復帰準備

長いこと書き込んでいなかった。4ヶ月ぐらい。その間何をしていたかというと,たいしたことはしていないけれど,それなりに仕事に復帰するため何かしらしていたつもり。

11月に夫と大喧嘩した。

夫が仕事でうまくいっていなかったこともあって,イライラをぶつけてくるようになった。些細なことだが,言葉のやりとりはあるのだが「そんなの忘れてくれ」「別に」「やりたいようにすれば?」など,投げやりな感じがあった。

夫は基本的に善人。気も優しい。だが感情を抑え込む癖があり,マイナスの感情が溜まると,本人は意識していないが,言葉や態度に「マイナス感情」が漏れてくる。全て後ろ向きになる。相手と向かい合わなくなる。全身から「全部自分以外の何かが悪い」と言っているようなオーラが立ち上る。

それで私が突然爆発してしまった。本当に堪忍袋というのがあって,その巾着袋の紐がブツンと音を立てて切れるような勢いだった。

夫に対して,「馬鹿野郎自分だけが苦しいような顔をするな。」などとは言わなかったが,そう言いたい気持ちが口から溢れてくるようで喉に詰まったようだった。

だから声にならない声をあげて泣き叫んだ。声は出しているのに出なかった。引きつったような音にならない音で「ああああああ」と叫んでいた。それから「ふざけるな,ふざけるなぁ」「いい加減にしろ」と言葉が出た。夫に聞こえたかどうかはわからない。

夫は「泣いたら話にならない」「勝手にして」と家の外に出ようとした。裸足で追いかけて,自分も外に飛び出して,「ふざけるな,ふざけるな」と繰り返しているうちに涙が出てきた。

涙が出るなんて,何年ぶり? というくらい感情が表に出ることもなくずっと泣くこともなかった。母親が死んだ時にも泣かなかったし,実家が天災で壊れても泣かなかったのに。

涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになって,髪を振り乱し,足裏には枯れた草の根っこが当たっていたが構わずにうずくまって地面をどんどん叩いた。夫が戻ってきて「恥ずかしいからやめなさい」と引きずって私を家に運び込んだ。

その後は,夫はただダンマリでタバコを吸って,私は涙と鼻水をティッシュで拭きながら一箱使い切ってしまう勢いで,つかえながら夫に話した。

「黙ったままで怒られても困る」「そちらが一人で我慢しているつもりでも,ダダ漏れになっているからこちらも辛い」「察して欲しいという素振りはASDのある自分には困る」「具体的に何をして欲しいのかはっきり言ってもらわないと自分にはわからない」「あなたは何がどんな風に辛いのか伝えてもらいたい」

夫は何も言わなかった。その日は何も話さないで終わりになった。私だけが話していた。

だが,次の日から,何やら夫の顔は妙にスッキリしていた。

私自身もなんだかスッキリしてしまった。

こんな形でこんな原因で泣くというのは想定外だったが,大泣きするという行為は,何かしらカタルシスがあルのだろう。

その日以後,「ひょっとしたら仕事に戻れるかもしれない」と思うようになった。

心配なのは猫と犬のこと。ワンコもニャンコももう老齢にさしかかっているので,それだけが気がかり。留守のうちに体調を崩したらとそれだけが心配。

だから,仕事に戻るのにしても,よくよく覚悟を決めなければいけない。無駄なサービス残業や退勤時に「あ,ちょっといいですか?」と声をかけられて余計な仕事を引き受けるのを,もう2度としない,という覚悟だ。必要がない仕事を延々とさせられることは,私には苦痛だし,それ以上に家庭を崩壊させる原因にもなるのだから。

本当に必要がない仕事だから苦しいのだ。必要だったらあんなに苦しくはなかったのだ。私の頭の上にはいつも『?』の文字が浮かんでいた

「この人達は,これが仕事だと思っているのか?」

あれは彼らの自己満足に過ぎなかった。堂々巡りで延々と「でもでもだって」を繰り返す決して結論の出ない(出さない前提なのか?)会議。際限なくプリントアウトしてはシュレッダーにかけていく書類。この書類は提出はしない,ただシュレッダーにかけるためのプリントアウト作業をするだけ。

無意味でもなんでも動いていれば仕事をしている気分になれる人は幸せだ。

昔聞いたことがある拷問の話を思い出す。

底の抜けたバケツで水を汲む作業。

1つのバケツからもう1つのバケツに水を移し替え戻すだけの作業。

つまり彼らがしていることは拷問なのだ。笑顔で楽しそうに拷問してくるのだ。

自分がいた職場はそういう所だった。

戻ることが正解なのかどうかわからない。だが,正直なところ生活というのはうんざりするほどお金がかかるのだ。

私はワンコとニャンコとカメを守らなければならない。彼らの生活を守らないといけない。そのために先のことを考えている。

故郷の紅玉りんごを守るため

実家は今住んでいる所から100キロ以上,おおよそ140キロほど離れている。実家自体は町の南の方なのだが,町の面積はやたらと広く北の端まで行けば200キロ近いのではないだろうか。関東以北と言うのは,中部地方や西日本に比べて一つの県がとても広いのだ(北海道なんて外国の一つの国以上の広さがある)。

実家周辺は夏は暑いが冬はめっぽう寒い。秋になると山々の紅葉が美しい。また,秋の味覚である栗,りんごも栽培されている。特にりんごは町の名物でもある。秋になると地元にたくさんある温泉には,湯にりんごを浮かべる所もある。

地元のりんごは青森リンゴのようにスーパーなどにはおろさない。観光りんご園として開かれるか,注文発送である。

こんな感じで地方発送OK

観光りんご園というのは,入場料を支払って入園し,自分で気にいったりんごをとってカゴに入れ,出口で会計したり,試食コーナーで色々食べたり(従業員さんがりんごの皮をむいてすすめてくれるとかアップルパイやりんごのお菓子をすすめてくれるとか)飲んだり(ジュースやお茶を出してくれる),りんご園や山々を眺めてピクニックをしたりできる。

