柴犬の換毛期(秋)

柴犬ナナの秋の換毛期が来た。

夏の毛が抜けて秋の毛が生えてくる。元来,柴犬というのは「もっとも抜け毛の多い犬種の一つ」と言われるくらいに抜け毛がすごい。短毛種ということは,短毛をキープするために常に毛が抜けて生え換わっているということだが,換毛期は1日の抜け毛でクッションが作れるのではないかという勢いでごっそり抜けていく。

ちょっと撫で回しただけでこれだけ抜けてくる換毛期

段差ができたもも周り

柴犬と違って,プードルなどは毛が長くなり毛糸玉のようになることが前提の犬は,抜け毛は少ない。プードルは(スタンダードプードルは)元々は水辺の鳥を狩る時に,人間が撃ち落とした鳥を水に飛び込んでくわえてくる仕事をしていた狩猟犬なので,毛が常に長く体を保温する仕組みがある。現在は,人間によって勝手に改造されてしまったためトイプードルやミニプードルは水に飛び込むことなどできないだろう。低温に弱くなっていると聞いたことがある。

ここしばらく自分の体調が悪かったので,散歩に行けない日や,散歩に行っても歩くのがやっとで「ナナ,ママが倒れたら引きずって家に帰ってね。」という状態だったので,ひょっとしたら数日前から抜け毛は浮き上がってきていたのかもしれないが,気付いたのは今日である。

朝庭に出して,中に入れる時に体を拭いたらモワッと毛が浮かび上がっていたので,触ってみたらボサッと抜けてきたので「お,きたな(換毛期が)。」と思ったのだ。

今回は珍しく,素直に毛を抜かせてくれた。これでかなり抜けた所と抜けていない所の段差ができた。後でファーミネーターでならしてみよう。

大人でもADHD

https://www.lifehacker.jp/2021/09/are-you-living-with-undiagnosed-adult-adhd.html

「大人の『隠れADHD』とは? よくある症状やその特性」という記事が出ていたので読んだのだが,「どうしてこういう表現になるのかな?」と疑問に思うところがかなりあった。それなりにADHDの特性はおさえてはいるのかもしれないのだが。

(以下引用)

ADHD(注意欠陥・多動性障害)を抱えた生活とは、いったいどのようなものなのでしょうか。ADHDについてはさまざまな誤解が存在しています。多くの人が思い浮かべるのは、じっと座っていられない男の子かもしれません。また、世間では一般的に、大きくなるにしたがって症状は自然に消えていくのだろうと考えられています。

「ところが実際には、ADHDはそんな単純な病気ではなく、大人になっても治らないケースが多々あります。その症状も、集中できない、じっとしていられないなど、実にさまざま。というわけで、子どものころからADHDの症状が出ていたにもかかわらず、正しい診断や治療を受けていない人が数多く存在しています。

「『ADHDという病名は、その実態とはかけ離れています。集中力のなさは、症状のひとつにすぎないからです。』ミネソタ大学医学部で心理学を研究するLidia Zylowska氏は、そう語っています。

「もしかすると、自分は大人のADHDかも」そのように感じている人は、なるべく早く診断を仰ぎましょう。治療を受けずにいると、公私にわたってさまざまな問題が起こるおそれがあるからです。

「また、診察を受けるときには、大人のADHDに関する専門医を選びましょう。ADHDをめぐる誤解の多くは、医療分野にも広がっているからです。

(以上引用)

引っかかったのはADHDを最後まで「病気」と表現しているところ。大人になっても治るものではない,という点をおさえているのだから,そこは「障害」という表現にしてほしかった。「病名」というのは翻訳の間違いかもしれないが。

ADHDがあると,ひらめきはあるのだが具体化するための計画を立てることが難しい。計画を立てることができたとしてもそれを実際に行うことが難しい。

時間の見積もりを立てることができず,たとえば,早く仕事に行くために早起きしても「時間に余裕ができた」と感じて何か別の作業を始めてしまい没頭してしまい,肝心の仕事に出かけることを忘れて遅刻する。1時間いつもより早く起きたら1時間余計なことをして,結局いつもと同じか遅れてしまう。そんな時に「もうちょっと早く起きろ」と言われても「早く起きているんだがなあ?」となってしまう。外出時に目的地まで十分すぎる時間的余裕を持って出たはずが,道に迷ったり横道に逸れたりして気づけば遅刻している,などということがよくある。道に迷うのは注意がそれてしまうから。

