配のルールの一つだったのだろう。私もまた,祖母を庇いつつも「自分が精神的肉体的に痛めつけられない方法」を探り,目の前の現実から逃避することもあった。祖母にきつい物言いをしてしまうとか,結果的に両親の狙う方向に行ってしまうとか。

幼児期から毎日が両親との戦いだった。休日に両親が家にいるのが嫌でたまらなかった。

そもそも私の日常生活の世話をしてくれていたのは祖母であって,両親ではなかった。持病のヒルシュスプルング病で度々起こる腸閉塞に苦しむ時,私を背負って病院まで走ってくれたのは祖母だった。母親は私や姉の健康状態に無関心だった。父親は「具合が悪い」などと言おうものなら「ふざけるな」「忙しいんだ」「お前が悪い」と怒り出した。祖母がいなかったら,私は幼児期に命を落としていたと思う。もし親から逃げ出していなかったら,やっぱり私は今こうして生きていなかったと思う。子供の頃から繰り返し自傷していたから。

幼児期は,私は風呂に入る時も祖母に任せられていた。昔の風呂は釜で湯を沸かすので,風呂が深いし周りの釜は熱されると大変熱くなり触れると火傷をするほどだった。小学校に上がる前までの家は茅葺の日本家屋で馬屋まであって,だが風呂は家の外にあった。祖母が何かしらの作業で手を離せない時には一人で夜屋外に出るのが億劫で,祖母が農繁期で近所の手伝いで忙しい時などは私は垢まみれになっていた。母親はそんな私を見て「汚いから(臭いから)近づかないで」と言うこともあった。時には濡れた布で顔をゴシゴシ拭かれることもあった。

それとは別の選択で,姉は自傷の一つで「風呂に入らない」という選択をすることがあった。そのためだろうか,今の姉は強迫的に風呂に入りたがり,体調がすぐれないのに無理をして風呂場で倒れることもあり,それが非常に問題である。

子ども時代の私の夢は「いつか外国に行くこと」だった。それから,顔が濃いめで髭のある人,できれば西アジアの人,もっと言えばパレスチナの人と(幼児期に毎日のようにパレスチナ問題とベトナム戦争のニュースを見ていたからだろうか?)結婚すること。その点で言えば,夢はかなったのだろう。

高校になると,進路というものは現実的というか,世の中の世知辛さに晒されてくる。進学校であると同時に,教員養成課程のある国公立大学への進学が多かった高校で(やっと出会った)友人らが「教員になる」という目標を持って受験勉強をする中で,私には何もしたいことがなかった。本を読んで,音楽を聴いて,試験勉強とかは特にしなくてもそこそこの成績をとって卒業はできるだろう,という程度。

高校3年になっても何も目標が見つからず,卒業だけして1年家に閉じこもった。高校の教科書を自分でやり直すための勉強をして昼夜逆転生活もした。だが,まあ,主に犬や猫と話をしながら,空に向かって空気や鳥に語りかける日々だった。両親がいない昼間,学校がない日々が幸せだった。それに,学校の先生がいないところで自分のペースでできる勉強は面白かった。教科書って面白いことも書いてあるものだな,と思った。

小学校から高校までは,ずっと学校が大嫌いだった。両親が象徴するものでもあったし,強制された集団行動がとにかく苦手だった。そんな私を当然両親は毎日罵った。両親は私に姉と同じ大学(旧帝大)に行かなければいけないと言った。どだい無理な話である。無理な話なのに,ノートが取れないADHDの私が,進学校を卒業できただけでもすごいと思うような親ではなかった。

当時私が一番に決めた目標は「家を出る」ことだった。

大学はどうしても行きたいところができた。片想いしていた人がいる大学に入って後輩になりたかったから(入学後その人は私の同級生に一目惚れして婚約していたが)。

この大学は私立で,入学するのはすこぶる簡単(試験がすごく簡単)だが,卒業するのが意外と難しかった。面白い教授が多く,イングリッシュ・ジャーナルなどに取材される先生や6ヶ国語を操る先生がいて,外国人の教授が近隣の公立大学より多く,キャンパスのつくりも外国のようだった。外国人の教授や国立の教育課程から移ってきた割とクセのある教授達の研究室を訪ねて,お茶やお菓子を出してもらいつつ教授の講義,哲学や宗教,心理学や精神病理学,外国文化等々について話をするのが好きだった。

小中高と先生に嫌われていた(小学1〜2年生もちあがりの担任以外は皆私を嫌がった)ので,新鮮だった。教授達は私の話を真剣に聞いてくれた。体調が悪そうな時には心配してくれた。ヒルシュスプルング病からくる腹痛と嘔吐で苦しむ生徒を「受け持ち生徒が早退すると校長からの評価が下がるから」と早退させてくれなかった高3の担任とかとは大違いだった。

その大学でできることで尚且つ家を出るために役立つことは、資格を取得することだった。家を出るためになら,努力というものをしてみようと思ったのだ。

毒親をサバイバルするためには,物理的に精神的に離れることが必要だが,その最短距離は就職することだと思う。できれば資格があると選択肢が広がるはずだ。

だから,大学卒業と同時に正規職員として就職してからも,割と有名な大学の通信教育課程でいくつかの資格を取得した。通信教育は自分なりにできるので,私には合っていた。インターネットの発達した現代なら,海外の有名大学が公開している講座も受講できる。私の時代にインターネットがなかったのは残念である。それでも「みんな一緒」「みんな同じ」という状態を強制される苦痛がない分,通信教育課程は学習しやすかった。

世の中には,私のように他人と同じペースを強制されると身動きできなくなってしまう人間がいる反面,「みんなと一緒」でないと不安になる人がいる。同じ職場で出会った人達の中にも資格取得のために通信教育を受講する人がいたけれど,脱落するか課程終了が著しく遅れる人も多かった。