いかにもりんごらしい赤い小ぶりのりんごといえば紅玉だ。

紅玉は酸味が強く他の品種に比べて日持ちがしない(ふじと言う品種は秋から冬を超えるくらい持つ)ので,アップルパイ,ケーキ,ジャムなどに加工されることが多い。だが見た目がとても愛らしい真っ赤なりんごなので,りんご園の入場客が紅玉をもいで食べようとすることが多いそうだ。しかし酸っぱいと言って途中で捨てられることも多いそうで,とても残念だ。だから今では紅玉の樹はどんどん切られてしまって,一般に好まれる甘い品種のりんごが接木(つぎき)されてしまう傾向にある。本当に本当に切ない。

私も姉や親戚も,今では夫も,紅玉が大好きなのだ。あの酸っぱさがたまらない。それに紅玉以外のりんごで作るアップルパイやアップルソースケーキは物足りない。

なので,まだ私が学生の頃,いつもりんごを買っていたりんご園で「売れないから紅玉の木を皆切る」と言う話を聞いた私の両親が,「家族も親戚も紅玉が一番好きなので,紅玉が実ったらうちで買うから木を残してくれないか。」と頼み込んだ。そして,毎年そのりんご園で紅玉が実ったら我が家が真っ先に買う,という状態が続いてきた。それは両親が死んでからは私が続けている。自分達夫婦の分だけでなく,親戚にも送っている。紅玉の木を切らないでもらいたいと思うから。一度切ってしまったら,二度とは元に戻らないのだから。

私が結婚したのは12月だったので,紅玉りんごはもうなかった。翌年の秋,父が初物のりんごを夫に食べさせたら(父の趣味の一つにリンゴの皮をどこまで長くむけるか試すと言うのがあった)夫が大喜びした。

「レバノンのりんごより美味しい。」とパクパク食べる夫。正直のところ,レバノンのりんごにはレバノンのりんごだけの良さがあるけれど,私も夫にはぜひ日本のりんごを食べて欲しかった。特に私の故郷のりんごを。

娘が結婚したことで不機嫌(娘はいい加減晩婚だったのに嫁に出すのが嫌だったらしい)だった父親は,それで気を良くして農業で使う(うちは農家ではなかったが)収穫用コンテナ10箱ぐらいのリンゴを買ってきた。

やや傷のついた物や形のいびつな物は商品にならないので,お願いすると地元の人間に安価で売ってくれるのだが,それにしても大量だった。100キロとまでは行かなかったが相当な量だった。父親は上機嫌で夫に「食べろ」と言ったので,夫は一所懸命食べた。アパートに持ち帰って,毎日毎日りんごを食べた。思えば,あれが頑固で意固地な父親と私の夫がまともに口を聞いた最初で最後かもしれない。

りんごに関しては子供の頃からの山ほどの思い出がある。その中でも紅玉りんごの酸っぱさが記憶を刺激する。甘いりんごにはない,特別な刺激なのだ。それを守りたいから,今年もたくさん紅玉を食べる。

ジェームズ・コーデンとBTS

今日のニュースを見ていたら,イギリスのコメディアン・俳優のジェームズ・コーデンがBTSを中傷しているかのようなタイトルの記事があった。

https://www.cosmopolitan.com/jp/k-culture/korean-entertainment/a37748158/army-bts/#

ソースはコスモポリタン紙。だが,読んで言ったら,これはあまりにもひどい言いがかりではないだろうか?と感じてしまった。

コスモポリタンも煽るような見出しであるから,言いがかりを助長していると思うし,こんな誹謗中傷を平気でする人間がファンを名乗るのは,BTSにとってもダメージにしかならないと思うのだ。

ジェームズ・コーデンはイギリスの人で,10年ぐらい前には映画の主演もしたし,私の好きなイギリスの御長寿ドラマ(60年ぐらいやっている)「ドクター・フー」にも数回重要な役で出演しているし,何より今では有名な司会者として番組を持っている。

特に「CARPOOL KARAOKE (カープールカラオケ)」は大人気だ。ポール・マッカートニーと一緒に彼の故郷を訪ねつつ一緒に車の中で歌いまくるとか,ジョナス・ブラザーズとは彼らのキャリアについてシリアスな話をしつつ歌いまくるとか,ミシェル・オバマと二人漫才みたいになりながら歌うとか,多種多彩なゲスト(多種多才というか)が来て,車の中であるのを良いことに大声で歌いまくる,なおかつインタビューする,という楽しい番組だ。

BTSも以前「カープールカラオケ」に出演している。ジェームズが「どうして英語がそんなに話せるのか」と質問すると「友達やテレビから」とRMが答え,ジンが「僕もテレビや友達から英語聞くけど話せないよ〜」と笑っている。ジェームズも一緒にみんなで ”MIC Drop"大合唱もある。

韓国のM NETで毎年開催されるMAMA(Mnet Asia Music Award)で,コロナ問題で有観客ライヴができず,映像とオンラインで進行された2020年度授賞式では,ジェームズ・コーデンがオンラインでプレゼンターを務め,BTSが受賞して嬉しい,と言っていた。

今回コスモポリタン紙が「BTSファンから批判」と煽ってきているのは,ジェームズ・コーデンが先日行われたBTSの国連でのスピーチに関してSNSに書き込んだことで,BTSのファンが「BTSのファンは15歳の女の子だけじゃない」「ジェームズ・コーデンがBTSを貶している」と怒っているというものだ。なんだか「?」である。

ジェームズ・コーデンが言っているのは「今まで国連や国連の活動に興味関心を持たなかった人々が,BTSを通して関心を持ち始めるだろう。」ということだ。批判や貶すというのではなく,彼はむしろBTSを称賛しているのだ。