本文中の「ハイパーフォーカス」についての内容は良かったかなと思う。「ADHD=注意欠陥性多動障害」というと絶え間なく動いているように聞こえるが,上にも書いたけれど「朝早起きした→時間に余裕がある→何かできる→何か始める→夢中になって時間を忘れる→遅刻」そんなことがよくある。

変に余裕があるとその場で必要ないことを始めてそれに没頭してしまい,周りの状況や情報は一切入って来なくなってしまうのだ。

文中にもあるけれど,こういった傾向は子どもの頃からある。けれど「おっちょこちょい」「忘れっぽい」「怠け者」などレッテルを貼られてしまって適切に対応されていないことがほとんど。また勉強ができてしまうと「ふざけている」と教師や周囲の大人からの敵意の対象になってしまう。

私は数年前に検査した結果,軽度のギフテッド(先天的に、平均よりも、顕著に高い知性と共感的理解、倫理観、正義感、博愛精神を持っている人のこと。外部に対する世間的な成功を収める、収めないにかかわらず、内在的な学習の素質、生まれつきの高い学習能力や豊かな精神性を持っているということである。引用元:Wikipedia)だった。

中学時代にも同様の結果が出ていたので,放課後に生徒指導室に呼び出されてはお説教をされていた。「どうして真面目に授業を受けないのか(教科書もノートも開かないで窓の外や時計を見ている)」と毎日怒られていたのだ。

ADHDという概念がなかった時代でもあるし,あったとしても中学生の生活というのは大体部活が中心だしで,先生にはあまり期待していなかったが,テストの成績が良くても怒られるのだから,理不尽だとは思った。

だがADHDがあったためだろうが,黒板の板書をノートに書き写すことはできなかった。全て聞いて暗記するほかなかった。外を見て天井を見て時計を見て,教科書に落書きしていることで,なんとか席に着いている状態だった。そうでなければ歩き出して教室の外に出ていたと思う。さすがに「教室から出て行くのはまずい」という理性が働いていたから,自分を着席させていたのだ。

着席して授業時間内は教室にいることが,ADHDのある子どもにはとても難しい。

それでもなんとか周りの大人の顔を見て,なんとか期待されていることをしようとはする。

中学時代,私は部活動ができなかった。集団行動が苦痛でしかないから。中学では美術クラブにはいたが部活はしなかった。その代わり,放課後や昼休みはいつも図書室に行った。卒業までに図書室のほぼ全ての本を(斜め読みを含めて)読んだ。

高校では文芸部に入った。この部活は卒業まで続いた。なぜかというと集団行動ではなく個人でできることだから。原稿を書くことも校正することも一人でできるから。ちなみにこの高校の文芸部は,日本全国対象の文芸コンクールでは評価が高い。なのに部員全員が妙に自由だった。

集団で,皆が同じ時間と場所に縛られている状態が苦しかった。授業だけでも苦しいのだから放課後までそれは勘弁してほしいと思っていたから,文芸部の存在は新鮮だった。しかも本を読んで分析したことを文章にしても誰にも怒られないのだ。中学のように「そんな難しい言葉を使うな」と怒る先生もいないのだ。

私は,「ADHDがあると,そういうこともあるよね。」という幾つかのパターンを周りに知ってもらいたいとは思う。「それを知っているだけで,あなたはイライラしなくて済むんですよ。」とも言いたい時がある。ADHDのある人間と一緒に仕事したり生活したりする場合,きっとイライラすることがあるだろうから。周りの人がイライラしていると,きっとADHDの有無に関わらず誰でも萎縮して動けなくなってしまうから。お互いにあまり良い結果につながらないと思う。

私は通学のために列車に乗っているだけで,毎日疲れ切っていた。周りの情報が多すぎること,音声が周囲360度から入ってきてしまうこと,などなど。特に周りの人の会話が辛かった。ウォークマンがこの世に出た時にはとても嬉しかった。