仕事に必要なある免許を取得するために,1年コースを受講したことがある。私は半年で終了したが,同じ職場の人が1年で終わらず延長手続きをしていたことで,人間関係がギクシャクしたこともあった(その人がとても繊細だったのか性格に問題があったのかわからないが,嫌がらせを受けた)。私が見ていた限りにおいて,その人も親が相当だったから,焦りや苦しさがあったのかもしれない。

親から逃げなければいけない時がある。生物学的に親は親だ。この親だから自分なのだろう遺伝子的には。だが,生き残るために親から逃げよう,そう思うことが多いのだ。

故郷の紅玉りんごを守るため

実家は今住んでいる所から100キロ以上,おおよそ140キロほど離れている。実家自体は町の南の方なのだが,町の面積はやたらと広く北の端まで行けば200キロ近いのではないだろうか。関東以北と言うのは,中部地方や西日本に比べて一つの県がとても広いのだ(北海道なんて外国の一つの国以上の広さがある)。

実家周辺は夏は暑いが冬はめっぽう寒い。秋になると山々の紅葉が美しい。また,秋の味覚である栗,りんごも栽培されている。特にりんごは町の名物でもある。秋になると地元にたくさんある温泉には,湯にりんごを浮かべる所もある。

地元のりんごは青森リンゴのようにスーパーなどにはおろさない。観光りんご園として開かれるか,注文発送である。

こんな感じで地方発送OK

観光りんご園というのは,入場料を支払って入園し,自分で気にいったりんごをとってカゴに入れ,出口で会計したり,試食コーナーで色々食べたり(従業員さんがりんごの皮をむいてすすめてくれるとかアップルパイやりんごのお菓子をすすめてくれるとか)飲んだり(ジュースやお茶を出してくれる),りんご園や山々を眺めてピクニックをしたりできる。

いかにもりんごらしい赤い小ぶりのりんごといえば紅玉だ。

紅玉は酸味が強く他の品種に比べて日持ちがしない(ふじと言う品種は秋から冬を超えるくらい持つ)ので,アップルパイ,ケーキ,ジャムなどに加工されることが多い。だが見た目がとても愛らしい真っ赤なりんごなので,りんご園の入場客が紅玉をもいで食べようとすることが多いそうだ。しかし酸っぱいと言って途中で捨てられることも多いそうで,とても残念だ。だから今では紅玉の樹はどんどん切られてしまって,一般に好まれる甘い品種のりんごが接木(つぎき)されてしまう傾向にある。本当に本当に切ない。

私も姉や親戚も,今では夫も,紅玉が大好きなのだ。あの酸っぱさがたまらない。それに紅玉以外のりんごで作るアップルパイやアップルソースケーキは物足りない。

なので,まだ私が学生の頃,いつもりんごを買っていたりんご園で「売れないから紅玉の木を皆切る」と言う話を聞いた私の両親が,「家族も親戚も紅玉が一番好きなので,紅玉が実ったらうちで買うから木を残してくれないか。」と頼み込んだ。そして,毎年そのりんご園で紅玉が実ったら我が家が真っ先に買う,という状態が続いてきた。それは両親が死んでからは私が続けている。自分達夫婦の分だけでなく,親戚にも送っている。紅玉の木を切らないでもらいたいと思うから。一度切ってしまったら,二度とは元に戻らないのだから。

私が結婚したのは12月だったので,紅玉りんごはもうなかった。翌年の秋,父が初物のりんごを夫に食べさせたら(父の趣味の一つにリンゴの皮をどこまで長くむけるか試すと言うのがあった)夫が大喜びした。

「レバノンのりんごより美味しい。」とパクパク食べる夫。正直のところ,レバノンのりんごにはレバノンのりんごだけの良さがあるけれど,私も夫にはぜひ日本のりんごを食べて欲しかった。特に私の故郷のりんごを。

娘が結婚したことで不機嫌(娘はいい加減晩婚だったのに嫁に出すのが嫌だったらしい)だった父親は,それで気を良くして農業で使う(うちは農家ではなかったが)収穫用コンテナ10箱ぐらいのリンゴを買ってきた。

やや傷のついた物や形のいびつな物は商品にならないので,お願いすると地元の人間に安価で売ってくれるのだが,それにしても大量だった。100キロとまでは行かなかったが相当な量だった。父親は上機嫌で夫に「食べろ」と言ったので,夫は一所懸命食べた。アパートに持ち帰って,毎日毎日りんごを食べた。思えば,あれが頑固で意固地な父親と私の夫がまともに口を聞いた最初で最後かもしれない。

りんごに関しては子供の頃からの山ほどの思い出がある。その中でも紅玉りんごの酸っぱさが記憶を刺激する。甘いりんごにはない,特別な刺激なのだ。それを守りたいから,今年もたくさん紅玉を食べる。

カメの好きな水温?