確かに,ファンの中には多少思考に問題がある人もいるだろうが,それが全てのファンではない。今回,一部で過激でリテラシーのないファンが暴走しているかもしれない。だが,一番の問題は,このコスモポリタン紙のように,あたかも全てのファンがジェームズ・コーデンを非難しているかのように扇情的な記事を出してくるメディアの方である。こんなことでジェームズ・コーデンの番組の視聴率がどうかなるとしたら,大変おかしなことである。その視聴率というのはどの世代のどの人々によるものなのか。

リテラシーは大変重要なものである。日本では,1980年代から学習指導要領というものが大幅に改訂されててしまい,学習内容がバッサリと切り取られ捨てられてしまった。そのため教科書内容も系統性を欠くものがあり,現場の教員の中には子ども達の将来を憂える人もいた。今から10年ほど前に,また少し学習指導要領が変わり,突然学習内容が増えたのだが,当時の児童生徒と教員はとても大変な思いをしただろう。

現在でも,小学校での英語導入やプログラミング導入や増え過ぎた行事などのために,国語の学習内容は30〜40年前の半分ほどになっているので(土曜日が休みになったこともある,スピーチの学習など意見を出す学習が増えたが読み取り学習は減った),リテラシー(読解力)を育てることが難しくなっている。

私の夫の育ったレバノンでも,20年ほど前から小学校で英語を使った授業や英語学習が導入され,ドロップアウトしてしまう子どもが急激に増えた。中東では社会的構造のためでもあるが,小学生でさえ2年連続で全科目及第点を取れない児童は退学になる。なんとか小学校を出ても中学校でかなりの子どもが落第し退学になる。

私はかつて英語を教えていたことがあるのだが,母語による文章理解や抽象概念の理解ができないと,外国語の習得は難しい。日本人の中には「英語は暗記科目」と信じ込んでいる人がいるが,説明されたことが何を意味しているのか理解できなければ,何も理解できないのと同じなのである。だから国語力が必要だ。それは英語に限った話ではない。数学でも理科でも言葉が分からなければ「なんだこれは?」になってしまうのだ。ついでに言えば,英語学習は数学や社会科に通じるところがある。だがそれは別の話。

国語は話せれば良いというものではない。漢字の読み方ができない人が多過ぎて,ついには新しい読み方が定着し,辞書では正しい読み方に新しい読み方が並記されるケースもある。そうなると共通概念を持つことが難しくなる。私はここ30年ほどで変わり果てた岩波書店の辞書,「広辞苑」を見るのがとても悲しい。今時は,アナウンサーでさえ漢字が読めないのだ。なんとも恐ろしい世の中だ。

世界中が「英語学習」や「コンピュータ学習」に偏り,大切なことを忘れてしまって,気づけばリテラシーで障害が現れている。

話が逸れてしまったが,ジェームズ・コーデンは面白い司会者である。また俳優・コメディアン・声優である。イギリス人だから,時々イギリスっぽい皮肉を言ったりイギリス的なブラックジョークを言ったりするが,今回は何もおかしなことは言っていないと思うのだ。

ファンというのは普通の人間だから仕方がないのといえば仕方ない面もあるが,BTSのファンには冷静になってもらいたいものだ(私もBTSのファンではある)。

BTSが国連で魅せる?

私がここ数ヶ月ハマって抜け出せなくなっている(やっとテレビを見る気が湧いてきたというのが数ヶ月前だったので)韓国のボーカルグループBTS(防弾少年団)が,昨日夜ニューヨークの国連本部でスピーチをした。今日のニュースはあちこちにその話題が出ていた。

国連のサイトには,7人全員が交代でしたスピーチと昼間もしくは前日あたりに撮影したと思しき彼らのヒット曲”Permission to Dance”のパフォーマンスのビデオ(会議場で上映されたようだ)が掲載されている。今回の議長のアブドゥルシャヒード(シャヒームだったか?)さんなんて喜んでいたようだ。アラブ人は踊るのが大好きだ。昼間に撮影されたビデオは,国連の議場からドアを開いて外に出て建物の周りにいた人達(あらかじめ配置?)が自転車を降りたり駆け寄ったりして一緒に踊り出す趣向。BTSはつい最近も世界各地に向けて”Permission to Dance Challenge”を行なっており,欧米やアジア,アフリカあたりから数えきれないほどのダンスチャレンジの様子がSNSで寄せられていた。

確かに世界の人の中には,かなり誹謗中傷する人もいる(特に日本だろうか)。けれど彼らは国連から直々に招待された人達なので(文大統領はオンライン出席でも良いと言われたらしいが),外交官パスポートが与えられたのは入国後の隔離期間短縮,隔離場所などの特別措置のためだろう。

私はたまたま難民の夫と結婚した関係で中東の外交官に会う機会が何度もあったが,割と出鱈目に立場を使っている人もいたので,それを考えたらBTSの方がずっと素晴らしい。

暗い状況に負けそうになる時期だからこそ,笑って希望を持とう,というのはあっても良い意見だと思う。

コロナ予防ワクチン接種についても訴えていた。韓国の摂取率は日本より低いそうだ。事情は色々あるだろうが,政治的なものもあるだろうし,私は韓国で力のある保守的なキリスト教団体などが反ワクチン活動をしているのではないかと少々疑っている。

保守的キリスト教徒は偏見や間違った教義(聖書に書かれていないことを拡大解釈)で動くことがよくある。たとえば「キリストの再臨するための場所としてイスラエルが必要だ」とかである。これは主にアメリカ合衆国の福音派キリスト教徒,韓国と日本の福音派キリスト教徒に多い考え方である。韓国では,イスラエルにも資金援助などをしているバリバリのシオニストが多い。シオニストが行きすぎて,キリスト教徒からユダヤ教徒に改宗してイスラエル人になってパレスチナ人を抑圧弾圧しようとする人が韓国やアメリカ合衆国にあまりにも多くいるので,むしろ現地の正統派ユダヤ教徒の人が戸惑うこともある。