決められた時間内に動くことに関しては,ちょっと声をかけてもらえればかなり対処できる。周りの音や声で注意が散漫になりそうな時は,ヘッドフォンをすると動きやすいのでそういう補助具を使うことを許してもらえるとありがたい。

ADHDがあってもなくても,自分以外の誰かのことを理解しようとすることとか,その人に必要な支援(背が低い人の代わりに背の高い人が荷物を棚に乗せるように)があると助かる。

そしてADHDは病気ではないので,一生治らない。でも,本人の理性と理解や周りの理解があればなんとかやっていけると思う。

Googleにのこる母と家

雨が続くと不安になる。昔はここまでではなかったが,冷夏と夏の長雨はイネや農作物が育たないので嫌いだった。誰だって好きではないと思うが。

雨がこんなに不安なのは2年前に台風で実家がなくなってしまったから。厳密に言えば半壊して1階部分と土台がダメになったので,解体して更地にした。同じ敷地内に姉が建てた離れがあるが,それ以外の2棟の木造物置や古い車庫は家と一緒に解体してもらった。

隠れる場所がなくなって,実家を拠点にしていた野良猫がいなくなってしまったのが悲しい。一番悲しいことはそれ。

台風被災時に母は闘病中で病院にいたのだが,病院も被災してしまい診療棟,事務棟,厨房,倉庫などが大水に流されて,医薬品も米も何もかもなくなってしまった。点滴はナースステーションにあったものと援助物資で,食事は缶詰だった。母はそれまで何とかかんばって食事もしようとしていたが,モサモサする缶詰は喉に詰まり咳き込んでしまい食べられなくなった。

それから2ヶ月ほどして母が亡くなった。

少し前にGoogleマップで実家近辺を調べてみた。ストリートビューには今でも実家の建物がある。それどころか,今まさに外出しようと車を運転して道路に出ようする母の姿がぼかしてはあるが写っていた。

何年前の写真か知らないが,実家近辺は田舎なので都会のように変化が激しくないから,ずっと同じ写真なのだろう。

子どもの頃から大好きだった庭の木々が花を咲かせていたので,曇っていたが春なのだろうということがわかる。

母は亡くなる10ヶ月ぐらい前は元気だったし,亡くなる前の年に高齢者講習と検査も受けて免許を更新していた。さすがに周りに迷惑だからと遠出することはなく列車やタクシーを使ったが,数キロ先まで自家用車で買い物に行くぐらいはできていた。

母が体調を崩した時も,春だというのに曇りや雨が続き(春だからかもしれないが),初夏になってもずっと雨や曇りでジメついていた時だった。様子を見に行く時いつも雨だったような気がする。

ずっと続く雨は人間の気力や体力まで奪ってしまう。一つには太陽に当たらないと脳内の情報伝達物質であるセロトニンが分泌されないからだが,それだけではないだろう。

入院させずに家で見ることができると良かったが,当時は仕事をしていたので,ずっと母のそばにいることはできなかったし,何より私と母はいまひとつ相性が悪かった。なんというか,嫌いというのではないのだが,長く一緒にいるとお互いにイライラしてしまうので体調も崩していた。だから家を離れた。アパートを借りて引っ越して,その後結婚と転勤があってさらに遠くへと移り住んだ。

何もかもなくなってしまったはずの実家が,Googleマップの中にはまだある。母もいる。不思議なものである。

スクリーンショットを撮って保存することにした。

今日はまだワクチン接種の副反応のせいか熱っぽいし体調が悪い。気持ちも沈む。早く晴れてほしい。セロトニン全開にしたい。

コロナ(COVID-19)予防ワクチン接種 2回目の2日目

2回目のワクチン接種の2日目。

昨夜はなんだか腕が熱っぽくて痛かったせいか,あまり眠れなかった。ぼーっとして,寝なくちゃ寝なくちゃと思いつつ気づいたら3時近かった。薬を飲んだのに寝付けずにゴロゴロしてから眠って,3時間ぐらいで目が覚めてしまった。そのまま朝6時になる前からずっとギンギンに目が冴えてしまった。

目が覚めて立とうとすると腰から下に力が入らなかった。筋肉に力が入らない。インフルエンザでよくあるような節々の痛み。これは前回の接種の翌日にもあった。それから接種した側の腕が腫れて痛い。

