私の夫は難民である。
日本に来てから難民になったのではなく,彼の祖父母の世代で国から逃れなければならなくなり,彼の親や彼は外国に作られた難民キャンプで生まれて育ったのだ。
たまたま縁があって出会って結婚した。だが難民の彼にはビザが交付されず,彼が日本に来ることはできなかった。なので,私が彼が住む国へ再訪し(知り合う前から知り合ってからまで何度もその国へ行っている),その国の役所で結婚し,彼の身内に祝ってもらい,私だけ日本に帰国した。次に私が日本の入国管理局へ行き,夫を呼び寄せるために必要な手続きを尋ねた。
何だか評判がすごく悪いのだが入国管理局の人達は、私や夫にはいつも親切だ。
夫に頼んで彼の出生証明書,家族の住民登録証明,難民としてのID,パスポートの写し(実はこのパスポートは彼が住む国の政府が特別に発行するトラベルドキュメントというもので,なんと生年は記載されているが誕生日は記載されていないというとんでもないものである),私との結婚証明書,その他やたらたくさんの書類を集めて送ってもらった。
そのうちの結婚証明書を持って地元の市役所へ行き,婚姻届を提出するのだが,ここで「え? そんな国あるんですか?」ということになった。そんな国というのは,彼の本来の国籍であるパレスチナが当時日本では国として認められていなかったからである。
そのため婚姻届は受理されず,法務局に問い合わせるからということで保留となった。その数日後市役所から連絡があり「受理できるそうですよ。」と明るく言われたが,こちらの気持ちは「前途多難の予感」であった。
婚姻届が受理されてから市役所から本籍のある町の役場へ届けが行って,戸籍に夫の名前が記載されるのだが,ここで問題になったのが夫のパスポート。国籍がパレスチナと書かれているのだが,日本国が国家として認めていなかったパレスチナは夫の国籍として戸籍に記載できない。仕方なく,市役所や役場や法務局の出した妥協案が「生まれも育ちもレバノン共和国でパスポートを発行しているのもレバノンなら,レバノン出身の誰それと結婚,と備考欄に記載すればいいのじゃないか?」だった。
そういうことで何とか戸籍に夫の名前が載った。
入国管理局に提出したのは,管理局の窓口でもらった申請書や身元引受証明書にぎっちり記入したもの,夫に送ってもらったアラビア語(一部英語)の書類を自分で翻訳し,タイプしプリントアウト。原本のコピーをとり(原則として入国管理局には原本を提出する),備考欄に夫の名前のある私の戸籍謄本と私の住民票,私の在職証明書,私の源泉徴収票,知り合って結婚に至った経緯をつらつらと綴った3〜5枚(理想的には1枚)のA4用紙,証明写真や収入証紙等々。事務用封筒がとても分厚くなっていた。
書類を提出して待つこと数ヶ月(早ければ6ヶ月普通で1年と言われた),やっと夫の「日本人の配偶者等」という滞在資格ビザが発行された。それを急ぎ彼の元へ送り,彼が受けとって航空券を手配して来日。
結婚して同居までに半年かかったが,これはまだ早い方だと言われた。特に夫が難民で自国のパスポートがないというのが大変に難しいところなのだ。
実はレバノンで夫と結婚したその日に,在レバノン日本大使館に電話してビザの入手は可能かと尋ねていたのだが「無理ですね。」と大使館員さんからあっさり一言だった。しかし,もう既に正式に結婚しているなら外務省の管轄ではなく法務省の管轄で「呼び寄せ手続き」「配偶者のビザ申請」ができるので,日本に戻って入国管理局の支局などで相談すると良いですと言ってくれた。その時「レバノンにある難民キャンプ出身のパレスチナ難民が日本人と結婚して日本に行くなんて聞いたことがない。」という話を聞いた。入国管理局でも前例がないからビザ交付が可能か可能であればどのくらいの期間を要するかわからない,と言われた。
そんなわけで,今夫は日本に住んでいる。手続きと役所の窓口での粘りとゴリ押しなど我ながらよくやったと思う。
で,ここまでやったんだけれど,夫は私にとっては普通に夫だし,来日して20年近くも経つので,業務スーパーとかカルディやダイソーやセリアが大好きで,コンビニのおにぎりについては私より詳しい人になった。JRや地下鉄の乗り方や乗り継ぎなど車を常用している私にはほとんどわからないことまで妙に詳しい。
なんだか,国際結婚しているという意識は全然ない。他の人から「国際結婚なんですか!」と言われて「あれ?そうですか?」と返事をしそうになるのだ。