先週頭ぐらいまでは「10月なのにこれでいいのか?」と思いつつ,家の中では半袖ワンピースを着ていた。流石に通院する時には長袖のコットンシャツで行ったけれども,車の中も暑かったので窓を開けて走っていた。

でも数日前から急に気温が下がったような気がする。ついに家の中でも長袖のシャツを着るようになった。

それに合わせて,ずっと気になっていたカメのマイキーの水槽用ヒーターを購入した。

水槽がプラスチック製なので
ヒーター付属の吸盤は使っていない。
ヒーターは水にしっかり沈んでいないといけない
ので水はこのぐらい

マイキーがうちにやってきたのは6年前。それ以前は職場でわけあって飼育されていたのだが,職場は夏は冷房があり,冬はやたらと暑くなるセントラルヒーティングシステムがあった。そのため,夏は廊下に(しかし廊下は35〜40°Cぐらいまで暑くなっていた),冬場は室内の日向か暖房の風が来るそう風口の真下に水槽を置いていた。そのため,冬でも特にヒーターを使うことはなかった。水槽が小さかったこともある。

7年前,とある理由があって私がマイキー(当時は,亀吉,亀太郎,カメ等々皆勝手な名前で呼んでいた)の世話をすることになり,と言ってもその数年前から私がみていたのだが,水槽を大きくすることにした。

水槽が大きくなると水も多くなるわけで,日向や暖房送風口下に水槽を置いても水が温まらなくなってしまった。その年の冬はマイキーにとって辛かったと思う。半分冬眠のようになりながら,彼は頑張った。

そして私が転勤するにあたって「(職場では)誰も面倒をみられないだろうから」と言う理由で,マイキーは私の家にやって来ることになった。

その年の冬からは,ずっと「カメ元気」と言うヒーターを使って冬場をしのぐようになった。ヒーターを使っていると冬眠しないので,本当に元気(そうに)マイキーは水槽の中を歩き回っている。本当はもっと大きい水槽にしてやりたいが,そうなると腰痛持ちの私が水の交換をする時に困難が生じるので,現在の大きさで我慢してもらっている。

「カメ元気」と言うヒーターは,最初は実家近くのホームセンターで購入した。犬猫を連れて実家に帰った時に,猫トイレの砂だったか犬トイレのシーツだったかを持っていくのを忘れて,急いで行ったホームセンターの犬猫トイレ用品の通路の向かい側にあった。熱帯魚や爬虫類のヒーターや水槽フィルターなどを扱っている「GEX(ジェックス)」と言うメイカーのもの。

https://product.gex-fp.co.jp/fish/?m=ProductListDetail&cid=352&id=426

今回購入したヒーターは4つ目である。

「カメ元気」ヒーターは(多分他のメイカーの製品も同様だと思うが),水から出てしまうとヒーターの空焚きで火事やショートする(中にいる生き物が感電死してしまう)ので,水に完全に沈んでいないといけない。水からヒーター本体が出てしまうと,自動的にサーモスタットが作動してヒーターが切れると同時に本体が壊れる。

最初に買ったヒーターは4シーズン使えたのだが,一昨年の暮れだったか昨年初めだったかに購入したヒーターを,マイキーがすぐに壊してしまった。どうやったかというと,よほど寒かったらしくヒーターの下にもぐりこもうとしてヒーターを持ち上げてしまったのだ。甲羅に乗ったヒーターは無事にというかなんというか,サーモスタットが作動して壊れてしまった。

寒くては水温が下がり,亀は爬虫類で,爬虫類は変温動物なので体温も下がり,餌も食べられなくなってしまう。冬眠するにも環境が水槽だと難しい。知人でカメを飼育していた人達の何人かが「冬眠させていたらそのまま死んでしまった。」と話していたので,やはりヒーターが必要なのだと考えた。

新しいヒーターは昨日設置した。昨日はまだ水温が上がらなかったのかマイキーの体温が低いままだったのか,餌をあまり食べられなかったが,今朝は食べることができた。良かった。このままこのヒーターで来年の春までいけるだろうか。それはわからないが,とにかくマイキーが餌を食べられるようになって良かった。

金木犀匂う

こんなに花がたくさん咲いた。

ナナの散歩道にあった金木犀は,先日かなりの強風が吹いたためほとんど散ってしまった,と思っていた。

ところが先週ぐらいから好天が続いたためだろう,また花が咲いて更に増えてきた。今は家の中まで爽やかな匂いが漂ってくる。金木犀は花自体は地味かもしれないけれど,この独特の花の香りが他のどの花とも違っている。どこにいてもそれとわかる匂いなのだ。花言葉は「気高い人」

ナナとの散歩も,この匂いにつられて私が歩く方向へナナがついて来てくれる。

以前「トーキョーグール」と金木犀の関連を書いていたのだが,そもそも主人公の「金木研(カネキケン)」の金木という名前が金木犀からきているように思われる。

金木犀の花言葉が「気高い人」であることからも,主人公の性格を表していると思う。ただし,作中にはカネキ以外にも「気高い人(グールだったとしても)」が幾人も登場する。一見悪だがある意味気高いと言える人もいる。

「東京喰種トーキョーグール:re 」という第2部になると,「木犀章」という勲章のようなものが出てくる。曼珠沙華といい,この作者は秋の花が好きなのだろうか。

この作者は,セリフも色々書き込んでいるけれども,どちらかというと何か場面にある一つの物や一人の人物の位置やポーズで何かを暗示することが多いと思う。少なくとも「トーキョーグール」では。これは作者の初めての連載だったそうだが。

北原白秋の詩や,白いカーネーション,曼珠沙華,木犀,蝶,ピエロ等々で暗示されるものがたくさんある。

伏線は回収されているのだが,暗示や比喩,言葉にされていない部分で語られることが多いので,読み取り方によっては回収できていないような気持ちになってもやっとする人もいるかもしれない。

私は主人公のカネキはもちろん大好きなのだが,ナキという教養がないために頓珍漢な発言や凶暴な行動をするが,実は真っ直ぐな部分があるキャラも好きだ。

「 ZAKKI」という「トーキョーグール」の画集が2種類出ていて,その2番目の,より分厚く中身の濃い画集の中にある,ナキと彼が慕っていたヤモリという男の会話のイラストが好きだ。ヤモリは金木を拷問して人格までかなり変えてしまった男だが,彼自身もまた人間によって拷問されて人格崩壊してしまった犠牲者でもある。そのヤモリがナキに対して「人間が神と呼んでいる存在」について語るシーンがイラストになっている。