だが前回のような発熱はなかった。ちょっと熱っぽいけれど発熱というほどではなく,ただ全身筋肉痛。

熱はなくとも節々は痛いし,朝も早かったから,やり過ごそうと時間の経つのを待っているとかえって時間がゆっくりゆっくり進んでいくように感じる。

既に2回の接種が済んでいる親戚や知人からは「2回目の2日目がひどいんだよ。」と聞いていたので身構えていたが,熱が出ないのは良かったと思う。知人は39℃もの熱が出たと言っていたから。

とはいえ,さすがに全身筋肉痛で辛い。鎮痛剤は飲んでも良いと昨日言われていたので,ちょっとまずいが2回分飲んだらやっと痛みが引いた。

夫は「大丈夫?」と昨日からずっと気にしている。出先から電話をかけてきた。

天気も悪いし,痛みが引いても脚に力が入らないので,ナナの散歩は今日は「ごめんなさい」と手を合わせて勘弁してもらった。勘弁してくれたかどうかはよくわからないけれど。ナナは我慢強いので今はクッションで丸くなっている。

コロナの感染が早くおさまるように願っている。

コロナ(COVID-19) ワクチン接種2回目

今日はコロナ予防ワクチン接種の2回目のため外出した。

1回目の時は会場に人がたくさんいて,用意されたパイプ椅子全てに人が座っていたので,息苦しいような逃げたくなるような気持ちの悪さがあった。しかも8月初旬で暑かった。

9月第1週というのに肌寒く雨も降っていて,前回と同じ時間帯なのに会場にいる人も少なく,そんなに息苦しい圧迫感はなかった。受付や接種も前回のように何分も待たずにすぐに済んだ。

今回も接種後に15分間の様子見時間があった。前回はその待機場所が全て人で埋まっていたのに2列ぐらい席が空いていた。すると会場の係の人が,床に敷いたビニールシートやパイプ椅子の背に養生テープで貼られた番号札を剥がし始めた。カッターでテープを切ってベリっと剥がしているのを見て「カッター要らないよね。」とか「まだ客が(接種を受ける人間が)いるのに片付け始めるのもどうかな。」とか考えていた。

多分,その会場での集団接種は今日でお終いなのかもしれない。週末だし早く帰りたい気持ちがあって,今日はあまり混み合っていないと見て,片付けに取り掛かったのだろう。皆疲れているようだし仕方がないとは思ったけれど,ちょっと残念な気もした。

15分間,気分が悪くなるとかアレルギー発作や発熱とかがないかを観察する時間なのだから,あまりバタバタほこりは立てて欲しくないというのも正直な感想。いくら「どうせ誰も具合悪くならないよね。前回大丈夫だった人達なんだから。」と思ったとしても。

頭の中でずっと数を数えて15分間待つことにした。数を数えていると安心する。前回は天井のライトや天井板の数も数えたが今回は単純に数字を思い浮かべた。

12分ぐらいで経ってから看護師さんか係の人が来て,私の前の席の人に色々注意事項を伝えるとその人は帰って行った。すると係の人はそのまま私に向かって「まだ15分じゃないんですね。でも前回大丈夫だったんですよね。」と,いかにも急いで済ませたい様子で声をかけてきた。私は別に15分待っても良かったのだが,相手があまりに帰って欲しそうにしていたので注意事項を聞いて「おせわになりました」と帰ってきた。「もし外に出たところで倒れても知らないよ。」と思った。倒れなかったけど。

みんなコロナの蔓延で疲れてきているのだ。自分が罹患していなくても,絶えず注意をはらっても,感染に怯えているような生活が続いている。

みんな,早く普通の生活に戻りたいのだ。私でさえそう思う。

それにしても,接種会場の人達の帰りたい様子があからさまだった。でも疲れているんだろう。お疲れ様でした。

暖をとる猫 秋の気配

今週はずっと天気が悪く,秋の長雨というよりはまるで冬のような雨が降っている。室温は24℃ほどだが,携帯で調べたら外気温は19℃と出ていた。さすがにそれは低すぎるのではないかと思う。でも確かに肌寒い。