こういうことは,何かしらの宗教の歴史の浅い国,たとえば,戦争後の韓国や日本におけるキリスト教,国自体の歴史が浅いアメリカ合衆国などによく起こる。日本や韓国などは戦時中にキリスト教徒であることで迫害されるからと適当に教義を変えてしまっているから,余計に厄介である。

宗教理念への正しい理解が不足しているのに「ただ一所懸命」「とにかく実行」になってしまうから恐ろしい面もある。

アメリカ合衆国やカナダでは,中東でパレスチナ人が一方的にイスラエルにミサイルや砲弾の攻撃を受けて逃げ場もなく傷つけられるだけの時,ユダヤ教徒がイスラエルに反対してデモなどしてくれる。なのに保守的(福音派)キリスト教徒がイスラエルを支持して平和解決を望むユダヤ教徒を迫害する。おかしな話である。

私は夫が難民で,夫の親戚に国連の仕事をしていた人もいた。また実際に夫が実家に帰っている間にイスラエルが攻撃してきた際,戦争状態になり夫と連絡が取れなくなって,あちこち公的機関に相談したことがある。その時にも色々調べた。

国連は今世界で溢れてきている難民を保護すると称してUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)を立てているけれど,UNHCRが設立されるより前に発生した難民であるパレスチナ難民には,全く何もしてくれない。「うちの業務ではありません。」と門前払いだ。パレスチナ難民にだけはUNRWA(国連難民救済機関)というものがあるが「難民はUNHCRが対処しているから」とか色々な理由をつけてUNRWAの予算は年々削られているのが現状で,パレスチナ難民はまともな医療も受けられず食物もない。そんな状態でパレスチナ人は70年以上難民のままでいる。

ガザやヨルダン川西岸,レバノン,シリア,イラクなどがイスラエルやアメリカに攻撃され荒廃し物資が何もなくなっても,UNHCRは何もしてくれない。UNRWAにはお金がない。せめて一つの場所に囲い込んで人々の頭の上にミサイルを降り注ぐことはやめてほしい,と中東の代表が国連で議題を提案しても,いつもアメリカ合衆国の保守派が拒否権を発動するので拒否され,人々は見殺しにされる。

もう20年近く,そんな状況を見てきた私は,めちゃくちゃ国連不信な面がある。国連に夢は見られない。

でもBTSが伝えてくる「暗い世界状況でこれ以上暗いことを考えていたら潰れてしまうから,きっと良くなるから未来にウェルカムしよう。」というメッセージはそれは若い彼らの誠意だとも思う。それに彼らはまだ20代なのだ。夢を持ってもいいだろう。

少なくとも,この数ヶ月,私はBTSのおかげで精神的に随分マシになってきたような気がする。起きて動く時間が増えたような気がするし歌を口ずさむこともある。音楽なんて,もう長いこと聞かなかったのに。

私の携帯には種々雑多な音楽が入っている。日本や韓国,UK,アイルランド,アメリカ、カナダ,フランス,ブラジル,オランダ,ドイツ、フィンランド,スウェーデン,モンゴル,イラク等々のロックやクラシックや民族音楽やジャズやアニメソングや・・・ありとあらゆる種類が入っているのに。母や姉や夫の介護の頃や,母が死んでからは,音楽を聞くこともあまりなかった。車の中で歌うこともなかった。数年前までは車を運転しながら音楽に心を揺さぶられて涙を流すこともあったのに,ここ数年はいつでもどんな時でも涙の一滴も出ない。

BTSを聴いたのはたまたまだった。壊れていたテレビのチューナーを交換して,最初に見たアメリカビルボードチャートの特集でBTSの曲が2曲か3曲チャート上位に入っていたから。それを聞いてからBTSの情報を追いかけ始めた。初めは顔の区別もつかなかったが,すぐに区別がつくようになった。興味を持つということは素晴らしいエネルギーを生むものだ。

BTSの歌で少し動けるようになった,ような気がする(気がするだけだが)。ナナの散歩もすごく短かった距離から少し伸ばすことができたような気がする。まだ食事はまともにできないが,きっといつか食事もできるんじゃないかと思う。

私の年齢だと「未来にウェルカム」は難しいけれど,若い人たちに何かしらの希望が持てるような世の中にするには,やはり大人が頑張らないといけないのではないかと思う。特に国連とか国会とかそういう重要なポジションにいる人間は自分の利権ばかり考えず,少しでも国民や世界のことを考えてほしい。それが難しいわけではあるが。

RM(キム・ナムジュン)が環境汚染や自然破壊について触れていたことも,自然の中にいることを好む私には大切なことだった。

RMはとてもIQが高くギフテッドだそうなのだが,音楽を志して大学へは行かなかったそうだ。でも多分彼ぐらいのギフテッドは普通の大学に行っても多分辛いと思う。軽度のギフテッドの私でさえ辛かったからそう思う。

彼らが今いる場所は彼らと彼らを支えた人達の功績だと思う。そして国連は割と有名人を呼んできてスピーチさせたり、国連のナントカ大使とかにして一般大衆の機嫌を取ろうとする。そんなかで彼らは彼らなりにメッセージを発信したのだ。偉そうなことをいくら言っても私生活がボロボロで周りを傷つけるような女優さんとかも国連のナントカ大使やスピーチをしてきたことを考えると,BTSの方が素晴らしい,と私は思う。

割と多くのアメリカ人と付き合ってわかったことだが,アメリカ人には世界地図(場合によってはアメリカの地図さえ)が入っていないことが多いから,世界を語るのは難しいし適当にそれっぽく誤魔化すしかない部分もあるだろう。アメリカ人に何回「日本は中国のどの辺?」と聞かれたことか。多分,私が会った中で日本や中国に興味を持っていて場所がはっきりわかっていたアメリカ人は,私の友人一人しかいない。欧米で暮らしていた知人達もおおよそ似たような話をする。