このイラストは「トーキョーグール√A 」という,本当にどうしようもなく原作からかけ離れたアニメのエンディングに出された物である。毎週違うイラストが出て,「トーキョーグール√A」はどうしようもないが,作者オリジナルのエンディングイラストは最高,と言われているようだ。

ヤモリがナキに優しい言葉で「神」について説明するのだが,ナキは素直にヤモリが自分にとっての神だと言うので,ヤモリは苦笑する。そういうストーリーがイラストから見えてくる(セリフも入っているが)。アニメの本編よりエンディングのイラストが物語だった,と言うすごいものであった。

そんなこんなで,金木犀は今日も「気高い」何かを感じさせてくれるように匂っている。

ジェームズ・コーデンとBTS

今日のニュースを見ていたら,イギリスのコメディアン・俳優のジェームズ・コーデンがBTSを中傷しているかのようなタイトルの記事があった。

https://www.cosmopolitan.com/jp/k-culture/korean-entertainment/a37748158/army-bts/#

ソースはコスモポリタン紙。だが,読んで言ったら,これはあまりにもひどい言いがかりではないだろうか?と感じてしまった。

コスモポリタンも煽るような見出しであるから,言いがかりを助長していると思うし,こんな誹謗中傷を平気でする人間がファンを名乗るのは,BTSにとってもダメージにしかならないと思うのだ。

ジェームズ・コーデンはイギリスの人で,10年ぐらい前には映画の主演もしたし,私の好きなイギリスの御長寿ドラマ(60年ぐらいやっている)「ドクター・フー」にも数回重要な役で出演しているし,何より今では有名な司会者として番組を持っている。

特に「CARPOOL KARAOKE (カープールカラオケ)」は大人気だ。ポール・マッカートニーと一緒に彼の故郷を訪ねつつ一緒に車の中で歌いまくるとか,ジョナス・ブラザーズとは彼らのキャリアについてシリアスな話をしつつ歌いまくるとか,ミシェル・オバマと二人漫才みたいになりながら歌うとか,多種多彩なゲスト(多種多才というか)が来て,車の中であるのを良いことに大声で歌いまくる,なおかつインタビューする,という楽しい番組だ。

BTSも以前「カープールカラオケ」に出演している。ジェームズが「どうして英語がそんなに話せるのか」と質問すると「友達やテレビから」とRMが答え,ジンが「僕もテレビや友達から英語聞くけど話せないよ〜」と笑っている。ジェームズも一緒にみんなで ”MIC Drop"大合唱もある。

韓国のM NETで毎年開催されるMAMA(Mnet Asia Music Award)で,コロナ問題で有観客ライヴができず,映像とオンラインで進行された2020年度授賞式では,ジェームズ・コーデンがオンラインでプレゼンターを務め,BTSが受賞して嬉しい,と言っていた。

今回コスモポリタン紙が「BTSファンから批判」と煽ってきているのは,ジェームズ・コーデンが先日行われたBTSの国連でのスピーチに関してSNSに書き込んだことで,BTSのファンが「BTSのファンは15歳の女の子だけじゃない」「ジェームズ・コーデンがBTSを貶している」と怒っているというものだ。なんだか「?」である。

ジェームズ・コーデンが言っているのは「今まで国連や国連の活動に興味関心を持たなかった人々が,BTSを通して関心を持ち始めるだろう。」ということだ。批判や貶すというのではなく,彼はむしろBTSを称賛しているのだ。

確かに,ファンの中には多少思考に問題がある人もいるだろうが,それが全てのファンではない。今回,一部で過激でリテラシーのないファンが暴走しているかもしれない。だが,一番の問題は,このコスモポリタン紙のように,あたかも全てのファンがジェームズ・コーデンを非難しているかのように扇情的な記事を出してくるメディアの方である。こんなことでジェームズ・コーデンの番組の視聴率がどうかなるとしたら,大変おかしなことである。その視聴率というのはどの世代のどの人々によるものなのか。

リテラシーは大変重要なものである。日本では,1980年代から学習指導要領というものが大幅に改訂されててしまい,学習内容がバッサリと切り取られ捨てられてしまった。そのため教科書内容も系統性を欠くものがあり,現場の教員の中には子ども達の将来を憂える人もいた。今から10年ほど前に,また少し学習指導要領が変わり,突然学習内容が増えたのだが,当時の児童生徒と教員はとても大変な思いをしただろう。

現在でも,小学校での英語導入やプログラミング導入や増え過ぎた行事などのために,国語の学習内容は30〜40年前の半分ほどになっているので(土曜日が休みになったこともある,スピーチの学習など意見を出す学習が増えたが読み取り学習は減った),リテラシー(読解力)を育てることが難しくなっている。

私の夫の育ったレバノンでも,20年ほど前から小学校で英語を使った授業や英語学習が導入され,ドロップアウトしてしまう子どもが急激に増えた。中東では社会的構造のためでもあるが,小学生でさえ2年連続で全科目及第点を取れない児童は退学になる。なんとか小学校を出ても中学校でかなりの子どもが落第し退学になる。

私はかつて英語を教えていたことがあるのだが,母語による文章理解や抽象概念の理解ができないと,外国語の習得は難しい。日本人の中には「英語は暗記科目」と信じ込んでいる人がいるが,説明されたことが何を意味しているのか理解できなければ,何も理解できないのと同じなのである。だから国語力が必要だ。それは英語に限った話ではない。数学でも理科でも言葉が分からなければ「なんだこれは?」になってしまうのだ。ついでに言えば,英語学習は数学や社会科に通じるところがある。だがそれは別の話。