寒くなると動きが鈍るのはニャンコ達とカメのマイキー。

今のところマイキーはまだご飯を食べる元気がある。もっと寒くなるとヒーターなしではご飯を食べられなくなるので,それで考えるとカメ的にはまだ秋の初めなのだろう。

しかしニャンコ達にとっては寒いらしい。世界の猫の先祖は北アフリカのリビア砂漠に棲んでいたのだから,寒さに弱いというのはよくわかる。

今日のニャンコ達は,それぞれ暖をとることができる場所を探していたようだ。やはり彼らにとって今日の気温は低くて「もう秋なんだよ」と言っているのかもしれない。

兄弟トラ猫のフルフルとバルバルは寄り添って段ボール箱の中それもものすごく窮屈なところに入り込んで,姉トラ猫のキルファは柴ワンコのナナにぺったり張りついていた。アメリカンショートヘアのシムシムとキジトラのピーチ姫は,私のお腹の上や私の背中とソファの間,私が座って温まったところを狙って寝そべる。元気が良かったのはキジトラボーイのラッキーだけであった。

クッションと私の間におさまるピーチ姫

私の背中でぬくぬくしているニャンコはすごく可愛い。私みたいなものでも信頼してくれているのか,安心した表情をしている。そこまでたいしたものではないのに。ただただ可愛い。愛おしい。

ここにいてくれてありがとう。

ダンスに見入る猫

夏が終わるとはいえ,毛布を抱えてソファで丸くなってボォっとしているのはいささか問題がある。それはわかる。フラフラと歩いて台所へ行ってお茶をいれて,ソファに座って飲んで,またソファに横になる。

先日実家に行って以降動くのがしんどい。目が回って吐き気がする。薬の量が変わったからかもしれないが,そうでないのかもしれない。薬の調整で,体調が悪いことははっきりしたが,精神的に何かが良くなった感じはしない。何もかも自分以外の誰かが経験していることのようで,自分がどこにもいない感覚がある。

それでも何とか目を覚まして,何か自分ができることはないかと考えている。

気力がある時には読書したりYouTubeを見たりする。読書といっても,聖書(時々コーランとか「正法眼藏(しょうほうげんぞう)随聞記」)か三島由紀夫の「午後の曳航」(たまたま英語版がそばに置いてある)かコミック(「チェンソーマン」とか「呪術廻戦」とか「僕のヒーローアカデミア」とか)そういう組み合わせになってしまう。でもこれが結構元気をくれる時もある。それについてあとで書いてみたいとは思っている。

今日はYouTubeで最近BTSの次に気に入っているTomorrow X Together (トゥモローバイトギャザー)を見ていたら,キジトラ猫のラッキーが肩に乗ってきた。まさか見ていないだろうと思ったのだが,TXTのメンバーが踊る動きと同じように視線が動いている。「え? ラッキー見てるの?」とちょっと驚いた。

肩に乗って携帯画面を見るラッキー

うちのニャンコ達は皆NHKの「世界ねこ歩き」は大好きで,テレビの前にちょこんと座ってじっと見る。テレビの中の猫達が動くとその後を追いかけるように移動して,テレビの裏まで探しに行くことがある(ぐるっと一周して「あれ変だな?」という表情になる)。

でも人間には興味がないと思っていたのだ。きっとダンスする時に手がヒラヒラするからではないかと思う。

試しに肩から膝の上に移動させると,目を閉じて寝に入ってしまう。TXTを見せると目を開けて前足をのばしてくる。

前足を画面にのばすラッキー

やっぱりダンスを見てるんじゃないかな?という気がする。テレビの調子が悪いから今日は携帯で見ていたけれど,録画した番組があるから,後で大画面で見せてみよう。

猫の目は本当に色々なものをよく見ている。

猫の毛カット

アメリカンショートヘアのシムシムは,床でへそを上にしてゴロゴロすることが多い。いわゆる「へそ天」である。

そのせいなのか換毛期だからかよくわからないが,背中側のアンダーコートの毛が絡み合ってしまい,毛玉というかフェルト玉のような塊になってしまう。普段はファーミネーターという犬猫用金属ブラシでブラッシングしているのだが,ついにファーミネーターまで受け付けないほどに固まってしまった。

