前にも書いたのだが,うちの夫は外国人で,さらに生まれ育ったのは自分の国ではないと言う難民である。
日本で難民になったのではない。
生まれた時からずっと難民キャンプで育ったのだ。親や祖父母の代から国を追われて行き着いた外国でずっと暮らしてきた。その国レバノンでは,彼らのような難民は国連が借り上げた土地にある難民キャンプのエリアで生活し,学校も商店街も全部難民キャンプの中にあって,大学に行く場合は難民キャンプの外に出るが大抵仕事をするのも難民キャンプの中である。
普通のレバノン人と同じように,難民キャンプの外で仕事をすることもあまりできない。専門学校や大学への入学が制限されているので,資格の必要な仕事に就けないのだ。医学部や歯学部など将来経済的に豊かになりそうな学部への入学は許されない。なので,医者や歯科医になりたい人は何とかしてレバノン以外の国へ留学するしかない。まず,お金がないので諦めることが多い。
今はパレスチナ自治政府というのができたから国があるだろうと誤解されているが,あれはガザやヨルダン川西岸といった極々限られた地域の人のために仕事するだけで,外国で難民になっている人間には何もしてくれない。
夫は,レバノンで少しでもマシな仕事に就くためには英語が必要だ,と考えて,学校の授業や映画やテレビから英語を学習し,今ではネイティブの英語話者から「流暢」と言われるぐらいに話せる。そして,その英語があったおかげで,私は夫と意思疎通ができた。ついでに私が少しアラビア語の単語を知っていたのもあるが。
日本に来るために,アラビア語の書類を英語に訳してさらに日本語に訳して,3ヶ国語の書類をどっさり入国管理局に提出した。
何ヶ月かかかってビザをもらって,日本に初めてやって来てから20年近く経つ。夫は日本が結構好きである。そして,「日本では人間として扱ってもらえる。」と言う。
夫は難民の特別なパスポートを使っている。実際は正式なパスポートではないがパスポートとしてレバノンから発行されている。そのパスポートの代替品には誕生日が記載されていない。誕生年しかないのだ。来日当初はそのためにいろいろな不都合があった。運転免許証を日本で取れないとか,帰省する時に空港のチェックインカウンターで足止めされるとか。
一番辛かったのは運転免許証が取れないため,常にレバノンの運転免許証と国際免許証を持っていなければいけなかったこと。しかも1年に1回更新するためにレバノンへ戻らなければいけない。
あまりに何度も日本とレバノンを往復するので,航空運賃も辛い出費だったし,ビザの更新のたびに「日本での滞在が短い」と言うこと(だけではないが)で1年間しか有効でないビザになった。毎年毎年私が書類の束を揃えて「なぜ日本にいるのが短いか」と言う理由(免許だけではないのだが)を長々と文書にして,夫と一緒に入国管理局に行かなければならなかった。どうして一緒かというと,今でこそ入国管理局の支所に英語ができる人がいるけれど,以前は英語のできる人がいないことが多かったから,こみ入った内容になると夫の日本語力では難しかったから(日本人でさえ難しい単語が飛び出してくるのだ)。
それでも夫は「日本の入国管理局の人は親切だよ。レバノンの移民局ではこんな風に扱ってもらえないよ。」と言う。レバノンでは移民管理が軍の下にあるので,いつもピリピリしているのだ。レバノンでは外国人である夫も,ひどい思いをしたことが度々ある。
私たち夫婦は苦労してビザをもらっている。夫がレバノンで生まれ育ったパレスチナ難民なので。でもそのビザのおかげで夫は合法的に仕事ができる。
政府がパレスチナを便宜上国と認めてくれたので今では在留カードの国籍もパレスチナになったし,在留カードを根拠にしてパスポートに生年月日を正しく記載してもらえた。そのおかげで日本の運転免許を取得することもできた。実技試験で1度落ちたので教習所の「国際運転免許書替教習」と言うコースを受けて練習した。マニュアル車OKの免許である。この免許があったことも仕事につながった。それまではアルバイト的な非定期の仕事ばかりだったから。
だからどうしても考える。ビザのチカラというのはすごい。ビザがあるから,入国管理局でもちゃんと丁寧に対応してもらえるのだと思う。就労できて免許が取れて休日には趣味の料理ができる。
ビザがなかったら,そこで逮捕され,入国管理局収容所か入管内の留置場に入れられてしまう。
毎年帰省していたから今はまだ永住権がもらえていないが,今は永住権を切望している。毎年書類を集めるためにどれだけの労力が必要か,というのもあるが,何より人としての権利を得られることなのだ。
最近何でもかんでも「難民」という単語を使う風潮があるけれど(「帰宅難民」とか「買い物難民」とか),本当の難民がどういうものか知らないから安易に使っているのだろう。とても腹立たしく悔しいことだ。
また,入国管理局の収容所で亡くなる人のニュースも聞く。先日からスリランカの女性のニュースが多い。いたましい。
彼女は不法滞在を認めるから帰国させて欲しいと入国管理局に出頭したのに,支援団体の日本人達(私が読んだのは20歳の女子大生の感情的なセリフだった)にそそのかされて日本に留まって難民申請をしてしまった。私は,この支援団体があまりにも無知で無責任だと思っている。
でも覆水盆に返らず。亡くなった方は誰かが怒っても帰ってこない。それに実際収容所の職員も,ほとんどスタンフォード実験のような状態でひどかったらしい。亡くなった方が気の毒だ。おかしな日本人ばかりに出会ってしまって,まともな日本人に出会えなかったのか。
日本で難民になることは不可能とは言わないがかなり困難だ。日本で難民になることなど考えない方が良いと思う。むしろ正規のルートで日本に来る方が良い。難民申請するなら日本に来た最初の段階で申請すべきだ。不法滞在や不法就労などしてからではなく。
入国管理局だって,事務の早さはすごいと思う。レバノンで1〜3年,或いはもう永久に無理みたいなことを半年ぐらいでやっている。
日本の悪いところはいっぱいあると思うけれど,良いところもいっぱいあるのだ。