国語は話せれば良いというものではない。漢字の読み方ができない人が多過ぎて,ついには新しい読み方が定着し,辞書では正しい読み方に新しい読み方が並記されるケースもある。そうなると共通概念を持つことが難しくなる。私はここ30年ほどで変わり果てた岩波書店の辞書,「広辞苑」を見るのがとても悲しい。今時は,アナウンサーでさえ漢字が読めないのだ。なんとも恐ろしい世の中だ。

世界中が「英語学習」や「コンピュータ学習」に偏り,大切なことを忘れてしまって,気づけばリテラシーで障害が現れている。

話が逸れてしまったが,ジェームズ・コーデンは面白い司会者である。また俳優・コメディアン・声優である。イギリス人だから,時々イギリスっぽい皮肉を言ったりイギリス的なブラックジョークを言ったりするが,今回は何もおかしなことは言っていないと思うのだ。

ファンというのは普通の人間だから仕方がないのといえば仕方ない面もあるが,BTSのファンには冷静になってもらいたいものだ(私もBTSのファンではある)。

東京喰種(トーキョーグール)と北原白秋 曼珠沙華で思い出すこと②

しばらく前に曼珠沙華の花のことを書いた。ナナの散歩道にあった曼珠沙華の花が全て萎れ今年の彼岸が過ぎていくことをかんじ。一昨日彼岸も終わり(彼岸の中日は9月23日),もう9月もすぐに終わる。

私の実家周辺では,昔は曼珠沙華は彼岸頃から咲いていたものだが,今では地球温暖化のせいか年々早く咲くようになっている。今住んでいる地域は実家より大分南にあるので,余計に早く枯れてしまったのかもしれない(根は残っているだろうが)。

高校生の時には,通学に使う列車の窓から緋色の毛氈のように一面に広がる,真っ赤な曼珠沙華の群生を見たもので,その様子は小学校の教科書にあった「ごんぎつね」と,中学の時に読んだ北原白秋の「曼珠沙華」をいつも思い起こさせた。

北原白秋の「曼珠沙華(ヒガンバナ)」は童謡の歌詞で,曲は山田耕筰が作ったそうだ。山田耕筰は小学校の音楽の教科書にも出てくるので,今でもその名を知っている人はいると思う。私は初めそれを知らず,「曼珠沙華」は普通の詩だと思っていた。

以下「曼珠沙華(ヒガンバナ)」の引用。

Gonshan,Gonshan 何処[どこ]へゆく
赤い お墓(はか)の曼珠沙華(ひがんばな) 曼珠沙華
けふも[きょうも]手折り[たおり]に来たわいな

Gonshan,Gonshan 何本(なんぼん)か
地には七本 血のやうに[ように] 血のやうに[ように]
丁度 あの児[こ]の年の数(かず)

Gonshan,Gonshan 気をつけな
ひとつ摘(つ)んでも 日は真昼 日は真昼
ひとつあとからまたひらく

Gonshan,Gonshan 何故(なし)泣くろ
何時(いつ)まで取っても 曼珠沙華 曼珠沙華
恐(こは)[こわ]や 赤しや まだ七つ

引用以上。[ ]部分は旧仮名遣いなので付け足した。

「ゴンシャン」というのは,北原白秋が育った地域の言葉で「お嬢さん」「良家の令嬢」などを表す。「お嬢さん,お嬢さん,どこへいく?」と聞いた時には,マザーグースの歌を思い出した。白秋もマザーグースの翻訳をしていて「まざあぐうす」という詩集がある。だから,少し意識したのかもしれない。

私の中では「血には七本血のように」の部分が強烈であった。厨二病を拗らせていた頃だったのもある。

仕事をしていた頃のある時,アニメの専門チャンネルを見ていた私は,たまたま見ようと思っていた番組の前か後かにあった「トーキョーグール」を何となく見ていた。ちょうどシーズン1の最終回だった。

今になると,あのアニメのシーズン1最終回の中には色々おかしいところもあるのだが(原作通りにすればよかったのに)。原作にもあるシーンで,拷問にあっている主人公の金木研(この金木は金木犀に引っ掛けている)が頭の中にイメージしている理想の女性であるリゼと会話する。このリゼは実際にも金木のイメージの中でも,かなりの曲者である。

金木の体の中にはリゼの体の一部が移植され,そのため金木がグール(昔話では人食い鬼のこと)になった。でも金木は元々が心優しい文学青年なので,人を喰らうことなどできない。グールのことですら食べられない。自分は人間だ,とずっとグールであることを否定している。

頭の中で,金木はリゼと問答しつつ,金木の子どもの頃の記憶をリゼとともにたどっていく。その記憶の中では,金木の理想の女性の究極の姿だった母親が,白いカーネーションで象徴されている。しかし,母は金木にとって理想で,だから金木はリゼのような女らしく落ち着いた(しとやかな)女性が好きだったのに,実は母親に対して複雑な感情を抱きつつそれを隠していたこと,本当は母親に言いたかったこと,等々に気づいた金木は,感情を爆発させる。

爆発した金木の感情と,頭の中のリゼが彼にじわじわと問いかけ深層心理に気づかせる過程を象徴するのが深紅の曼珠沙華である。

金木が「ぼくはグールだ。」と自分の今の姿を受け入れるとき,亡き母を象徴する白いカーネーションがどんどん曼珠沙華に変化していく。

その時みた「トーキョーグール」のアニメの色は,あまりにも鮮やかだった。その瞬間「作者は福岡県か佐賀県出身かな?」と頭に浮かんだ。「それとも北原白秋が好きなのかな?」と。