仕方がないので,フェルト状になった毛を根元からハサミでジョキジョキ切ることにした。これからはファーミネーターだけでなくまめにシャンプーをしようと思う。彼女の場合はムース状のドライシャンプーを使っている。

シムシムを迎えて初めの頃はショートヘアという名前に騙されてしまった。もっと早くに毛刈りに彼女をならすべきだった。

アメリカンショートヘアは毛足が長い。アンダーコートの毛がもふもふしている。リビア山猫そっくりのうちの三姉弟キルファ,フルフル,バルバルや実家近くの山で拾ったラッキーや仕事していた頃に職場の駐車場で拾ったピーチ姫とは明らかに違う。どの子よりも毛が長い。

子猫の時にトリマーさんに連れて行ったことがあったが,大暴れしたのちに脱力していたので獣医さんに相談したら「猫はトリマー行かなくていいんですよ。」と言われた。その際にファーミネーターを紹介されたので,その後はトリマーさんには行っていない。それに今は経済的にもトリマーさんに行くのは難しい。

ファーミネーターでブラッシングすると面白いように毛が抜けるので,これで大丈夫と油断していた結果のフェルト状毛玉だった。

たくさんジョキジョキしたので,お尻周りにベルトでもつけているように白くなってしまった。アンダーコートの毛は白いが外側は黒い毛が多いから。一応シムシムはシルバータビーと呼ばれる白黒灰色のシマシマである。私の中ではアメリカンショートヘアという括りではなくて,トラ猫である。

お腹がベルト状におハゲのシムシム

白い部分が広くなっている腰回り

うちでここまで毛が固まるのはシムシムだけである。他の5匹には全くそのようなことはない。シムシムだけがペットショップで出会った猫で,他のニャンコ達は保護猫である。ペットショップの子猫ルームという所で,他の猫達がじゃれたり遊んだりしている時に,1匹だけ他の子が食べ残したご飯をガツガツ食べて回っていたのがシムシムである。しかも値引きされていた。なんだか自分を見るようで即決でシムシムを家に迎えることにした。

当時家には柴犬のナナしかいなかったが,ナナは甲斐甲斐しくシムシムの面倒を見てくれた。トイレの後にお尻を舐めてやったり,体や耳の中を舐めてグルーミングしてやったり,追いかけっこをして遊んだりした。それが原因でもないだろうが,シムシムは他の猫達との仲がよろしくなく,ナナと仲良しである。そして猫的なグルーミングをあまり自分でしない。一般的に人懐こいと言われるアメリカンショートヘアでありながら,人間も猫も大嫌い。懐いているのは私と夫ぐらいである。亡くなった母のことは嫌いではなかったようだが姉のことはかなり嫌っている。

性格のせいなのか,育った環境のせいなのか,よくわからない。これがシムシムなのだと思っている。

シムシムという名前はアラビア語で「胡麻」の意味。色が白黒だったので血統書は無視してそう名付けた。血統書にはものものしい名前が書かれていて覚えるのが面倒だったのもある。血統書にある名前というのは,おそらくどの血統かわかるように代々の名前を入れているから長くなってしまうのだろう。アラブ人にもよくいる。「誰々の息子の誰々の息子の誰々の息子のなんとかかんとか」みたいな名前。

でも夫にも私にも血統書の名前は本当に面倒で,アラビア語で発音しやすくて白と黒の色の特徴がわかる「胡麻=シムシム」にしたのだ。

シムシムは他の猫達と遊べない。うまく関わる方法がわからないようだ。ペットショップで初めて見た時もそうだった。だからこの子はADHDでASDの私のうちにいるのだと思う。そういう縁だったのだと思う。11歳になったシムシム。この子との時間を大切にしたい。しかし今日の彼女は毛刈りでお怒りモードである。

「カールじいさんの空飛ぶ家」の思い出

アメリカの俳優で声優のエド・アズナーが亡くなったというニュースがあった。

https://www.bbc.com/news/world-us-canada-58380089

「カールじいさんの空飛ぶ家」のサイトは ↓

https://www.disney.co.jp/studio/animation/1015.html

91歳だったそうだから,私の好きなアニメーション映画「カールじいさんの空飛ぶ家」に出演した時には80歳前後だったのだ。あの映画は,普段あまりピクサーのアニメを見ない私が,ティザーを見たらなんだかすごく興味が湧いて,リアルタイムで見ることにしたピクサーアニメーション。

