しばらく前に曼珠沙華の花のことを書いた。ナナの散歩道にあった曼珠沙華の花が全て萎れ今年の彼岸が過ぎていくことをかんじ。一昨日彼岸も終わり(彼岸の中日は9月23日),もう9月もすぐに終わる。
私の実家周辺では,昔は曼珠沙華は彼岸頃から咲いていたものだが,今では地球温暖化のせいか年々早く咲くようになっている。今住んでいる地域は実家より大分南にあるので,余計に早く枯れてしまったのかもしれない(根は残っているだろうが)。
高校生の時には,通学に使う列車の窓から緋色の毛氈のように一面に広がる,真っ赤な曼珠沙華の群生を見たもので,その様子は小学校の教科書にあった「ごんぎつね」と,中学の時に読んだ北原白秋の「曼珠沙華」をいつも思い起こさせた。
北原白秋の「曼珠沙華(ヒガンバナ)」は童謡の歌詞で,曲は山田耕筰が作ったそうだ。山田耕筰は小学校の音楽の教科書にも出てくるので,今でもその名を知っている人はいると思う。私は初めそれを知らず,「曼珠沙華」は普通の詩だと思っていた。
以下「曼珠沙華(ヒガンバナ)」の引用。
Gonshan,Gonshan 何処[どこ]へゆく
赤い お墓(はか)の曼珠沙華(ひがんばな) 曼珠沙華
けふも[きょうも]手折り[たおり]に来たわいな
Gonshan,Gonshan 何本(なんぼん)か
地には七本 血のやうに[ように] 血のやうに[ように]
丁度 あの児[こ]の年の数(かず)
Gonshan,Gonshan 気をつけな
ひとつ摘(つ)んでも 日は真昼 日は真昼
ひとつあとからまたひらく
Gonshan,Gonshan 何故(なし)泣くろ
何時(いつ)まで取っても 曼珠沙華 曼珠沙華
恐(こは)[こわ]や 赤しや まだ七つ
引用以上。[ ]部分は旧仮名遣いなので付け足した。
「ゴンシャン」というのは,北原白秋が育った地域の言葉で「お嬢さん」「良家の令嬢」などを表す。「お嬢さん,お嬢さん,どこへいく?」と聞いた時には,マザーグースの歌を思い出した。白秋もマザーグースの翻訳をしていて「まざあぐうす」という詩集がある。だから,少し意識したのかもしれない。
私の中では「血には七本血のように」の部分が強烈であった。厨二病を拗らせていた頃だったのもある。
仕事をしていた頃のある時,アニメの専門チャンネルを見ていた私は,たまたま見ようと思っていた番組の前か後かにあった「トーキョーグール」を何となく見ていた。ちょうどシーズン1の最終回だった。
今になると,あのアニメのシーズン1最終回の中には色々おかしいところもあるのだが(原作通りにすればよかったのに)。原作にもあるシーンで,拷問にあっている主人公の金木研(この金木は金木犀に引っ掛けている)が頭の中にイメージしている理想の女性であるリゼと会話する。このリゼは実際にも金木のイメージの中でも,かなりの曲者である。
金木の体の中にはリゼの体の一部が移植され,そのため金木がグール(昔話では人食い鬼のこと)になった。でも金木は元々が心優しい文学青年なので,人を喰らうことなどできない。グールのことですら食べられない。自分は人間だ,とずっとグールであることを否定している。
頭の中で,金木はリゼと問答しつつ,金木の子どもの頃の記憶をリゼとともにたどっていく。その記憶の中では,金木の理想の女性の究極の姿だった母親が,白いカーネーションで象徴されている。しかし,母は金木にとって理想で,だから金木はリゼのような女らしく落ち着いた(しとやかな)女性が好きだったのに,実は母親に対して複雑な感情を抱きつつそれを隠していたこと,本当は母親に言いたかったこと,等々に気づいた金木は,感情を爆発させる。
爆発した金木の感情と,頭の中のリゼが彼にじわじわと問いかけ深層心理に気づかせる過程を象徴するのが深紅の曼珠沙華である。