どうしても鮮やかな曼珠沙華と「トーキョーグール」の関係が知りたくなって,コミックを全巻(古本含む)揃えた。「トーキョーグール」だけでなく「東京喰種:re」も揃え,一気に30冊読んだ。読み応えがあった。小説版も読んだ。そして,アニメが色々省略しているのでおかしかった部分は,コミックと小説の一気読みで納得できた。その後画集も買って細かい設定や,作者の解説も読んだ。

アニメは色がきれいで(漫画は白黒だから曼珠沙華が真っ黒)声優も好きだったのだが,やはりストーリーを味わうためには原作を読まないといけない。アニメはかなり端折っている上に,シーズン2は原作に追いついてしまったためにアニメ完全オリジナルストーリーになってしまい,シーズン3に繋がらなくなってしまった,というとんでもないことになっている。シーズン3も省略し過ぎて何が何だかわからなくなったところが多数ある。一体全体アニメの現場で何が起こった?という,もはや私の中では大惨事。

「東京喰種」から「東京喰種:re」へつながる重要な鍵でもあるエピソードでも北原白秋は出てくる。「老いしアイヌの歌」の一部である。アニメでは完全にカットされている。

(以下引用)

彼アイヌ,眉毛かがやき,白き髯胸にかき垂り,家屋(チセ)の外(と)に萱畳敷き,さやさやと敷き,厳かしき(いつかしき)アツシシ,マキリ持ち,研ぎ,あぐらゐ[あぐらい],ふかぶかとその眼凝れり(これり)。

彼アイヌ,蝦夷島(アイヌモシリ)の神,古伝神(オイナカムイ),オキクルミの裔(すゑ)[すえ]。

ほろびゆく生ける屍(ライグル)。夏の日を,白き日射を,うなぶし,ただに息のみにけり。

(以上引用)

この白秋の詩の中には「生ける屍(ライグル)」が出てくるが,これに作者は人の姿で人でないグールを重ねているのではないかと思う。

私にとっては,白秋の文体も馴染みがあるが,祖父母がかつて北海道で仕事をしていたので(私の祖父は日本だけでなく仕事をして回っていた),その時住んでいた地域を訪ねてアイヌの文化に興味があったので「アツシシ」とか「アイヌモシリ」とかは懐かしい響きがあった。「オキクルミ」は子どもの頃に読んだ,佐藤さとる作「コロボックルの物語」にもあったので知っていた。

またトーキョーグールの主人公である金木研(カネキケン)は,大学では文学部国文科専攻の学生という設定なので「これは北原白秋を研究するんだな。」と解釈した。

作者が福岡の人かな?と思ったのは,今時北原白秋がすんなり出てくる人って,同じ地元なのではなかろうか,と考えたから。コミックスを読んでいくと,福岡や九州北部の言葉がいくつか出てくる。というか,わからない言葉があったので調べたら福岡の言葉だった。たとえば鶏肉を「かしわ」と呼ぶとか。

そして実際に作者は福岡出身の人だった。

そんなこんなで,最近は曼珠沙華を見たときに思い出すものが,「ごんぎつね」「北原白秋」「緋毛氈」「田舎の駅」「実家周辺」だけでなく「東京喰種トーキョーグール」も加わった。

「トーキョーグール」は,至る所に伏線があるので,普通に本を読むように楽しめる。アニメは色がきれいだっただけにストーリーが訳がわからなくなって残念。アニメの現場が大変というのもあるだろうが(大人の事情もあるだろうが),現場に北原白秋や文学に造詣の深い人がいなかったので,余計でたらめに細切れにされてしまったのだろう。でもアニメから入ると色が頭の中で出てくるから,それはそれで受け入れることにしている(漫画は白黒だから)。

曼珠沙華(ヒガンバナ)で思い出すこと①

ナナの散歩道にあった曼珠沙華が,全部しぼんでしまっていた。2〜3日前から色が褪せてきていたので,もうすぐ終わりかな?とは思っていた。

曼珠沙華の深紅の花を見ると,いくつかのことを思い出す。

一つが,小学生の時に国語の教科書に載っていた「ごんぎつね」の物語。もう一つが,列車通学していた高校時代に(電車ではなく汽車だった)ある通過駅の周り一面に咲いていた曼珠沙華のこと。もう一つが「東京喰種トーキョーグール」という石田スイ作の漫画。最後に北原白秋の詩。

列車から見た一面の曼珠沙華は「ごんぎつね」と北原白秋の「曼珠沙華」という詩をどちらも思い出させた。

「ごんぎつね」の中にはヒガンバナが赤い布のように一面に広がるという描写があって,白秋の詩でも地面にキリなく広がるヒガンバナの様子が描かれている。

作者の新見南吉が「ごんぎつね」を書いた時,実は決定稿がなかったそうで,出版される前とされた後に何度か書き直しているそうだ。そのため「ごんぎつね」のテキストが何通りかある状態がしばらく続き,今は大体同じものが使われているようだ。

偕成社版「ごんぎつね」

今一番知られている「ごんぎつね」は,偕成社から出版された黒井健の挿絵のものではないかと思う。いくつかの出版社から出された国語の教科書にもよく使われていた。私が小学生の時にはこの本は出版されていなかったので,挿絵は当然違う人の手によるものだった。またテキストの内容が今広く知られているものとは若干違っていた。

たとえば,新見南吉が生まれ育った愛知県の現在半田市になっている辺りでは,昔はフナのことをキスと呼んでいたので,新見南吉は「キス」という表現を使っていたが,それでは海に棲息しているキスと誤解されることからだろうか「フナ」と書き直したものがある。私が使った教科書でも「フナ」だった。しかし偕成社版や現在広く知られているテキストでは作者の育った地域の「キス」が使われている。(ひらがなで「きす」)