正直に言えば,決して今回のBTSの国連スピーチを手放しで賞賛したり喜んだりしているわけではない。

彼らには彼らのままでいてほしい。それが私を元気づけてくれる。国連がどれだけしょうがない組織か知っているので,あまり国連に利用されないと良いなと思うのだ。

来年あたりはBTSメンバーの中にも兵役義務に就く人がいるだろう。全員が揃っている今,3回目の国連への招待と2回目のスピーチ,彼らにとっても大切なことだったろう。

私は国連に夢は見ていない。だがBTSを招待したのは国連もかなり時勢を見たな,と感心したのだ。

夫の作るファラフェル(ひよこ豆コロッケ)

昨日,夫の休みが取れたので,彼が前々からずっと気になっていた実家の草刈りと姉と私へのランチご馳走の日と言うことになった。

ランチといっても,どこかへ食べに行くのではなく,夫が中東料理「ファラフェル(ひよこ豆のコロッケ)」を作ってくれるというもの。

夫は料理が上手でよく自分で何かしら作っている。彼のお母さん直伝のパレスチナの料理(レバノン料理とほぼ同じだが時々違う)や自分で考えたオリジナルなど。味も美味しいし盛り付けもきれい。料理をするたび,同じ料理であっても味が違ってしまい2度と同じものが作れない私とは大違いだ。

最近はファラフェル用の抜き型を買ったので,盛んにファラフェルを作っている。

私は今のところ毎日しっかり食べるというのは難しく,2日に1回ぐらいレトルトカレーを温めもせずパックから食べたり,箱買いのクロワッサンを時々かじったりしている。夫は私の調子が悪くなり始めた頃は「美味しいご飯ができたよ」と料理してくれていたのだが,私が食べられなくて悲しい顔をするので「食べられる時には言って。美味しいもの作るから。」と言ってくれるようになった。

彼は仕事が力仕事なので毎日しっかり食べている。今回のファラフェルは休みの時に大量にタネを作って小分けして冷凍していた。前からずっと「食べて食べて」と言っていたのだが,なんだかんだで私の調子が悪かったのだ。

私の姉の状態もあまり良くないことを知っているので,夫は「お姉さんにも食べさせたい。」と言っていた。姉は私と違い,毎日食事はしているので行く日を伝えて心構えしてもらった。

ファラフェルのタネというのは,一晩水につけたひよこ豆をミキサーで砕いて,重曹を少々,パセリやコリアンダーの微塵切り,おろしニンニク,塩とスパイス(クミンとかカルダモンとかパプリカとかシナモンとかお好み)を混ぜてこねて(見た目は餃子の中身に似ている)丸い型で抜きながら油に落として揚げて作る。

一括りに中東と言ってしまうけれど,言語や料理は大分違うところもあって,エジプトだとファラフェルではなく「ターメイヤ」と呼んでいて,ひよこ豆だけでなくソラ豆を潰して加えている。でもそのターメイヤをファラフェルという地方もある。料理は地方によって形態が変わるのは,きっとどこでもあるのだろうけれど。

揚げたてのファラフェルをそのまま食べても美味しいが,ピタパンにホンモス(ひよこ豆とレモンとオリーブオイルとニンニクの塩味ペースト)を塗って,トマトやレタスやキュウリのピクルスなどと一緒に挟んでレモン味のねり胡麻のソースをかけるとすごく美味しい。普段ピタパンは夫が暇な時に作るのだが,今回は市販のトルティーヤでくるりと巻いてみた。オリーブも添えてみた。

ファラフェル,付け合わせレタスと青唐辛子,オリーブのピクルス,ホンモス,タヒーナ(ねりごま)ソースと野菜

姉のいる実家に行く道すがら「何が必要だったっけ?」と夫と二人で話し合いながら買い物をした。普段行く自宅近くのスーパーには普通にキュウリのピクルスやオリーブピクルスの瓶詰めがあるのだが(一番良いのはイオン系の「やまや」というお店),そのスーパーにはすごく小さなキュウリのピクルスのパックしかなかったので数袋買った。トルティーヤは当然だけどなかった。事前に買っておいて良かった。ホンモス(フムスという人もいるがアラビア語ではホンモス)は夫が大好きな業務スーパーで買ったもの。

普段なかなか同じものを同じ時に一緒に食べられないことで,いつも夫には申し訳なかった。一所懸命私を喜ばせようとしてくれることに(自分の料理の腕を自慢したい気持ちが1〜2割ぐらいあるが)感謝した。本当に久しぶりに「美味しい」というのはこういうことか,と思った。でも普段は無理なのだ。それがやっぱり残念。でも一緒に食事をして一緒に美味しいと思えることは素晴らしい。私は前日から「明日の昼は食べる」と身構えて胃を空っぽに近い状態にしていたが(姉も同様にしたらしい),それがなくても揚げたてのファラフェルを挟んだ中東風サンドイッチは,じんわりと美味しさが感じられた。じんわりじんわり嬉しい。

姉も,一口かじった次の瞬間「すごく美味しい」と泣きそうになっていた。

そのようなわけで,今回の夫による「ランチ大作戦」とも言えるランチ会は大成功だった。

永住権とかビザは大切ですね,という話

前にも書いたのだが,うちの夫は外国人で,さらに生まれ育ったのは自分の国ではないと言う難民である。

日本で難民になったのではない。

生まれた時からずっと難民キャンプで育ったのだ。親や祖父母の代から国を追われて行き着いた外国でずっと暮らしてきた。その国レバノンでは,彼らのような難民は国連が借り上げた土地にある難民キャンプのエリアで生活し,学校も商店街も全部難民キャンプの中にあって,大学に行く場合は難民キャンプの外に出るが大抵仕事をするのも難民キャンプの中である。

普通のレバノン人と同じように,難民キャンプの外で仕事をすることもあまりできない。専門学校や大学への入学が制限されているので,資格の必要な仕事に就けないのだ。医学部や歯学部など将来経済的に豊かになりそうな学部への入学は許されない。なので,医者や歯科医になりたい人は何とかしてレバノン以外の国へ留学するしかない。まず,お金がないので諦めることが多い。