ところが,オープニング数分でカールじいさん夫妻が子供を失うシーンを見て,涙が溢れて止まらなくなって,慌てて席を立ちトイレに駆け込んで,声を上げないようにして泣いた。でも泣きすぎて息が切れそうになった。自分自身が子供を失って数年しかたっていなかったから,その日のことがフラッシュバックしてしまったのだ。

その時は一人で見に行ったので,夫はいなかった。後で「あのアニメ映画どうだった?」と尋ねられても「ちょっと,始めのところで泣き出してしまって,結局見られないまま帰ってきた。」と答えるしかなく,夫は変な顔をしていた。

しばらくして(1年ぐらい?)テレビで「カールじいさんの空飛ぶ家」が放送された。夜ということもあり夫も在宅だったので,二人で一緒に見ることにした。

子どもが亡くなって,カールじいさんはなんとかして奥さんを励まそう元気づけようとするのだけれど,二人ともだんだん歳をとっていって,奥さんは年齢的に一緒にハイキングに行くは体力が衰えていたし,歳をとって二人きり(カールじいさんは結構コミュ障)の生活の中で失った子どものことも思い出して切なかったろうしで,元気がない。

そして奥さんがカールじいさんより先に亡くなってしまって,ひとりぼっちになったカールじいさんは偏屈になった。

夫と一緒に見ていたので,子どもが亡くなるシーンで泣きそうになったが,グッと我慢した。私はどうしても誰かに泣くところを見られるのが苦手だ。

そして,奥さんが先に亡くなるシーンでも「この奥さんは,ちょっとASDっぽい旦那さんのカールがひとりぼっちになってしまうことが,きっと心配でたまらないんだろうな。」と思った。

私自身が夫より大分年上なので,私の家系の長寿で私が長生きすればほぼ一緒の頃かもしれないが,私がやっぱり年上分だけ先に旅立つかもしれない。でも夫だけ一人残して帰らない帰れないところへ行くことは,とても心配で気がかりなのだ。

幸せに生きて欲しいけど,夫のADHDっぷり(夫は私と違い診断を受けていないが)で大丈夫だろうか?それにすごく人を信じやすいナイーブな人なのだ。カールじいさんのように偏屈になるのも寂しいけれど,信じやすくて騙されやすいのは気がかりだ。今は父方のいとこ達に会うと夫の見守りを頼もうかどうかと考えてしまう。

カールじいさんは,あるアジア系の少年に出会って,夢のような冒険に出かける。それは奥さんと出会った頃の少年時代の彼の夢でもあったもの。奥さんとは廃屋の冒険で出会ったから,奥さんが生きていたら,一緒に行けたろう冒険。でも一人ぼっちではなくて,バディになってくれる少年がいる。

このあたりになると,かつて大泣きして全部見られなかったことは横に置いておいて,カールじいさん達と一緒にハラハラドキドキしてきた。

映画を見終わった時に,夫は「君が前に映画を見ようとした時,泣いてしまって見られなかった箇所,どこか分かったよ。」と言ったが,それ以上は何も言わず「でも最後まで見られたね。良かったね。」と喜んでくれた。私も,夫がどの場面のことを言っているのか分かっていたと思う。

子どものことを思うたび,自分を責めて周りを責めて毎日泣き叫んでいた時期がある。夫にとっても辛い時期だったと思う。夫はなんとか私を慰め前向きにしようとするのだが,それが帰って私にはしんどくて「そうじゃない。そうじゃないんだよ。」と泣くばかりだった頃。

あれから,よくあることかもしれないが,苦しいことや難しいことを夫婦で乗り越えて,なんとか今に至るのだが,適応障害のせいなのかなんなのか,ここ数年は泣くことも笑うこともあまりできない。涙は全然出てこない。実家が被災した時も母が亡くなった時も,多分悲しさ辛さはあったのに,まるで他人事のようで自分ではない誰かに起こっていることのようで,自分はどこか遠くにポツンといるようだった。

また「カールじいさんの空飛ぶ家」を見たら,泣くことができるのかな? 感情が動くのかな? 