また,登場人物である兵十(ひょうじゅう)の母の葬列の通る辺り一面に咲くヒガンバナを喩える言葉が今では「赤いぬの」が普通であるが,昔の教科書には「ひもうせん(緋毛氈)」と書かれていた。そのため,私は「ひもうせん,て何だ?」と不思議に思って調べたものである。

そういう文章のことはどうでもいい,というといけないのだが,私は「ごんぎつね」を何回読んでも最後に泣いてしまったものだ。ここ10年余りは「ごんぎつね」を読んでいない。以前は仕事の関係で数年おきに読んでいたのだが。今読んだら、私は泣くことができるだろうか。私の涙はちゃんと出てくるのだろうか。適応障害で鬱状態になってから泣くことを忘れてしまい.嬉しいとか悲しいとかの感情もどこかへ忘れているので(犬猫やカメがいると嬉しいのだが),「ごんぎつね」への自分の心情を台無しにしたくないという思いがあり,ずっと読んでいない。

ちなみに私は偕成社版,黒井健挿絵の「ごんぎつね」の絵本を持っているが,小学校時代の教科書の挿絵は影絵を使って表現する藤城清治という作家さんのものだったので(だったはず),最初の印象が強いせいか時々その作家さんの挿絵をまた見たいなと思う。昔使った教科書は皆実家で保存していたのだが,台風被災した実家の片付けと取り壊しの際に処分してしまった。残念だ。

「ごんぎつね」は教科書の出版社によって,小学3年生で学習するか小学4年生で学習するかが変わっている。私は小学3年生で読んだのだが,先生の話はさっぱり聞かず,自分で勝手に最後まで読み進んで,最後にジワジワっと涙が滲んで教科書が読めなくなってしまった。他の子達が先生の進める通りに授業を受けている横で,一人泣いているような子どもが私だった。おかげで3年生の先生にはよく「ばか」と呼ばれたものである。私には全く泣きもせず普通の様子で授業を受けている他の同級生が,異様というか不思議だったのだが。

私が大人になってから出会った小学生のある女の子が「兵十は自分で自分をひとりぼっちにしてしまったよ。」と言ったことがある。「もし兵十がもう少し注意深かったら,ごんに気づいていたかもしれないし,ごんに対する感情も変わっっていたかもしれない。でも怒りの感情が先行していた兵十は,ごんを見るなり銃で撃ち殺してしまった。ごん以外もう誰も兵十を相手にしないよ。今までだって夜の集まりとかに行っても一緒に帰る人もいなかった。一人で夜道を帰る兵十を後ろから見守っていたのは狐のごんなのに。兵十はどう見ても友だちいないよね。お母さんもいなくなった。ごんもいなくなった。ひとりぼっちだね。ごんはひとりぼっち同士だから仲良しになれると思ったのかもしれないけど,兵十は頭悪いよね。でも最後に自分が馬鹿だったってわかったみたい。」ということであった。

もちろん,小学生だったのでこんなにスラスラ語ったわけではなかったが。彼女は,ぽつりぽつりと自分の考えを一文ずつ付箋に書いて,読書ノートを作って見せてくれた。新しい視点から物語を見た気がした。

小学生のとき,私にはただただ「動物が死ぬのが嫌だ」という悲しさがあったと思う(人間が亡くなる物語を読んでもあまり泣かないことの方が多いので)。だから彼女の感想を知って「なるほど,そうだな。」と思った。彼女の感想を聞くまで(聞いてからもではあるが),私は兵十が嫌いだったから。なぜ嫌いだったのか?「あ,私は感受性の鈍い人が苦手なんだな。」と思い至った。

物語を読んでいても,ASDであるとかHSPであるとかが,受け取り方に影響するのだ。

今日,ナナと一緒に散歩しながら,そんな風に昔の自分のことや,私に新しい気づきを与えてくれた女の子のことを思い出した。

北原白秋と「東京喰種」はかぶるところがあるので,思い出したら書いてみる。

金木犀(きんもくせい)

ナナの散歩道の途中に広い公園のような所があって,鯉のいる池や四阿(あずまや)や花の寄せ植えなどがある。地元の人達が散歩したり,中高生がスケートボードやバドミントンをしたりして,あたりが薄暗くなっても割と人がいる。

そこに金木犀の並木がある。本当なら今週ぐらいが満開で良い香りがいっぱい漂うものなのだが,先週から何度も風の強い日があって,せっかく花が咲き始め少しずつ増えたのに,一気に散ってしまった。とても残念だ。

散る前の花が増え始めた頃

金木犀の花言葉はいくつかあるが一つは「気高い人」だったと思う。

金木犀の品の良い香りが好きで,子どもの頃から「9月になると漂うこの心地よい香りは何だろう?」と思っていた。小学校5年生の時に,たまたま一緒に放課後委員会活動をしていた6年生が「金木犀の匂いが気持ちいいね。」と声をかけてくれて,その時から「金木犀」は私の中で特別な花になった。

私の実家の庭には森のように木々がたくさん生えていたのだが,金木犀はなかった。他の木の花も大好きだったのだが,どうしても金木犀が欲しかった。

小学6年生の終わり頃,町から小学校卒業生へのお祝いとして苗木をくれるという話があり,いくつか選択肢があったのだが迷わず金木犀を選んだ。

卒業する数日前にもらった金木犀の苗木を庭の日当たりの良いところに植えて,大きくなって花が咲くのを心待ちにした。

金木犀の木は大きくなった。思った以上に大きくなった。実は4〜5メートルぐらいの高さになることもあると知ったのは大分後のことである。

中学には金木犀の木はなかったが,高校では出入り口の前に大きな木があって,学園祭の頃になると良い匂いがして,元気が出てきて,文芸部の文集の印刷が誤字脱字だらけでも「チャチャっと直すぞ。」という気持ちになれた。