今はパレスチナ自治政府というのができたから国があるだろうと誤解されているが,あれはガザやヨルダン川西岸といった極々限られた地域の人のために仕事するだけで,外国で難民になっている人間には何もしてくれない。

夫は,レバノンで少しでもマシな仕事に就くためには英語が必要だ,と考えて,学校の授業や映画やテレビから英語を学習し,今ではネイティブの英語話者から「流暢」と言われるぐらいに話せる。そして,その英語があったおかげで,私は夫と意思疎通ができた。ついでに私が少しアラビア語の単語を知っていたのもあるが。

日本に来るために,アラビア語の書類を英語に訳してさらに日本語に訳して,3ヶ国語の書類をどっさり入国管理局に提出した。

何ヶ月かかかってビザをもらって,日本に初めてやって来てから20年近く経つ。夫は日本が結構好きである。そして,「日本では人間として扱ってもらえる。」と言う。

夫は難民の特別なパスポートを使っている。実際は正式なパスポートではないがパスポートとしてレバノンから発行されている。そのパスポートの代替品には誕生日が記載されていない。誕生年しかないのだ。来日当初はそのためにいろいろな不都合があった。運転免許証を日本で取れないとか,帰省する時に空港のチェックインカウンターで足止めされるとか。

一番辛かったのは運転免許証が取れないため,常にレバノンの運転免許証と国際免許証を持っていなければいけなかったこと。しかも1年に1回更新するためにレバノンへ戻らなければいけない。

あまりに何度も日本とレバノンを往復するので,航空運賃も辛い出費だったし,ビザの更新のたびに「日本での滞在が短い」と言うこと(だけではないが)で1年間しか有効でないビザになった。毎年毎年私が書類の束を揃えて「なぜ日本にいるのが短いか」と言う理由(免許だけではないのだが)を長々と文書にして,夫と一緒に入国管理局に行かなければならなかった。どうして一緒かというと,今でこそ入国管理局の支所に英語ができる人がいるけれど,以前は英語のできる人がいないことが多かったから,こみ入った内容になると夫の日本語力では難しかったから(日本人でさえ難しい単語が飛び出してくるのだ)。

それでも夫は「日本の入国管理局の人は親切だよ。レバノンの移民局ではこんな風に扱ってもらえないよ。」と言う。レバノンでは移民管理が軍の下にあるので,いつもピリピリしているのだ。レバノンでは外国人である夫も,ひどい思いをしたことが度々ある。

私たち夫婦は苦労してビザをもらっている。夫がレバノンで生まれ育ったパレスチナ難民なので。でもそのビザのおかげで夫は合法的に仕事ができる。

政府がパレスチナを便宜上国と認めてくれたので今では在留カードの国籍もパレスチナになったし,在留カードを根拠にしてパスポートに生年月日を正しく記載してもらえた。そのおかげで日本の運転免許を取得することもできた。実技試験で1度落ちたので教習所の「国際運転免許書替教習」と言うコースを受けて練習した。マニュアル車OKの免許である。この免許があったことも仕事につながった。それまではアルバイト的な非定期の仕事ばかりだったから。

だからどうしても考える。ビザのチカラというのはすごい。ビザがあるから,入国管理局でもちゃんと丁寧に対応してもらえるのだと思う。就労できて免許が取れて休日には趣味の料理ができる。

ビザがなかったら,そこで逮捕され,入国管理局収容所か入管内の留置場に入れられてしまう。

毎年帰省していたから今はまだ永住権がもらえていないが,今は永住権を切望している。毎年書類を集めるためにどれだけの労力が必要か,というのもあるが,何より人としての権利を得られることなのだ。

最近何でもかんでも「難民」という単語を使う風潮があるけれど(「帰宅難民」とか「買い物難民」とか),本当の難民がどういうものか知らないから安易に使っているのだろう。とても腹立たしく悔しいことだ。

また,入国管理局の収容所で亡くなる人のニュースも聞く。先日からスリランカの女性のニュースが多い。いたましい。

彼女は不法滞在を認めるから帰国させて欲しいと入国管理局に出頭したのに,支援団体の日本人達(私が読んだのは20歳の女子大生の感情的なセリフだった)にそそのかされて日本に留まって難民申請をしてしまった。私は,この支援団体があまりにも無知で無責任だと思っている。

でも覆水盆に返らず。亡くなった方は誰かが怒っても帰ってこない。それに実際収容所の職員も,ほとんどスタンフォード実験のような状態でひどかったらしい。亡くなった方が気の毒だ。おかしな日本人ばかりに出会ってしまって,まともな日本人に出会えなかったのか。

日本で難民になることは不可能とは言わないがかなり困難だ。日本で難民になることなど考えない方が良いと思う。むしろ正規のルートで日本に来る方が良い。難民申請するなら日本に来た最初の段階で申請すべきだ。不法滞在や不法就労などしてからではなく。

入国管理局だって,事務の早さはすごいと思う。レバノンで1〜3年,或いはもう永久に無理みたいなことを半年ぐらいでやっている。

日本の悪いところはいっぱいあると思うけれど,良いところもいっぱいあるのだ。

夫と私が出会った国のこと

https://news.yahoo.co.jp/articles/e3d132c1909e24f0798e99ec7b736567ce4d6aef

時事通信のニュースでレバノンの状態が出ていた。

レバノンは食料も医薬品も日用品も輸入に頼ってきた。特にシリアからの輸入が多かったのだが,10年前から始まったシリアの内乱で(これに関しては言いたいことが山ほどある)シリアからの輸入が激減し,ついには無くなってしまった。なので,シリア以外の国(例えば中国とかトルコとかサウジアラビアとか)に頼るしかなくなった。