最近は「泣きたいだけ泣きたいのに涙が出ないし感情が自分を置き去りにする。」というのが課題。色々な感覚が自分を置き去りにしていることも課題。

でもあの時,夫と一緒に映画を見直すことができて良かった。

from Disney Pixar’s Up Official Trailer

電動草刈り機と夫

夫はずっと,私の実家の敷地の草刈りもするのだと言っていた。

私がかつて住んでいた実家の建物は台風に被災して壊れてしまったのだが,敷地はあるし,同じ敷地内に姉が離れを建て、今は彼女が療養のためにそこにいる。

離れは,元々は実家で溢れかえっていた本の(1万冊ぐらいあったので大分処分もした)書庫として姉が作るはずだったのだが、今は亡くなった母が建築に口を挟んできて,反論するのが苦手な姉が言い負かされてしまった。姉はお金を出したのに,自分の希望がまるで反映されない建物ができてそれを受け入れるしかなかった。今もそれは彼女のトラウマになっている。

私にとっても自分の本があるから,母が勝手に設計士さんに出した要望の建物が,紙でできた本を保管するために適さない構造だということは,腹立たしいことではある。母は何に関してもそういうところがあって事態を厄介にすることが多い人だった。

それはさておき,敷地の雑草は夏の暑さの中元気よく大きくなってしまっている。道路から見ると,離れの建物が見えないので廃墟のようだ。

仕事柄草刈りにうるさい夫は,その雑草の林が気になって気になって仕方がなかったのだ。

以前は叔父の家からガソリン式の草刈り機を借りて来たり,草刈り機を持っている親戚に頼んで刈ってもらったりしたのだが,いつもそれでは申し訳なかったので,姉が「うちも草刈り機買おうか。」とボソッと呟いた。夫は「草刈り機買うの?」とルンルンしていた。姉は草刈り機のことは何も知らないので,夫と私が話し合ってマキタの充電式草刈り機はどうだろうかと提案した。

https://www.makita.co.jp/product/li_ion/mur190udrg_mur191udrg/mur190udrg_mur191udrg.html

フル充電で稼働する時間の長さと,回転部分の刃,動きの強さ等を考えて,18VのU字ハンドルにした。

14Vだと少し弱いとか,組み立て式はうまくはめるのに力がいるとか聞いていたので,稼働時間の違いも含めて18Vが良いのではないか,と姉にも説明した。

実家の近所の皆さんはガソリン式草刈り機が普通なのだが(叔父や従兄弟の草刈り機もガソリン式),ガソリン式にしなかったのは姉と私の性格を考えると,安全にガソリンを保管するということに少し不安があったから。それに姉は車の運転ができないので,ガソリンを買いに行くこともできない。その上ヘビースモーカーである。引火したら怖い。また,私は以前キャンプ用のガソリンを使うストーブを持っていて,ガソリンの保管が面倒だったという経験がある。そういういくつもの理由があって,充電式の草刈り機にしようとなった。

夫は「マキタ」と聞いてとても喜んだ。仕事でマキタの工具を使うことも多く,使い方も知っているし製品として信頼もしているから。「マキタ?良かったそれは良かった。」と嬉しそうだった。

昨日,夫は私と姉のために昼食の準備をし,皆で美味しく食べてから一休み(その間私は皿洗いと油の処理,姉は昼寝)。その後私は姉に頼まれて買い出しに行き,夫は離れの建物周りの草刈りをしてくれた。

かつて母屋があった部分は雑草の高さが1メートル以上(だから道路から離れが見えない)で面積も広いので「これは今日は無理だね。後で連休の時にやった方がいいね。来月かな?」と夫は言っていた。草刈り機を使いたいのでワクワクしている様子が見られた。

秋になってさらに冬に近づいたら,雑草は枯れるんだろうな,なんて考えてしまったが,夫が嬉しそうなので9月に彼が2日続きの休みが取れたら「その時は草刈りをお願いします。」と言っておいた。

ワクワク感が持てる草刈り機というのがあることが分かったのだった。