金木犀の香りは「気高い」というのが合っている。それにまっすぐ立つ常緑樹のキリッとした葉の形やツヤがやはり「気高い」

自分の中では9月といえば金木犀と曼珠沙華(ヒガンバナ)。曼珠沙華にも思い入れがあるが,今回はナナの散歩道の散ってしまった金木犀がとても寂しかったので書いてみた。

実は金木犀と曼珠沙華は,自分の大好きな「東京喰種トーキョーグール」と「東京喰種:reトーキョーグールアールイー」という漫画にも少し関わる所があるのだけれど,今は書ききれない。残念。

https://youngjump.jp/tokyoghoul/tg/

↑公式サイトがあった。もう3年も前に連載は終わっているのだが。

柴犬の換毛期(秋)

柴犬ナナの秋の換毛期が来た。

夏の毛が抜けて秋の毛が生えてくる。元来,柴犬というのは「もっとも抜け毛の多い犬種の一つ」と言われるくらいに抜け毛がすごい。短毛種ということは,短毛をキープするために常に毛が抜けて生え換わっているということだが,換毛期は1日の抜け毛でクッションが作れるのではないかという勢いでごっそり抜けていく。

ちょっと撫で回しただけでこれだけ抜けてくる換毛期

段差ができたもも周り

柴犬と違って,プードルなどは毛が長くなり毛糸玉のようになることが前提の犬は,抜け毛は少ない。プードルは(スタンダードプードルは)元々は水辺の鳥を狩る時に,人間が撃ち落とした鳥を水に飛び込んでくわえてくる仕事をしていた狩猟犬なので,毛が常に長く体を保温する仕組みがある。現在は,人間によって勝手に改造されてしまったためトイプードルやミニプードルは水に飛び込むことなどできないだろう。低温に弱くなっていると聞いたことがある。

ここしばらく自分の体調が悪かったので,散歩に行けない日や,散歩に行っても歩くのがやっとで「ナナ,ママが倒れたら引きずって家に帰ってね。」という状態だったので,ひょっとしたら数日前から抜け毛は浮き上がってきていたのかもしれないが,気付いたのは今日である。

朝庭に出して,中に入れる時に体を拭いたらモワッと毛が浮かび上がっていたので,触ってみたらボサッと抜けてきたので「お,きたな(換毛期が)。」と思ったのだ。

今回は珍しく,素直に毛を抜かせてくれた。これでかなり抜けた所と抜けていない所の段差ができた。後でファーミネーターでならしてみよう。

Googleにのこる母と家

雨が続くと不安になる。昔はここまでではなかったが,冷夏と夏の長雨はイネや農作物が育たないので嫌いだった。誰だって好きではないと思うが。

雨がこんなに不安なのは2年前に台風で実家がなくなってしまったから。厳密に言えば半壊して1階部分と土台がダメになったので,解体して更地にした。同じ敷地内に姉が建てた離れがあるが,それ以外の2棟の木造物置や古い車庫は家と一緒に解体してもらった。

隠れる場所がなくなって,実家を拠点にしていた野良猫がいなくなってしまったのが悲しい。一番悲しいことはそれ。

台風被災時に母は闘病中で病院にいたのだが,病院も被災してしまい診療棟,事務棟,厨房,倉庫などが大水に流されて,医薬品も米も何もかもなくなってしまった。点滴はナースステーションにあったものと援助物資で,食事は缶詰だった。母はそれまで何とかかんばって食事もしようとしていたが,モサモサする缶詰は喉に詰まり咳き込んでしまい食べられなくなった。

それから2ヶ月ほどして母が亡くなった。

少し前にGoogleマップで実家近辺を調べてみた。ストリートビューには今でも実家の建物がある。それどころか,今まさに外出しようと車を運転して道路に出ようする母の姿がぼかしてはあるが写っていた。

何年前の写真か知らないが,実家近辺は田舎なので都会のように変化が激しくないから,ずっと同じ写真なのだろう。

子どもの頃から大好きだった庭の木々が花を咲かせていたので,曇っていたが春なのだろうということがわかる。

母は亡くなる10ヶ月ぐらい前は元気だったし,亡くなる前の年に高齢者講習と検査も受けて免許を更新していた。さすがに周りに迷惑だからと遠出することはなく列車やタクシーを使ったが,数キロ先まで自家用車で買い物に行くぐらいはできていた。

母が体調を崩した時も,春だというのに曇りや雨が続き(春だからかもしれないが),初夏になってもずっと雨や曇りでジメついていた時だった。様子を見に行く時いつも雨だったような気がする。

ずっと続く雨は人間の気力や体力まで奪ってしまう。一つには太陽に当たらないと脳内の情報伝達物質であるセロトニンが分泌されないからだが,それだけではないだろう。

入院させずに家で見ることができると良かったが,当時は仕事をしていたので,ずっと母のそばにいることはできなかったし,何より私と母はいまひとつ相性が悪かった。なんというか,嫌いというのではないのだが,長く一緒にいるとお互いにイライラしてしまうので体調も崩していた。だから家を離れた。アパートを借りて引っ越して,その後結婚と転勤があってさらに遠くへと移り住んだ。

何もかもなくなってしまったはずの実家が,Googleマップの中にはまだある。母もいる。不思議なものである。

スクリーンショットを撮って保存することにした。

今日はまだワクチン接種の副反応のせいか熱っぽいし体調が悪い。気持ちも沈む。早く晴れてほしい。セロトニン全開にしたい。