金木が「ぼくはグールだ。」と自分の今の姿を受け入れるとき,亡き母を象徴する白いカーネーションがどんどん曼珠沙華に変化していく。
その時みた「トーキョーグール」のアニメの色は,あまりにも鮮やかだった。その瞬間「作者は福岡県か佐賀県出身かな?」と頭に浮かんだ。「それとも北原白秋が好きなのかな?」と。
どうしても鮮やかな曼珠沙華と「トーキョーグール」の関係が知りたくなって,コミックを全巻(古本含む)揃えた。「トーキョーグール」だけでなく「東京喰種:re」も揃え,一気に30冊読んだ。読み応えがあった。小説版も読んだ。そして,アニメが色々省略しているのでおかしかった部分は,コミックと小説の一気読みで納得できた。その後画集も買って細かい設定や,作者の解説も読んだ。
アニメは色がきれいで(漫画は白黒だから曼珠沙華が真っ黒)声優も好きだったのだが,やはりストーリーを味わうためには原作を読まないといけない。アニメはかなり端折っている上に,シーズン2は原作に追いついてしまったためにアニメ完全オリジナルストーリーになってしまい,シーズン3に繋がらなくなってしまった,というとんでもないことになっている。シーズン3も省略し過ぎて何が何だかわからなくなったところが多数ある。一体全体アニメの現場で何が起こった?という,もはや私の中では大惨事。
「東京喰種」から「東京喰種:re」へつながる重要な鍵でもあるエピソードでも北原白秋は出てくる。「老いしアイヌの歌」の一部である。アニメでは完全にカットされている。
(以下引用)
彼アイヌ,眉毛かがやき,白き髯胸にかき垂り,家屋(チセ)の外(と)に萱畳敷き,さやさやと敷き,厳かしき(いつかしき)アツシシ,マキリ持ち,研ぎ,あぐらゐ[あぐらい],ふかぶかとその眼凝れり(これり)。
彼アイヌ,蝦夷島(アイヌモシリ)の神,古伝神(オイナカムイ),オキクルミの裔(すゑ)[すえ]。
ほろびゆく生ける屍(ライグル)。夏の日を,白き日射を,うなぶし,ただに息のみにけり。
(以上引用)
この白秋の詩の中には「生ける屍(ライグル)」が出てくるが,これに作者は人の姿で人でないグールを重ねているのではないかと思う。
私にとっては,白秋の文体も馴染みがあるが,祖父母がかつて北海道で仕事をしていたので(私の祖父は日本だけでなく仕事をして回っていた),その時住んでいた地域を訪ねてアイヌの文化に興味があったので「アツシシ」とか「アイヌモシリ」とかは懐かしい響きがあった。「オキクルミ」は子どもの頃に読んだ,佐藤さとる作「コロボックルの物語」にもあったので知っていた。
またトーキョーグールの主人公である金木研(カネキケン)は,大学では文学部国文科専攻の学生という設定なので「これは北原白秋を研究するんだな。」と解釈した。
作者が福岡の人かな?と思ったのは,今時北原白秋がすんなり出てくる人って,同じ地元なのではなかろうか,と考えたから。コミックスを読んでいくと,福岡や九州北部の言葉がいくつか出てくる。というか,わからない言葉があったので調べたら福岡の言葉だった。たとえば鶏肉を「かしわ」と呼ぶとか。
そして実際に作者は福岡出身の人だった。
そんなこんなで,最近は曼珠沙華を見たときに思い出すものが,「ごんぎつね」「北原白秋」「緋毛氈」「田舎の駅」「実家周辺」だけでなく「東京喰種トーキョーグール」も加わった。
「トーキョーグール」は,至る所に伏線があるので,普通に本を読むように楽しめる。アニメは色がきれいだっただけにストーリーが訳がわからなくなって残念。アニメの現場が大変というのもあるだろうが(大人の事情もあるだろうが),現場に北原白秋や文学に造詣の深い人がいなかったので,余計でたらめに細切れにされてしまったのだろう。でもアニメから入ると色が頭の中で出てくるから,それはそれで受け入れることにしている(漫画は白黒だから)。