昨年の8月にベイルートにある国際港(ラ・ポールと呼んでいる)が爆発してしまった。それは世界中でニュースになった。政府が管理をすべき危険な物品が港に置きっ放しになっていたための,完全な人災,政府の不手際だった。

レバノンという国は小さくて,日本で言ったら岐阜県ぐらいの大きさ。そこの首都なので決して広くはない。爆発した国際港のすぐそばに,シリアに向かう幹線道路や国際空港や金融街や繁華街や観光地や大学や病院や何もかもが集まっていた。それらは皆爆発に巻き込まれて吹き飛んでしまったり倒壊したりした。

元から不足していた食料品や日用品や医薬品は完全に供給を絶たれてしまった。

今人々はガソリンがないから車にも乗れない。石油がないから発電所は動かず(ガソリンがないから自家発電機も使えない)電気もない。電気がないので水の供給ができない。病人も怪我人も手当は受けられない。車が動かないから救急車などは動かない。消防車も動かない。バスもタクシーも動かない。どこへもいけない。最近はロバを飼育して移動や荷運びに使う業者が出てきたという。

食料がない。国連やNPOからの配給もどんどん減っている。一袋200〜300円ぐらいだった家庭用のパンが今では4000〜5000円ぐらいになってしまった。大戦後の日本の闇市もそうだったのだろうか。

夫の実家はシリアやトルコの国境に近い。国境を超えて武装勢力が来ることがある。

数年前には家の庭に砲弾が着弾して家中の窓ガラスが割れ壁が壊れた。

街の通りではシリアからの難民やパレスチナ難民,家を失ったレバノン人避難民などの間で諍いが起こる。銃は普通に出回っているからヒートアップしたら危険しかない。

ビザやパスポートの話でウガンダの元オリンピック選手のことを書いたけれど,ウガンダで30年ほど前から国が混乱しどこも危険で皆貧しいのは聞いていたけれど,それでも,1970年代のレバノンのパレスチナ難民キャンプのように「人肉以外食べるものがない」と訴えつつ次々餓死していく状態ではないと思う。

今日は天気は良かったけれど,何だか頭の中身が体から引き剥がされるような気持ち悪さが時々込み上げる。気圧が下がっているのだろうか。頭がまとまらない。

不機嫌ではないが,楽しいことが浮かばなかった。心を明るくするアニメでも見よう。

ビザとかパスポートとか

夫の帰化申請の準備をしている。

永住権も申請したが,そちらはまだ結果待ちである。

国籍やビザの問題というのは,人間がその人にとっての外国に滞在したり生活したりするために,必ず出てくるものである。

日本人が海外に旅行するだけでも,ビザやパスポートは絶対必要である。

私が子どもだった頃は,沖縄県はアメリカに占領されていたので,沖縄という「県」は存在せず,沖縄の人は本土に来るためにパスポートが必要だった。70年代半ばにフィンガー5というボーカルグループがあって,彼らは沖縄出身だったため本土に来る手続きが大変だったりいじめにあったりしたそうだ。

私が夫の住んでいたレバノンに行くためにもビザが必要だった。ビザをもらうためには,大使館に行って申請書やパスポートを出してお金を払って数日待つことになる。数日で出してもらえれば良いのだが,国によっては簡単にはビザは出ない。

アメリカ合衆国へ行くのも,今ではビザというか入国の手続きが面倒になった。2001年の911同時多発テロや航空機への靴型爆弾,ペットボトルでの液体爆発物持ち込みテロ計画を受け,アメリカ合衆国へは「はビザなし簡単入国」は不可能になった。また航空機全般への搭乗前保安チェックも厳しくなった。靴型爆弾があったから,今では保安チェックで靴まで脱がされるのだ。私がレバノンの友達に日本からお菓子を持って行った時にも,「マドレーヌでよかったですよ。これがプリンとかゼリーだったら保安チェックで没収ですからね。」と空港の係員さんに言われた。半流動体(ゲル状)のプリンやゼリーは液体同様「爆発物の疑いあり」として没収の対象になるのだ。

それでも,日本はビザやパスポートがあれば人として扱ってもらえる。

レバノンもそうだが諸外国の中には,パスポートがあろうがビザがあろうがIDカードがあろうが何だろうが,問答無用で留置場に放り込まれることがある。それも衣服を全部脱がされて裸にされることもある。日本の刑務所はどうだか知らないが,レバノンや諸外国の留置場はエアコンなんてないコンクリート剥き出しで,夏の暑さや冬の寒さで死にかけることもある(実際死んでしまう人もいる)。政情不安の国にいる知人や欧米で移民として暮らしている知人の中にも,街中で突然拘束されて留置場に連れて行かれた人がいる。特に理由はなく,街中で騒ぎがあったから誰かを捕まえておかないと格好がつかないとか,明らかに外国人の風貌だったからとか,とんでもなく出鱈目な理由であった。

最近,東京オリンピックに来日したウガンダ選手団の中から,逃亡して不法就労しようとしたが逃げきれずに出頭し,難民申請をしたいと言ったが結局大使館員に説得されて帰国したという男性がいた。この男性は帰国してから警察に拘束され数日後に釈放されたそうだ。

夫はこのニュースを聞きながら「ふざけてるよね。」と怒っていた。「こんなの難民じゃない。ウガンダが大変な状況なのはわかる。でも彼は国のお金で日本に来させてもらえた人だろう? パスポートも当然持ってるよね,貰えるよね。難民申請するなら来日してすぐに空港の入国管理局で申請できたのに。初めから不法就労が目的だよね。逃げきれなかったから出頭したんだよね。こんなの難民じゃない。それにウガンダはいつも頭の上をミサイルや砲弾が飛んでるわけじゃない。」

私も同意見だった。日本の入国管理局は正式で適切な方法で入国した人には,割と親切である。少なくともうちの夫はレバノンにいた時よりも人間扱いしてもらっている。知人の外国人の旦那さんや奥さんもだ。このウガンダ人選手を難民として受け入れなかったのは日本の落ち度だと主張する一部の日本人弁護士は,もうなんだかダメダメというか逆に外国人の立場を悪くしているような気がする。夫ではないけれど「それは違うんだ。」と叫びたくなる。

最初から不法な行動を狙うのではなく,正式な方法を何とか模索してもらいたい。

国際結婚とは何だろう? その1

私の夫は難民である。

日本に来てから難民になったのではなく,彼の祖父母の世代で国から逃れなければならなくなり,彼の親や彼は外国に作られた難民キャンプで生まれて育ったのだ。

たまたま縁があって出会って結婚した。だが難民の彼にはビザが交付されず,彼が日本に来ることはできなかった。なので,私が彼が住む国へ再訪し(知り合う前から知り合ってからまで何度もその国へ行っている),その国の役所で結婚し,彼の身内に祝ってもらい,私だけ日本に帰国した。次に私が日本の入国管理局へ行き,夫を呼び寄せるために必要な手続きを尋ねた。

何だか評判がすごく悪いのだが入国管理局の人達は、私や夫にはいつも親切だ。

夫に頼んで彼の出生証明書,家族の住民登録証明,難民としてのID,パスポートの写し(実はこのパスポートは彼が住む国の政府が特別に発行するトラベルドキュメントというもので,なんと生年は記載されているが誕生日は記載されていないというとんでもないものである),私との結婚証明書,その他やたらたくさんの書類を集めて送ってもらった。

そのうちの結婚証明書を持って地元の市役所へ行き,婚姻届を提出するのだが,ここで「え? そんな国あるんですか?」ということになった。そんな国というのは,彼の本来の国籍であるパレスチナが当時日本では国として認められていなかったからである。

そのため婚姻届は受理されず,法務局に問い合わせるからということで保留となった。その数日後市役所から連絡があり「受理できるそうですよ。」と明るく言われたが,こちらの気持ちは「前途多難の予感」であった。

婚姻届が受理されてから市役所から本籍のある町の役場へ届けが行って,戸籍に夫の名前が記載されるのだが,ここで問題になったのが夫のパスポート。国籍がパレスチナと書かれているのだが,日本国が国家として認めていなかったパレスチナは夫の国籍として戸籍に記載できない。仕方なく,市役所や役場や法務局の出した妥協案が「生まれも育ちもレバノン共和国でパスポートを発行しているのもレバノンなら,レバノン出身の誰それと結婚,と備考欄に記載すればいいのじゃないか?」だった。

そういうことで何とか戸籍に夫の名前が載った。

入国管理局に提出したのは,管理局の窓口でもらった申請書や身元引受証明書にぎっちり記入したもの,夫に送ってもらったアラビア語(一部英語)の書類を自分で翻訳し,タイプしプリントアウト。原本のコピーをとり(原則として入国管理局には原本を提出する),備考欄に夫の名前のある私の戸籍謄本と私の住民票,私の在職証明書,私の源泉徴収票,知り合って結婚に至った経緯をつらつらと綴った3〜5枚(理想的には1枚)のA4用紙,証明写真や収入証紙等々。事務用封筒がとても分厚くなっていた。

書類を提出して待つこと数ヶ月(早ければ6ヶ月普通で1年と言われた),やっと夫の「日本人の配偶者等」という滞在資格ビザが発行された。それを急ぎ彼の元へ送り,彼が受けとって航空券を手配して来日。

結婚して同居までに半年かかったが,これはまだ早い方だと言われた。特に夫が難民で自国のパスポートがないというのが大変に難しいところなのだ。

実はレバノンで夫と結婚したその日に,在レバノン日本大使館に電話してビザの入手は可能かと尋ねていたのだが「無理ですね。」と大使館員さんからあっさり一言だった。しかし,もう既に正式に結婚しているなら外務省の管轄ではなく法務省の管轄で「呼び寄せ手続き」「配偶者のビザ申請」ができるので,日本に戻って入国管理局の支局などで相談すると良いですと言ってくれた。その時「レバノンにある難民キャンプ出身のパレスチナ難民が日本人と結婚して日本に行くなんて聞いたことがない。」という話を聞いた。入国管理局でも前例がないからビザ交付が可能か可能であればどのくらいの期間を要するかわからない,と言われた。

そんなわけで,今夫は日本に住んでいる。手続きと役所の窓口での粘りとゴリ押しなど我ながらよくやったと思う。

で,ここまでやったんだけれど,夫は私にとっては普通に夫だし,来日して20年近くも経つので,業務スーパーとかカルディやダイソーやセリアが大好きで,コンビニのおにぎりについては私より詳しい人になった。JRや地下鉄の乗り方や乗り継ぎなど車を常用している私にはほとんどわからないことまで妙に詳しい。

なんだか,国際結婚しているという意識は全然ない。他の人から「国際結婚なんですか!」と言われて「あれ?そうですか?」と返事をしそうになるのだ。

「呪術廻戦」再開ニュースが嬉しい

一昨日? 少年ジャンプで連載中の「呪術廻戦」(6月末から休載していた)が再開されるというニュースを読んで「よっしゃぁ!」という声が出そうになりました。

アニメが始まってから読み始めて,気づけばコミック全巻とファンブックまで揃えたくらいなので,休載は寂しい気持ちもありました。でも,作者である芥見先生が健康であることの方が重要なので「休んでください。無理しちゃだめです。」という思いの方が強かったかもしれません。

それに,芥見先生は自分の子どもぐらいの年齢の方だから,これから先の人生を考えていけば1ヶ月と言わずもう少し休んでも良いくらいではないのだろうか? とも考えます。

無理をすることが美徳だなんて,あんまり思えないのです。

無理をして,その場で死んじゃったらどうするの? ということも考えます。

パレスチナ難民と結婚した自分の周りでは,戦争とか死とかが当たり前になってしまっていて,若者の死というのは言葉にできない切ないものだから。

ゆっくり生きていきましょうよ。